人と云う字は人が支え合う意味なんです! 「1楽2活3黙」
「1楽2活3黙」 とは、1人っきりの時は楽しい、誰かと2人だけだと自分のペースが掴めて活動的にコミュニケーションが取れる、しかし3人 (もしくはそれ以上の複数人) の集まりとなると黙り込んでしまう…という、微妙なコミュニケーション能力 (コミュ力) の持ち主を表わすことばです。 似た言葉に 「中途半端に孤独」 の略で、中孤 というのもあります。
こうした 「1人〜複数人」 の対人コミュニケーション能力を示す分類方法はいくつかあり、「1寂2楽3盛」(1人っきりは寂しい、2人いると楽しい、3人以上いると盛り上がる) とか、「1楽2黙3焦」(1人は楽だが、2人だと黙りがち、3人いると会話の輪に入れず焦る)、「1楽2黙3苦」(1人は楽、2人だと黙りがち、3人以上いると苦痛だ) など、様々なパターンがあります。
「楽」 とか 「黙」「苦」「活」 など、1字で状況が簡単に示せますし、かといってたった1字だけなので説明しすぎることもなく、誰もが 「ああ、俺もそんな傾向があるな…」 なんて妙に納得しがちだったりして、扱いやすい感じでしょうか。 俗に3人いれば派閥が生まれるとも云いますが、やはり微妙なコミュ力の人間にとって、その場その場での人気取りやあらかさまな腹の探り合いが始まる複数人での付き合いは、一気にハードルがあがる傾向があるようです。
またこれは、大人数になるとこちらが場の空気に飲まれてしまうけれど、1対1なら相手1人だけを見ていれば良いから気が楽だ、という意味もありますが、相手にとっても1対1であるため、こちらに気を使ってくれている、だから話が弾むだけなどという場合もあります。 大人数になるとこちらに気を使ってくれる人がいなくなって、すなわち空気になってしまう訳ですね。
空気は読めるけれど、空気に乗ることはできない…
気がつけば、いつも隅で愛想笑い…1楽2活3黙 |
2人きりとか少人数だと楽しく会話ができるのに、3人以上とか大人数になると急に黙りこんでしまうタイプはかなり見かけます。
人数が増えると、声が大きくずうずうしいタイプの人がしばしば幅を利かせますし、内容のある会話というより、その場の ノリ や勢いが会話のメインになります。
お酒が入るとその傾向はますます上がりますし、大人数となると1人や2人の時には気にならない、「他人の目」「誰かの目」 を強く意識してしまいます。
空気は読めるけれど空気に乗れないタイプは、沈黙して愛想笑いだけしかできなかったり、教室の片隅で寝た振りをするしかなくなってしまうのですね。 また大勢の輪の中で主導権を握って会話をリードする人を、「ずうずうしい奴だ」「どうしてこっちに話を振ってくれないんだ」 と憎み、嫌悪するような傾向も見られます。
実際は会話をリードしていると思っていた人が、空気が読めない声が大きいだけの人間だったりして、その人がいない時に別の人たちから 「あいつは独りよがりで嫌いだ」 なんて陰口が出ると内心ほくそ笑んでしまったりもしますが、逆に 「あいつは人気者だと思ってたのに、実はみんなから嫌われていたのか…」 なんて自分の人を見る目のなさや友人らの表にはでない本心を知り、ショックを覚えたりもします (それらを感じる能力こそが、コミュ力の最たるものだったりもしますが)。
またそうした、「自分には感知できない人間関係のドロドロ」 を目の当たりにして、「俺も陰口の対象になっているのではないか」 と思い悩んだり、それらが相乗してますます大人数での会話が苦痛になり、恐怖となったりもします。
「1○2△3□」 といったパターンでパソ通時代に登場
こうした分類方法はいろいろな場所で様々なものが提唱されていますが、この 「1○2△3□」 といったパターンは パソ通 時代の おたく な 界隈 の 掲示板 やその集まりで、1990年代に提唱されました。 普通 「1○2△3□」 といった言葉は、「一富士二鷹三茄子」 とか 「一楽二萩三唐津」 など、優れた物、良いもののランキングをまとめた呼び方が一般的ですが、それをもじったような言葉になりますね。
ちなみにちょっと言葉の感じが似ている 「一楽二萩三唐津」 は、安土桃山時代、茶の湯の陶器の世界で、茶碗の名品、逸品の生産地をランキングしたものです (「一井戸二楽三唐津」 とも)。 ただし 「1楽2活3黙」 とは 1、2、3 の数字の扱い方からして定義が違い、直接の関係があるかどうかは不明です。
発祥はこの用語集の元となったサークル ぱらあみ 界隈で、いわゆる 「ぱらあみ用語」 の一つとなります。