おたくと腐女子が集う街…「オタク街」
秋葉原のシンボル、ラジオ会館のネオン |
アーケードダンジョンを抜けるとラスボスの 中野ブロードウェイへの入り口が… |
「オタク街」 とは、同人 関係や おたく や 腐女子系 の アニメ や マンガ、ゲーム、アイドル、フィギュアや模型などのホビー類のマニアショップや メイド喫茶、ゲームセンター、妙にマニアックでオタクっぽい人たちの オフ会 に向いた カラオケ の店などが集まった地域、商業地のことです。
略して 「オタ街」 とか、「オタクストリート」 などと呼ぶ場合もあります。 地方の小規模なオタク街は、1つの雑居ビルに集まっている複数のお店のみでほぼ全て…なんて状況もあり、オタスポット、萌えスポット などという呼び方もポピュラーです。
おたく文化の影響が極めて大きい代表的な街として、おたくの 聖地 とも呼ばれる 秋葉原 がありますが、これが転じて、「第二の秋葉原」 とか 「西の秋葉原」 とか、一昔前の地方都市によく見られた 「なんとか銀座」 みたいな呼び方をする場合もあります。
「オタク街」 の対義語は 「リア充街」
なお対義語としては、リア充 が集う街としての リア充街 (「渋谷」 が代表的です) や、おしゃれ (オサレ) なファッションに身を包んだ人たちが集まるとの意の 「オサレ街」 なんてのがあります。 とくに 「渋谷」 は、「シブカジ族」「シブヤ系」 という名称の対の 概念 として蔑称としての 「アキバ系」 が作られるきっかけとなるなど、何かと比べられる存在です。
ただし 「渋谷」 や 「原宿」 などのファッションが中心のような街にも、かつてはマンガ ファン、オタク向けっぽいアニメ・マンガグッズ専門のショップがあったり、あるいは2000年以降も ゴスロリ系 や コスプレ系 のショップなどがかなり増えていますので、全く無関係で正反対の街だという訳ではありません。 また現在では 「リア充街」 の代表みたいな渋谷ですが、それ以前までは同じ頃の下北沢や早稲田近辺などと並び、サブカル・オタク系のショップなどが集まっていたものです。
古書店のある街と、電気街
アニメイトの本拠地 乙女ロード |
こうしたオタクスポットが生まれる場所には、ある共通した特徴があります。 似たような条件、前提として、元々それなりに賑やかな若者が集う繁華街であって、さらに歴史的に古書店が数多くある街のパターンと、電気店が集まっている街のパターンです。
前者の代表が 神田神保町 や 中野ブロードウェイ であり、前者よりやや遅れて登場した後者の代表が前述した 「秋葉原」 や 大阪日本橋 オタロード、名古屋大須、京都 寺町商店街 などになります。
それらの中間に当たるものがあるとしたら、池袋 乙女ロード や 福岡 天神北エリア などが、それに該当します。 大きな繁華街を持っていれば古書店や電気店は当然ありますから、それらが複数寄り集まって、ひとつのカタマリになり、よりマニアックな店が出現できる 環境 になっているかどうかが重要です。
古書店街のある街には、必然的に映画やタレント、アイドルの ポスター や各種パンフレット、マンガ本や雑誌、さらにレコードや音楽CD、レトログッズなどと、それを求める人たちが集まります。 また電気街の場合には、無線やオーディオ、模型、ビデオ やカメラ、ゲーム機、そして 「パソコン」 とそれらのソフトやパーツ、基盤やジャンク、及びそのファンが集まります。
全国 レベル でも屈指の 「オタク街」 となると、これらの特徴を部分部分で兼ね備えている上に、もうひとつ飛びぬけるためのポイントがあったりもします。 歩いていけるほどの距離に日本一の古書店街と電気街が並んでいる御茶ノ水神田近辺 (神保町と秋葉原) は別格としても、例えば中野ブロードウェイなら、近隣にテレビ局やアニメ、映画の制作会社が沿線にたくさんあるとか、定期的に 同人イベント などが開催される イベント会場 を持っている (サンシャインシティコンベンションセンターTOKYO を持つ 「池袋」 とか) などです。 こうした特徴を持つ街が、現在の 「オタク街」 となっています。
