同人用語の基礎知識

京都寺町/ 寺町京極商店街

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日本五大電気街のひとつ 「寺町京極商店街」

寺町京極商店街 アーケード入口
寺町京極商店街 アーケード入口
寺町京極商店街 電気街はこちらから
寺町京極商店街 電気街はこちらから
アーケードは途中で屈折
アーケードは途中で屈折
「とらのあな」 もご利益がありそうなたたずまい
「とらのあな」 もご利益がありそうなたたずまい
寺町京極商店街 電気街
寺町京極商店街 電気街

 「寺町京極商店街」(京都寺町商店街) とは、京都府京都市の寺町にある、アーケード形式の大規模商店街のことです。

 日本を代表する商店街、電気店街のひとつで、1590年 (天正18年) の豊臣秀吉による京都大改造計画から400年後となる1980年代末期から再整備が行われ、発展。

 その後 「ゲーマーズ」「アニメイト」「メロンブックス」 などの ゲームアニメ同人 など キャラクター 関連ショップの登場により、オタク街 としての怪しさも急上昇しました。

 ただし便宜的に 「寺町通り」 と呼ばれますが、その手のお店は結構あちこちに分散しています (寺町通りを中心に、新京極通り、蛸薬師通りなどに分布)。 京都の オタクスポット、電気店全体の大雑把な総称のような扱いでしょうか。

 ちなみに東京の 秋葉原 (アキバ) や 大阪日本橋 (オタロード)、大須電気街 に次ぐ規模の 「電気の街」「おたくの街」 として知られています (5大電気街と呼ばれる場合、これに 神戸三宮センター街 が入ります)。

寺町通りの名のとおり、お寺がたくさん

 大規模商店街のある街、おたく腐女子 の街という以前に、何しろ日本を代表する観光地、日本の歴史の大舞台でもある京都に位置しているだけに、近隣には名所旧跡が目白押しとなっています。

 歴史好きな年配者はもちろん、女性 (干し物歴女) の 聖地巡礼 などもかねてから行われているなど、「わざわざ遠くから時間とお金をかけて訪れる価値のある場所」 となっています。

 なお長らく 「電脳通り」 として知られていた 「寺町商店街」 ですが、郊外型で全国チェーンの大型家電量販店の出現や、パソコン関連商品の市場規模の縮小などにより、他の電気街同様、「電気の街」 といった 雰囲気 は1990年代末から急速に失われつつあります。

 2000年代以降は、プチアキバのようなつもりで大きく期待して訪れると、がっかりするかも知れません。 一方で、メイドカフェ のようなものはいくつか登場し、ここらも他の電気街と同じといったところでしょうか。

名だたる観光地が集まっているだけに、交通アクセスも容易

 交通アクセスは電車の場合、地下鉄の烏丸線 「四条」 から徒歩10分程度、東西線 「市役所前」 ゼスト御池10番出口 から出てすぐ、阪急電車の京都線 「河原町」 9番出口からすぐ、京阪電車本線の 「四条」「三条」 それぞれ下車して徒歩10分程度です。

 いずれも四条通から高島屋や藤井大丸を目印に歩いて、交差点の交番から本能寺方面に歩くとすぐで、四条通と交差する河原町通と烏丸通の丁度中間の通りとなります。

 日本に名だたる観光都市であり、京都市バスなども非常に充実しています。 詳しい路線図などもバスターミナルや停留所に掲示してあるので、観光がてら、こちらを利用するのも良いでしょう。

日本の歴史そのものでもある京都

寺町京極商店街の公式サイト
寺町京極商店街 公式サイト
市役所から見て寺町商店街の始点となる本能寺
市役所から見て寺町商店街の始点となる本能寺

 「寺町通り」 の歴史は古く、平安京 (794年〜) の時代には 「東京極大路」(京のもっとも東の通り) として存在していたようです。 しかしその後、室町時代末期の応仁の乱 (1467年〜1477年) などの戦乱で荒廃。 100年ほど続く戦国時代にも、あまり顧みられることがなかったようです。

 1590年、すっかり荒れ果てたこの通りを、天下人となっていた豊臣秀吉が再興。 その際、文化都市の中核となるよう、宗派を超えて80余りもの寺院を集め 「寺町通り」 と改名したのが、今日の寺町通りの原型となります。

 ちなみにこの時、かつての主君であった織田信長を偲び、信長が明智光秀に討たれ、その後焼失した本能寺も、この地に移転し再建されています (左写真)。

 多くの寺が集まったことにより人の往来も盛んとなり、宗教都市の目抜き通り、参道として発展。 数多くの茶店や料亭、商店が集まって活気付き、その後も京都の歴史と共に栄えて行きます。 江戸時代には多数の商店、職人の工房などが集まり、日本有数の名所に。

 江戸の日本橋から始まる有名な 「東海道五十三次」 の最後の地点が京都は鴨川に架かる三条大橋 (寺町三条) となっており、地元や近隣地域だけでなく、江戸の時代から日本中の人があつまる大観光地となっていました。

 幕末から明治維新にかけての戦乱や、第二次大戦の戦火からも辛くも被害を逃れ、日本有数の商店街として存続。 その後、前述した秀吉の 「京都大改造計画」 からおよそ400年後にあたる1980年代末頃からアーケードの更新など大規模な再整備が開始され、現在のような姿となっています。

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(同人用語の基礎知識/ うっ!/ 2005年6月22日)
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