惜しまれつつ46年の歴史に幕 「第一デパート」
と云うわけで、立川 の 「第一デパート」 のご紹介のパート2です。
歴史を刻む、立川 第一デパートの外観 |
このページでは、パート1 の外観・館内設備のご紹介に引き続き、第一デパート店内のミニ写真集をお送りしようと思います。
主な内容は、テナントの営業風景と、最終日の店内風景です。 館内写真などは2005年頃から閉店日を中心に、許可を得て撮影したものを掲載しています。
テナント数は最盛期には80あまりで、各種ショップがひしめくように入居していましたが、その数は減り続け、閉店時に最後まで残ったのは、およそ20店舗だけとなっていました。
ここでご紹介するのは、オタク に馴染みのあるコトブキヤやオリオン書房などのテナントが入った2階や3階、立川デパートの名物店となっていた飲食店・サンモリノなど、主に閉店日まで残っていたお店が中心ですが、新星堂 CD SHOP アポロ店 (2007年閉店) やホビーステーション立川店 (立川市曙町1-31-2 遠藤創進ビル2階に移転) など、完全閉店前に退出したお店の写真なども入っています。
またページ最下部には、再開発された高層ビル 「立川タクロス」 の紹介もあります。
立川 第一デパート テナント
2012年5月15日に、完全閉店へ
さようなら、立川第一デパート
立川第一デパートが完全閉店する2012年5月15日は、朝から雨のあいにくの天気でしたが、カメラを持ったいかにもオタクっぽい人、子供連れのお父さんやらが、最後の別れを惜しもうと訪れ、かなり賑わっていました。
半年余り経過後、解体工事が開始された 第一デパート (2013年2月17日) |
解体も終盤、完全に姿が消えた (2013年6月1日) |
商品の多くが売り切れ空っぽの棚が目立つコトブキヤでは、壁の一部がメッセージ 書き込み コーナーになっていて、訪れた人がそれぞれの思いを言葉にして寄せていました。
誰が書いたのか、「ここが「都会」でした」 ってフレーズには笑ってしまいました。 多摩民としては、その感覚、ものすごく分かりますw
筆者 もコーナーの端っこに小さく緑色のマジックで 「ありがとう」 って書きましたが、これで見納めと思うと悲しいものがありますね。 というか、45年っすか。 わらしも年取りますわな…。
夜7時半をまわり、閉店時間となって店内にBGMやアナウンスが流れると、拍手が巻き起こったり、店員さんと常連客との記念写真の撮影が行われたりと、おのおの最後の時間を過ごしていました。
1階の入り口付近では、第一デパートの 運営 管理を行なっている会社の偉い人がズラリと並び、最後のお別れの挨拶。 シャッターが閉じるその瞬間まで、大勢の人でごった返していました。
3年後には近代的な超高層ビルに建て替わる第一デパート。 多くのテナントが、またこの場所に戻ってきてくれるのを期待します。
ありがとう第一デパート。
そしてリニューアルされた複合高層ビル 「立川タクロス」 に
リニューアルされ複合高層ビル 「立川タクロス」 に |
スラリとしたスマートなシルエットのビルは、駅西側直結となる南北自由通路と改札が整備され、また屋根付きの 「タクロス広場」 も設けられ、各種商業施設やマンションが入る大規模な再開発となりました。 「街開き」 は2016年8月4日です。
ただし入居するテナントの多くは第一デパート時代から入れ替わり、おたく関係でもっとも親しみのあったコトブキヤも、このビルの竣工に先立って自社ビルを立川北口に建設して移転しています。 寂しいですが、これはこれでコトブキヤとしてもおたく 界隈 としても、おめでたい大躍進でしょう。
3Fから7Fまでは大型電気量販店、ヤマダ電機LABIが入り (2016年11月18日オープン)、これからはこのビルが、東京多摩地区の中心として膨張する立川の歴史の一部を作っていくのでしょうね。 ちなみに名称の 「タクロス」 は、立川、及び多摩のタと、交差を意味するクロスとを組み合わせた造語です。
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