なお、こうしたものの親和性の高さの傾向は外国でも同じようで、中野や秋葉原というお手本があるにせよ、海外の有名なオタク街として知られる香港の女人街の 「信和中心」 などは、筆者 が訪れた1990年代には、中野とアキバと原宿をごちゃ混ぜにしたような感じでした。 近年は台湾や上海などでも類似の地域が登場、話題となっています。
おたく土壌に一軒のマニアショップという種が撒かれてオタク街に…
こうした特徴、要素を持っている街が 萌え の要素を持つようになり突出した 「オタク街」 となりますが、もうひとつ重要な要素があります。 それは、その後その地域の核となり、類似店舗を吸引するきっかけとなるような老舗・大型のマニアショップ (「まんだらけ」 や 「アニメイト」「ゲーマーズ」「K-BOOKS」「コミックとらのあな」「メッセサンオー」 など) の存在の有無でしょうか。
これらの店舗は元々が小さな書店や雑貨店だったので、成長する中で短期間に同じ地域にいくつもの系列店を出すケースが多く (同人館、グッズ館など、いくつものお店に分化する)、お店の主体は1つでも、似たような店がいくつも近所に出現することにより街の 雰囲気 の変化を促します。 オタクの要素を豊富に持っていながら 「オタク街」 になりきれない地域には、この 「核となる店」(もしくはそうした店舗が入居できる手ごろなショッピングモールや雑居ビル) が見当たらないものです。
例えば 「新宿」。 日本を代表する大商業地であり、ほとんどのオタク要素、萌え要素を持っていながら (東映の直営となるアニメグッズショップも以前は存在)、2000年代には 「オタクの街」 という印象は、ほとんどありません。 実際は激安カメラ店から派生する形でマニアックなショップが多数ありますし、メイド喫茶どころかコスプレのイメクラや風俗店もあり、ゲーセンの数は全国でもトップレベル、さらにファッションビルの中にはコスプレ用衣装を作っているショップが独自ブランドを立ち上げて多数入っています。
また歴史的にも 「おたく」 という言葉が生まれる前の1980年代当たり以前までは、若い女性などは 「新宿はダサい、カメラ屋しかない」「男のための街だ」 なんて評価していましたし、やや距離は離れるものの、学生の街である高田馬場 (古書店が多く、ソフマップが創業した地) と代々木 (アニメやコミックの専門学校がある) を両脇に抱え、学生運動などと連動し、アングラ で 「サブカル」 好きな若者の街というイメージが非常に強い街でした。
マンガ専門書店のはしりのひとつでもある 「まんがの森」 も、中野の 「まんだらけ」(1982年) 開店に遅れることわずか2年で、一号店が1984年10月1日に開店しています (現在は閉店してますが、イベントなどもよく催され、営業当時はよく行きました…)。
「新宿」 と 「中野」「秋葉原」「池袋」
新宿 さくらやホビー館 (さくホビ) さくらや破綻により、2010年2月28日に閉店… |
しかしいくら条件が揃っていても、その街を良くも悪くも代表し中核となる 「オタクショップ」 が登場しないと、「オタク街」 などとは呼ばれない傾向があります。
筆者は 「新宿」 なんかは、立派な 「オタク街」 だと思いますが、一般の客とオタク以外の要素 (ビジネス街とか飲み屋街とか風俗街とかの要素) があまりに多いので、「核」 がないとその印象が薄められ埋没してしまうのでしょうね。
「核」 になりえた 「まんがの森」 が他地域への出店とせず新宿駅近辺に多数のお店を展開していたり、それに追従する店舗が多数出現していたらまた状況は全然違っていたのかも知れません。 しかし新宿駅南口そばは家賃が高すぎ、一般人も多すぎます。 お店を出す側からしても、わざわざ店舗用不動産の家賃がバカ高い新宿をオタク街にしなくても、電車ですぐの場所にもっと安い中野や池袋、秋葉原などが存在するのが大きいのでしょう。
「新宿が最近ではあまりオタク街と呼ばれない」 というのは、新宿にその空気が充満していた時に 「オタク」 という言葉がなかった、もしくは2000年以降に比べはるかに 「ネガティブ な言葉」 だったことによる忌避が原因として大きいのでしょうが (下北沢などと一緒でサブカル街ではあるのでしょうが、サブカルという言葉はオタク以上にぼんやりとした広い範囲の言葉ですし)、その後の 「オタク街」 という名称の登場とその勃興を考える上で、大きな示唆とヒントを与えてくれると思います。
