自分の感情のみが判断基準… 「お気持ち」
「お気持ち」 あるいは 「お気持ち表明」 とは、ネット の世界においては、主観的かつごく些細なことでやたらと 「私は傷ついた」「苦しんだ」「不快な思いをした」 と声高に叫ぶことです。 またそれが単なる自分の気持ちや感想、一貫性がなくその時の気分や都合、党派性 などで基準がコロコロ変わる レベル のものであり、そのくせやたらと 主語を大きく して普遍的・絶対的な価値を持つ大問題であるかのように大騒ぎし、「配慮しろ」「改善しろ」 と直接的あるいは間接的に求める状態も指します。 これにより起こった騒動は 「お気持ち 案件」 などと呼びます。
騒ぎ立てる内容は様々ですが、ネットで 炎上 しがちな 可燃性 の高い話題、例えば政治問題とか差別問題、とくにジェンダー・フェミニズム的な テーマ で発信力のある人物が行うと、反論が反論を呼んである種の お祭り のような状態になることもあります。 おたく や 腐女子 に近いところでは、同人 の世界特有の お約束 やマナーに関する話題なども多いでしょうか。 本人は社会的に広く 共有 された普遍性や正当性のある話をしているつもりでも、実際は何の根拠も論理もなく、本人の単なる思い込みや主観に過ぎないため、その勘違いぶりに揶揄を込めてよく使われる言い回しでしょう。
なお頻繁に 「お気持ち表明」 で炎上を繰り返したり トラブル を起こすような人は、その主張と立場を異にする人たちからは繊細チンピラとかお気持ちヤクザ、あるいは ネット放火魔 などと呼ばれることもあります。 こうした人たちが行いがちな論法は ヤクザ論法 と呼びます。
平成の天皇陛下の 「象徴としてのお務めについての天皇陛下のおことば」
「お気持ち」 あるいは 「お気持ち表明」 の直接的な 元ネタ としては、天皇陛下が2016年8月8日に象徴としてのお務めについて国民に向けてお言葉を述べたビデオメッセージ 「象徴としてのお務めについての天皇陛下のおことば」 とそのニュース報道に由来します。
11分間ほどの動画は、陛下が次代への譲位を前提としたご退位を表明し、締めくくりに 「ここに私の気持ちをお話しいたしました。 国民の理解を得られることを切に願っています」 との結びの言葉が添えられたものでした。 これを受けてメディアなども 「天皇陛下がお気持ちを表明」 と報道。 天皇が代替わりし元号が変わるという大きなニュースであると同時に、「お気持ち表明」 という言葉自体が非常に使い勝手が良いものでもあったため、ある種の流行語のような広がり方をしたのでした。
なお 萌え語り や文字通りの感想や自分の気持ちを記した 投稿 を、自虐的 な洒落っ気であえてお気持ち表明と呼ぶこともあります。 またネット上でお気持ち表明をする人がしばしば長文で怒りや文句を表明することから、「お気持ち長文」 と呼ぶこともあります。
「お気持ち」 の意味と価値は?
ネットにおける 「お気持ち」 は、一般的に揶揄や罵倒、その裏返しとしての自嘲自虐の意味で使われがちですが、別に必ずしも批判されてしかるべき言動という訳ではありません。 人間には感情があるのですからお気持ちを外に向けたい時だってあるでしょうし、そもそも一般人が個人の アカウント でネットに投稿する文章などは個人的なもの、感情や気持ちが乗ったものであるに決まっています。 論文や公的な組織の声明ならともかく、ちょっとした世間話でいちいち感情がどうのと批判する方が野暮でしょう。
当然ながらほとんどのお気持ちは別に問題視もされず、身内や仲間内で 「あるよねそんな時」 くらいで流されて終わりでしょう。 しかしその内容があまりに ツッコミどころ満載 だったり、自分の感情に過ぎない話を社会問題かのように大げさに吹聴し、あまつさえ言い掛かりレベルの感情論で他人を 他責・他罰的 に口汚く 強い言葉 で批判すると、厳しい反応が返ってくるのも仕方がない部分があります。
とくにそうした投稿をした人が、日ごろは自由や人権、平等・反差別・多様性などを声高に主張している人だと、お気持ちによる他者批判がそれらに反していないかどうか、ダブスタ や ブーメラン になってないか、厳しい目で見られがちでしょう。
これは、同人の世界でしばしば 「学級会」 などと揶揄される、独りよがりの謎マナー・珍マナーを自明のものとして行う他者批判とか、言い掛かり・冤罪レベルのパクリ指摘なども同様です (しかもそうした主張をしつつ、自分はテレビやネットで拾ったと称して 画像 の無断転載をしたり、名誉棄損レベルの誹謗中傷を繰り返すなど、マナーどころか正真正銘の違法行為に限りなく近い言動を平然と行っていたり)。 当たり前の話ですが、他者を公開の場で批判する以上は、自分も反対の側から批判されるのは当然のことです。