主にマンガ、アニメ系のショップがひしめくオタクスポットです
「中野」 とは東京都中野区のことで、「中野ブロードウェイ」 は中野区中野5丁目にある大型のテナント入居形式のショッピングセンターのことです。 おたく やその筋の人が 「中野」 と云えば、通常はこの中野ブロードウェイを指します。
位置的には JR 中野駅 (中央線・総武線) 北口のまん前に口をあける大型ショッピングモール (屋根つきの商店街)、「サンモール」 を進むとその先に入り口があります。 また裏通りとなる早稲田通り沿いに地下駐車場の入り口があり (裏から店に入ることもできる)、クルマで訪れる場合には、新井交差点を目標にすれば分かりやすいでしょう。
実は結構大きい、中野ブロードウェイ
建物自体は地下3階地上10階で、商業 スペースはビル全体のおよそ半分ほどとなる地下1階地上4階部分 (それ以外は分譲の住宅スペースや、24時間営業 30分 300円の駐車場など)。 横に長く大型で、内部はかなり入り組んだ複雑な構造の建物となっています (俗に、中野ダンジョン、ブロードウェイダンジョンなどとも呼ばれます)。
住宅区域だけでなく商業区域もかつては分譲されていて、結果として現在は権利関係が非常に複雑で、地の利のわりに賃貸料が安く (ここらは猛烈な地上げにあった 秋葉原 なんかにも状況が近いですね)、小規模な個人経営のマニアショップ、オタクショップが開店しやすい特徴となっています。 有名な中野区の象徴、中野サンプラザの道を挟んで隣でもあります。 公式サイトは こちら です。
いわゆる オタクスポット、オタク街 として 「中野」 が全国に名を馳せているのは、この中野ブロードウェイに おたく や 腐女子、コスプレイヤー、模型の ファン、映画ファン、アイドルファン などなど、濃い人たちが好むショップが集中して入っているからです。 株式上場もしているマンガ専門の古書店 「まんだらけ」 の創業の地としても知られています。 フロアで云うと、2階以上の高層フロアに 100を超えるこの手の店が集まっています (1階なんかにも近年増殖してますが…)。
写真で見る中野、中野ブロードウェイ界隈
旧丸井本店の反対側が JR中野駅の北口 長いサンモールを進むと ブロードウェイの入り口に到達 まんだらけは大小様々な店舗が フロアに分散して存在 アニメワールドスターでセーラー ムーンのセル画を何枚買ったろ… |
あまりに有名なサンプラザ。 廃業の噂あり…その行方は? まんだらけは店ごとに 品揃えや性格が異なります フィギュアブーム、萌えブームと 共にプライズ系ショップも増殖 あたしの大好きな アニメワールドスター |
北口からバス停を抜けると 中野サンモールの入り口が まんだらけの本店。この規模の マンガ専門店のはしりのひとつ ひしめくオタクショップと そのショーケース こちらはサンモールや駅から反対側 駐車場入り口はこちら |
充実した古本屋街を持つ中野に1965年にかけブロードウェイ&ブロードウェイマンションが誕生
元々中野は、かなり規模の大きな古本屋街を持つ街でした。
古本屋街というと、神田神保町 が全国的にも非常に有名ですが、中野は規模こそ神田に大きく譲るものの、より若者向け、サブカルチャーの 雰囲気 が漂う街、中央線沿線のイメージ、空気もあり、映画ファンやアイドルファンが好む写真集やグラビア雑誌、ポスター やブロマイド類を扱うような古本屋が何軒もある街でした。
1959年、本格的な再開発が始まり、1961年に当時としては巨大なショッピングセンター、ブロードウェイとして産声を上げ、1965年に商業区域面積およそ2万7千平方メートルの大型店として開業するとサンモール連結の利便性もあり、街も活気付いてゆきました。 この種の立体商店街では日本最古と云われる アキハバラデパート の創業が1951年ですが、それからおよそ 10年後となります。 ちなみに同じ中央線沿線の 立川 に存在していた 第一デパート が、これに続きます。
サブカルの大動脈、JR中央線 沿線で
