何でもかんでも自分の手柄…「武勇伝」
「武勇伝」 とは、自分がかつて行ったとする勇ましい手柄話や見栄話、腕力を使った活躍話、自慢話のことです。 あまり自称する言葉ではなく主に第三者に対して使い、逸話を持つ人物を武勇伝の持ち主と呼んだり、「あれは俺がやった (あれおれ)」 などと誇張した過去の自慢話ばかりする人に 「また武勇伝か」 と揶揄したりします。
一方、若い頃に手を染めた暴力沙汰や犯罪になるような悪事、異性関係の遍歴などを、自慢げに 自分語り で吹聴することを指すこともあります。 「悪事をまるで武勇伝のように語る」 との意味ですが、いずれにせよ酒の席をはじめ雑談の中で自分を大きく見せるために自身の手柄話をする人は嫌われる傾向がありますから、十把一絡げに得意げな過去話を武勇伝と呼ぶことが多いでしょう。
迷惑行為や犯罪行為の自慢は聞く方も辛い
雑談において多少の自分語りや、そこに自慢にせよ失敗談を通じた笑い話や 自虐 にせよ、何らかの誇張や色がつくのは当然でしょう。 また悪事の類も、未成年の頃の酒やたばこ、ギャンブルや エロ など 18禁 の娯楽の享受、友人との取っ組み合いのケンカくらいなら、時代によって身に覚えがある人も少なくありません。 傷害事件だって同じヤンキー同士の対等な殴り合いの話なら、それなりにスリリングで青春時代の思い出話として十分に面白い場合だってあります。
もちろん全然良い話ではないし、若い世代にとっては 昭和時代 の価値観のままでいる 老害 にも思えるけれど、「若気の至り」「大昔の話だ」「ゆるい時代だった」 で納得できることもあるし、それぞれが武勇伝として語る自分の恥ずかしい過去を通じて相手の人となりが見えたり、距離が縮むことだってあるかも知れません。
一方で子供のイタズラだとしても実被害が生じる迷惑行為 (例えばイタズラ電話で警察を呼んだとか、火遊びでボヤ騒ぎを起こしたとか)、あるいは万引きとかカツアゲ (恐喝)、暴走運転・飲酒運転、おたく に近いところでは著作物の 海賊版 (割れ) を売買したり違法ダウンロードをしたなどは度を越した迷惑行為や犯罪行為そのものでもあり、そういったことが日常にありふれていた時代や地域にいた悪友との昔話ならともかく、公の場で話した以上は 「昔の話だ」 では済まないこともあります。 脱税や経費のごまかしによる横領、不正乗車なども同様です。
法律には時効もありますし、何十年も前の未熟だったり価値観が バグ ってた頃の悪事を現在のことのようにことさらにあげつらうのもどうかと思います。 しかし本人が恥じて黙っているならともかく、悪びれず得意げに話されたらなかなか辛いものがあるでしょう。
また人格そのものに対する疑念が生じかねない悪質性のとくに高い行為、薬物とか性犯罪、あるいは いじめ や店員らに対するハラスメント (悪質なクレームとか 土下座 の強要とか)、意図的かつ常習的な借りパク、借金の踏み倒しといった人間関係の中で嫌われる種類の悪事の場合は、仮に昔話だったとしてもさすがに現代の価値観はもとより当時の価値観でも間違いなくドン引き レベル の ゲスさ であり、聞いている方が辛くなるどころか 胸糞の悪さ を覚えることがあります。 また日常にありふれていて被害に遭いがちな傘泥棒や自転車泥棒なども、罪の重さ以上の嫌われ方がされがちかも知れません。 これら聞くに堪えない話を得々とこちらにしてくると云うことは、こんな奴に自分が目下や同類扱いされていると感じられ、不快感も高まるでしょう。
筆者が若い頃は何かとゆるい時代だった上に、生まれ育った地域があまり 治安 の良い場所でもなかったので、露悪的 にこうした話をする 幼馴染 もそれなりにいて耐性もいくらかはあります。 また自分にだって内に恥じて後悔反省している悪事の一つや二つはもちろんありますし、問わず語りに自らの悪事を人に話し、ある種の懺悔による救済を無意識に行っているのではと思い当たる部分もあります。
しかしそうしたことに無縁だった人はこんな話をいい年をした大人になってまで得意げにする人はほとんど理解不能で、「恥じて反省して黙するならまだしも、全く反省などしていないからそんな話ができるのだ」 と強い嫌悪を相手に覚えることもあるでしょう。 反省や改心がないのなら、同じことをまたするかも知れません。
過去の話とはいえ、性犯罪やいじめ・パワハラではキャンセルされることも
とくに近年は人の 尊厳を踏みにじる ような行為、性犯罪やいじめ、パワハラ、差別的言動 に対する社会の目は極めて厳しく、仮にそれが何十年も前だったり本人が子供の頃の話であっても、その後のキャリアの全てを台無しにしかねないほどの批判を浴びる傾向が強いでしょう。 ネット の時代になって過去の言動が発端となる 炎上 も頻発し、昔の悪事によってその人の過去・現在の仕事や社会的地位の全てを無効なものとし、社会から パージ するムーブメント (キャンセル) も生じています。
これは、性犯罪やいじめやパワハラが分かりやすい犯罪として扱われにくく 「罪を償っていない」 と見えることもあるし、「他人の尊厳を踏みつけたからには、自分も同じ目にあっても文句はいえない」 という部分で、誹謗中傷を浴びせやすい構造になっているからかも知れません。 とくに日ごろは善良な人間を装い耳障りの良い理想論を口にする人であれば、反発も相当なものとなります。
一方でそもそも度が過ぎた批判やキャンセルを呼びかける人にも、行為や形は違えど何らかの後ろ暗い過去があって、それへの贖罪の意識もあるのかもとの邪推がされることもあります。 どんな清廉潔白な人間だって、長い間生きていれば一つや二つの隠したい恥ずかしい行為と決して無縁ではいられないであろうからです。 とりわけ女性の人権問題やいじめ問題などで理想論を口にし声高にキャンセルを 煽って いた人に同じような女性に対する差別や性的なトラブル、いじめをしていた過去があったことが露見すると、ブーメラン 炸裂・答え合わせ ができた・自己紹介 お疲れ様の感があります。