おたく名称誕生以前のおたくの街
「オタク街」 とか 「オタクストリート」(マンガ街とかオタショップエリアなんて名称も含む) などという名前がクローズアップされ盛んに使われるようになったのは1990年代中頃からです。
1990年代以降は 「おたく」 や 同人誌 などの市場規模が大きくなるタイミングでしたし、2000年代にはある種のブームともなっていますから、こうした地域背景を持ち核となるお店を持つ場所は、その濃度が自然と濃くなる条件が揃っていたのでしょう。
いわゆる 「バブル崩壊」 により不動産価格が暴落し、ペンシルビルのような小さな雑居ビルのテナント料や賃貸料が下落したのも大きな要因だと思います (とくに神田や秋葉原などは、大暴落状況でした)。
ただし 「おたく」 という 「言葉」 が生まれたのは 1983年ですし、おたくっぽい人間はそれ以前にもいました。 テレビゲームのない時代にテレビゲームのオタクは存在しませんが、「同じ人種」 はそれ以前に、無線とか鉄道模型とか 「同じ匂いがする 趣味」 に ハマ っていたものです。
秋葉原が 「オタクの街、萌えの街」 として一般にも注目を徐々に集め始めたのはファミコンブームとファミコン用RPG 「ドラゴンクエスト2 悪霊の神々」(ドラクエ2/ 1987年1月26日) や 「ドラゴンクエスト3 そして伝説へ…」(ドラクエ3/ 1988年2月10日) の発売によるドラクエ騒動が巻き起こった1980年代後半あたりからですが、それ以前から無線やビデオやレーザーディスク、模型、アイドル関連で多くの 「まだオタクと名づけられていないオタクな人たち」(筆者含むw) が大勢詰め掛けていました。
日本電気 (NEC) が発売したマイコンのトレーニングキット 「TK-80」 のユーザやマイコンファンが集う 「Bit-INN (ビットイン)」 が誕生したのは1976年8月3日、それ以前にはアマチュア無線や海外短波放送を聴く趣味で、多くの自作マニアが集まっていました。
古書店関連では、1990年に ライトノベル という ジャンル と名前が存在する以前にも、SF小説やファンタジーの愛好家がたくさんいましたし、マンガ専門店ができる前にも、マンガの古書を集めていた人はたくさんいます。 大手ゼネコンの再開発プロジェクトなどと違い、ある日を境に急激に 「オタク街」 に変貌したわけではないというのは、押さえておきたいポイントです。 その意味では 「オタク街」 は、日本中どこにでもある普通の商店街の成り立ちと同じです。 ただ扱う品物、商品が、一般人 向けのファッションやグルメなどと違い、「ちょっと一風変わっていた」 だけのことです。
オタク街がこの先生きのこるには
「秋葉原」 の 「一般の街への変化」 が急です。 また外国人旅行者向けの免税店も増え、オタクやパソコンから、家電の街に再び戻りつつもあります。 「おたく」 がいる限り、「秋葉原」 や 「中野ブロードウェイ」 からオタクの匂いが払拭されることはないでしょうし、「オタク街」 はどこかで生き続けるでしょうけれど、1990年代から2000年代にかけ全盛期を迎えた秋葉原を凌駕するオタク街は、日本では今後現れることはないのでしょう (規模だけで凌駕するのであれば、中国あたりに将来似たものができる可能性はあります)。次にオタクの聖地が現れるとしたら、それは ネット の中だとの意見もありますが、おそらくそれは半分当たっていて、半分はずれなのかも知れません。 どこかの 「オタク街」 は必ず生き残り、あるいは新しく 「オタクが集う街」 も作られるのでしょうが、それはネットとリアルシティとで補完しあってひとつになるような、そんなイメージがあります。
具体的な 「オタク街」 の地名や様子は…
なおそれぞれの 「オタク街」 の成り立ちや歴史、解説などは、それぞれの街の詳細ページにあります。 お時間がありましたらどうぞ。