同人用語の基礎知識

察してちゃん

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そろそろお昼になるね… 「察してちゃん」

 「察してちゃん」 とは、自分が何かをしたい、あるいは誰かにお願いをしたいとか不快な気分を伝えたいといった場合に、それを直接的な言葉にして相手に伝えず、態度や遠回しな言葉から察して欲しい、こちらの気持ちを汲んで自主的に自分が望むことをやって欲しいと願うようなコミュニケーションを取る人のことです。

 例えばご飯を食べたいと思った時に、「ご飯を食べよう」「何か食べるもの作って」 と相手に提案やお願いするのではなく、「もうお昼か」 といった遠回しな言い方をして、相手から提案が出るようコントロールしようとする行為がそれに当たります。 またそれで相手から 「じゃあご飯を食べよう」 と切り出されても、何が食べたいかを伝えず 「何でもいい」 と相手に丸投げし、「じゃあ中華で」「カレーにしようか」 と提案されてはじめて 「今は中華の気分じゃないな」「カレーは昨日食べたから今日はいいかな」 などと自分が食べたいものが出るまで遠回しに却下し続けます。

 途中で相手がしびれを切らし 「じゃあ何が食べたいんだよ」 と質問しても明確な答えは出さず、「何で分からないんだ」 などと不機嫌になったりします。 さらに相手が提案し 同意 した食事を食べてそれが失敗だった場合、「お前が中華がいいっていったんじゃないか」「だからカレーは嫌だっていったのに」 などと、その失敗の責任を全て相手に転嫁します。 逆にその選択が成功だった場合は 「自分がうまく導いた」 と内心ほくそ笑んだり恩着せがましくアピールしたりもします。

 また何か腹が立つことがあったとして、怒りを口にせず、何となく不機嫌な態度を取って、相手がそれに気付いて 「どうしたの?」 と質問するように仕向けたりもします。 もちろん訊ねられても答えることはなく 「何でもない」 ととぼけたり、それでもしつこく訊ねられたら 「えええーーー」 などと大げさに驚いてみせたり、「何で怒ってるのか本当に分からないの?」 などとそれに気付かないことを含めて相手の非を質問に質問の形で返したりします。

本人は本気で 「控えめな優しい態度だ」 と思ってたり

 この問題の深刻な点は、当の察してちゃん自身は自分が控えめで遠慮深く、相手の意志や意見を尊重しそれに合わせているとわりと本気で思い込んでいることです。 「あれが食べたい」「これが食べたい」 とはっきり口に出すのはわがままで押しつけがましいと思っていて、本心から相手を尊重している 「つもり」 なのが厄介です。 もしそれで失敗したら全ては相手のせいで自分はその被害者だと (ほとんど無意識に) 強く思ってしまいます。

 この被害者意識はかなり厄介で、相手に罪を擦り付けようなどとは思っておらず、心から本気で自分が被害に遭っていると思い込む人は結構います。 それどころか、過去に自分が心の中で思っていたこと、口に出してしゃべったことすら無意識に記憶を改竄し、後付けの感情が最初からそうだったと本気で思い込んだりします。 そしてその思い込んだ内容も、またしばらくすると記憶の改竄がされて正反対になります。 本人には全く自覚はありません。 むしろ自分の二転三転する気持ちや言動を基準に、最初から一貫して同じことをしゃべっている相手こそ意見が二転三転していると思い込んだりします。

 周囲の人間は常に相手の態度や表情から必死に 「その時点の心の中」 を推し量って提案と合意を取らなければならなず、コミュニケーションのためのコストを一方的に押し付けられて疲弊する一方です。 しかも失敗したら自分の責任にされてしまい良いところが何もありません。 仮に 「さっきはそれでいいと言ったじゃん」 と問い詰めても 「そんなこと一言も (口に出して) しゃべってない」 と反論され、それではと 「それじゃ分からない、はっきり口で言ってくれ」 と頼めば 「そちらの意見を尊重してるのに酷い」「お前はいつもそうだよね」 などと被害者面もされて、文字通り踏んだり蹴ったりな状況です。

 友人や知人なら、あまりに度が過ぎる察してちゃんは縁を切れば良いだけですが、家族や同僚ではそうもいかないケースも多く、とくに家族にいると心身が疲れ果てる結果となりがちです。

「察してちゃん」 と 「主語が大きい」

 察してちゃんと複合しやすい傾向に、主語が大きい があります。 「自分はこう思ってる」 ではなく、「社会はこう思ってる」 とか 「有名な〇〇さんはこう言ってる」「それが 普通 だし常識」 などと、意見の主語を自分ではなくもっと大きなものにすり替え、自分はそれに従っているだけだと主張するものです。

 また自分から答えを出さずに 「どうすればいいか考えて」「誠意を見せて欲しい」 などと相手に決定権があるかのように押し付ける云い方は、ヤクザ論法 とも親和性が高いでしょう。 いずれも察してちゃん同様に決めたのは自分ではないので結果に対する責任も取ろうとしません。 このような人と意思疎通や合意を形成するのは極めて困難でしょう。

 察してちゃんになってしまうのは、個人の性格や資質もあるのでしょうが、生まれ育った 環境 にも大きな影響を受けるものでしょう。 例えば親や学校の教師などが自分の下した命令を守ることのみを強要するタイプならば、自分の意見をはっきり口にするのが難しくなってしまうでしょうし、失敗を厳しく責め続けるタイプならば、自己保身のために責任を負わなくて済むよう振舞うようにもなるでしょう。 また周囲が甘やかしすぎて、それに甘えて察してもらうのが当たり前になってしまうケースもあります。

 その意味では察してちゃんにも同情すべき点は大きいのですが、子供のうちはともかく、いい年をした大人になってまで察してちゃんがいつまでも続くようなら、それを気づかせてくれる相手が現れた時点で、自省し改めるための努力はした方が本人にとっても気が楽になるでしょう。

 とくに家族や恋人といった関係性では、つい甘えてしまい、「そのくらい察してよ」 と感じられるケースも 日常 にあります。 これはこれで正しいものでもあります。 いちいち口にしてしゃべらなければ伝わらない相手と生活を共にするのも、それはそれで大変ですし、何でもかんでもああしろこうしろとはっきり口にし過ぎる人もそれはそれで厄介です。 コミュニケーションは関わる人それぞれの個性によってケースバイケースでもあるので、人の感情の機微も含め、とても難しい問題です。

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(同人用語の基礎知識/ うっ!/ 2012年12月10日)
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