天下のテレビ愛知のお膝元、名古屋 大須電気街
「大須電気街」 とは、名古屋・中京地区の大規模な電気街のある場所です。
大須のグッドウィル |
所在地は、愛知県名古屋市中区大須。 最寄り駅は名古屋市営地下鉄、鶴舞線の大須観音駅や、鶴舞線、名城線の通る上前津駅ですが、アーケードだけで何本もの大通り (南北に走る大須本道、新天地通、門前町通、東西に走る大須観音通、万松寺通、仁王門通、東仁王門通) を含む広大な商店街であり、また駐車場が非常に充実していて、筆者 は車でしか行ったことがありませ
街の 雰囲気 は、同じ大規模な電気街である東京の 秋葉原 や大阪の 日本橋 と云うよりは、むしろアーケード街が発達した 中野 に近いイメージで、歴史的にも 「秋葉原」「日本橋」 が戦後まもなく電子パーツを扱う闇市や小規模な小売店からスタートしたのと違い、だいぶ遅れてだったようです。 ただし中京地区の中心、大都市 名古屋とあって、「大須アメ横ビル」 の登場した1970年代の末には日本を代表する巨大電気街となっていました。
大須商店街公式サイト 「アット大須」 |
ちなみに 「秋葉原」「日本橋」 とこの 「大須」 を称して、「日本の三大電気街」 と呼びます。 5大電気街と呼ぶ場合には、京都府京都の 寺町電気街、兵庫県神戸市の 三宮センター街 などが含まれる場合がありますが、オタクストリート、オタク街 的な要素を含むと、福岡県福岡市の 天神北エリア (いわゆる親不孝通り (現在は 「親富孝通り」) などもよく話題に上ります (ただし電気店はほとんどない)。
大須商店街の公式サイト 「アット大須」 は、こちら です。
メイド喫茶のルーツは名古屋にあり? 何かと濃ゅい 「大須」
あるショップの様子 |
「秋葉原」 や 「日本橋」 の場合、電気製品の中でも無線やラジオ、ビデオやLDなどの映像ソフト、テレビゲーム (要電源) などの おたく が好む商品のラインナップから徐々に 「オタク化」 が始まりましたが、これは遅れて電気街となった 「大須」 でも同様でした。
その後お決まりのグッズショップ、同人ショップの登場と増殖になる訳ですが、特筆すべきは メイド喫茶 (コスプレ喫茶) の走りとも云われる 「飲食夜神 月天」(1999年常設店として開店〜2003年閉店、2004年に 「やすらぎ居酒屋 月天」 として復活) の存在でしょうか。
「巫女さん居酒屋」 といった風情のこの店は、後に東京・秋葉原に、イベント出店の形で生まれ2000年2月25日より史上初の常設コスプレ喫茶として開店した 「ゲーマーズカフェ」 に先んじてのオープンとなっており、居酒屋と喫茶店の違いはあるものの、後の同種店舗に大きな影響を与えたものと思います。
当時すでに ネット で話題となっていましたが、広くは コンセプト 居酒屋、2000年代に花開くコスプレカフェ系ショップの、まさに走りだったと云って良いでしょう (筆者も名古屋に行くと、「ひつまぶし」→「みそかつ」→「巫女」のフルコースでした…)。
「コスプレサミット」 と 「栄」 地区
大須 Stale ステール |
その後 2003年10月12日には、大須に局舎を構えるテレビ愛知により大須のローズコートホテルにて 「世界コスプレサミット2003」 が開催。 2004年も同じ大須で開催され、2005年の愛知万博(愛・地球博) の際には、愛知郡長久手町のEXPOドームに移転しての開催となりました (世界コスプレチャンピオンシップもこの時に初めて実施)。
以降は大須 永遠 のライバル、栄の 「オアシス21」 にその場を譲り渡すものの、大須と コスプレ と 「オタ文化」 との繋がりは、かなり高いといって良いでしょう。
蛇足ですが、有名な 「名古屋テレビ塔」(1954年6月20日に開業) の所在地は 「大須」 のライバル、名古屋城よりの大繁華街 「栄」 となります。
何でも揃う巨大商業地、大須
オタク 界隈 では電気街、オタクショップとして知られる 「大須」 ですが、実際のオタクショップ集合地としての規模は、実はそれほど大きくありません。 とりわけ電気街としての 色 は 「秋葉原」 や大阪の 「日本橋」 同様に年々薄れる傾向にあり、これは爆安をうたう全国チェーンの大型家電量販店や通販の安売り店が増えたこと、パソコンの低価格化により自作やショップ製の BTOパソコン などのメリットが薄れ、パソコンパーツショップ全体の規模が縮小していることなどが強く影響しているようです。
とりわけ中京地区の自作パソコンパーツ類の調達先として重宝されるアメ横ビル (第一、第二がある) のうち、第二はほぼ電気店の集まるビルの状況ではなくなっており (3階建てのうち、1階の一部に小規模なパーツ屋や電子部品ショップが残るのみ)、雑貨や衣料品店ビルのようになっています。
東京の 「中野」(ブロードウェイ) 近辺もそうですが、元々一般消費者向けの店が多く栄えていて、それ系の店が撤退したり閉店しても、まるで無関係のお店がすぐに入居することもあり、ある種の混沌ぶりが 「大須」 にはあります。 ここらは、元々中京地区でも屈指の繁華街であり、それこそ秀吉の時代から城下町として栄え、商店だけでなく大須観音や大須演芸場など、今も昔もランドマークとなるような文化の中心としての役割を持っていた、底力のある地域だからなんでしょうね。