ところでこのブロードウェイ、本来は食品や衣料品、医薬品や日用雑貨を扱う店や、飲食店などが多く入った 「普通のショッピングセンター」 でした (現在でもそういう店が半数以上を占めます)。
また60年代から 70年代にかけて青島幸雄、沢田研二はじめ放送作家や文化人、有名人やタレントなどが住宅スペースに数多く居住していて (当時はフジテレビが新宿にあったり、スタジオが近傍にあったり、またアニメ制作会社が中央線沿線に多かったりと、かなり便利な地でもありました)、一種独特のオーラを持つ存在でもありました。
ところが新宿や渋谷、池袋などが 「巨大都市」 として発展する中、山手線エリアではない中野は徐々に商業都市としての魅力を失い (元々商業地というよりは住宅地といった地域ですし)、ブロードウェイにも 「空きテナント」 が目立つようになってきました。
そんな心の隙間、ではなくシャッターの閉まった売り場の隙間を埋めるように入ってきたのが、マニアックな品揃えのマニア向けの小さいお店でした。
1980年 (昭和55年) に、まんが専門の古書店 「まんだらけ」 が開店しました。 今でこそマンガ専門店やマンガ専門古書店など珍しくもありませんが、当時は非常に珍しく、また規模といい蔵書数といい専門店の名に恥じない内容で、「宇宙戦艦ヤマト」 に端を発する 80年代のアニメブームや、貸本時代の古いマンガ本の集約拠点の意味なども持ち、中野が 「漫画ファン、アニメファンの集まるメッカ」 のような形になってきました。
魔窟化する中、秋葉原との住み分け、そして池袋の腐女子化…中野の未来はいったい
80年代は一方のメッカ 「秋葉原」 も ゲーム (ファミコンの発売が1983年7月15日) やパソコン (マイコン)、それらが好きなオタクと親和性の高い鉄道模型やアマチュア無線、当時はまだ高価だった ビデオ、後には 「LD」(レーザーディスク) などを中心に徐々におたく化していきます。
どちらにも好んで足を運んでいた 筆者 からすると、秋葉原は今でいうIT系理系 (STEM) オタクのメッカ、中野や神田などは マンガ、アニメ、小説や ラノベ などの文系オタクのメッカにそれぞれ独自進化しているような感触がありました。 歴史は秋葉原より中野がちょっと古い感じです。 また秋葉原がもっぱら男性メインだとすると、中野は女性の比率が比べ物にならないくらい高かった記憶もあります。
うちアニメに関しては、中野のすぐそばの大泉学園 (ただしこちらは西武池袋線になるので、バスに乗りなれてないと行き来は結構面倒) には東映の大泉スタジオがあり、東映アニメーションの本社もあります。 ここから流れたアニメセル画などが中野のマニアショップで売られるケースが多く (大泉学園では東映により定期的にアニメのセル画の 頒布 なども行っていました)、「中野に行かなければ手に入らない」 グッズが強力にファンを誘引していたこともあります。
結果、秋葉原とは良い意味でオタクの住み分けが出来ていたのかな…って感じもします。 その後まんだらけはブロードウェイのあちこちのフロア、テナント 跡地 に次々増殖、またアニメセル画専門店や 90年代以降は同人誌やフィギュア、ドール関係の専門店なども次々にオープンし、地方のファンがコミケなどで東京に来たら初日は秋葉原、翌日は中野、みたいな独特の ステータス を持つに至ります。
おたく的な吸引力の増大に伴い、「中野好き」 を公言するサブカル的な有名人もあらわれ、中でも ミリタリー やソ連・ロシア好きで有名な人気声優の 上坂すみれさんなどは、ブロードウェイを 「わが心の故郷」 とまで呼び、称賛を寄せています。
乙女ロード出現で勢力図も塗り変わる?
この傾向は現在でも動きませんが、2000年台になり、マンガファン (とりわけマニアックなコミックファン、同人誌ファン) の多くを占める女性が 乙女ロード なる俗称まで生む池袋に集まるようになり、ちょっと最近の中野は元気がなくなってきているような印象もあります。
個人的には中野も他の地域同様、結構愛着があるので (ちなみに筆者が生まれたのは中野だったりします…)、秋葉原、池袋、御茶ノ水神田と良い感じに住み分けて互いに発展してくれると嬉しいですね。