四季折々の豊かな自然や文化 「日本には四季がある」
「日本には四季がある」 とは、日本には四季折々の豊かな自然、それに伴う人々の営みや文化や風習があって、季節ごとに様々な美しいもの、美味しいもの、楽しみがあるといった程度の言葉です。 旅行会社などが使いがちな、ごく 普通 のフレーズではありますが、ネット においては主に保守系、もっと端的に云えばいわゆるネトウヨと呼ばれるような人たちが、四季のあるなしで 「日本すげえ」 と自画自賛する様子を、逆の立場の人、端的に云えば革新あるいはブサヨ・パヨクと呼ばれる人たちが揶揄するためによく引き合いに出して使う言葉です。
言葉の意味としては文字通り 「日本は春夏秋冬の四季がある国ですよね」 程度の話ですが、別に四季は日本に限らず存在し、適度な緯度に国土がある国なら変化に富んだ四季を持っているものです。 それをあたかも 「他の国には四季がない」「日本にはそれがある」「日本すげえ」 かのような主張に聞こえなくもない云い方で自賛する様が、「これだから海外を知らない内向き志向のネトウヨは」 的に、ブサヨ・パヨクから 突っ込まれ たり揶揄されたりしがちなのでしょう。 とくに四季と云った天然自然に存在するもの (別にその人や日本人の手柄や功績ではない) を誇る様が、滑稽に感じられるという部分もあるのでしょう。
実際のところ、保守系と思われる主張を行っている人が、前述のような 「他国にはない四季が日本にはある」 といった ニュアンス の コメント をしているケースは散見されます。 確かにそれだけを 切り抜く と、「ネトウヨは海外の事を何も知らないやつばかり」「てか英語の four seasons とか spring、summer、autumn、winter は何のことだと思ってるんだろう」 とその無知を冷やかしたくなる気持ちは分かります。
旅行会社のキャッチフレーズっぽい言葉で揚げ足を取る人たち
一方で、いかにも旅行会社の国内旅行キャンペーンや プロモーション のキャッチフレーズにありそうな 「日本には四季がある」 は、字義通りの意味以外にも様々な文脈や行間があり、また別に 「他国には四季などない」 との意味も含みません。 例えば京都への旅行を促すキャンペーンで 「京都には秋がある」 というキャッチフレーズが使われたとして、「京都以外の場所にも秋はありますけど?」 などと突っ込むのは、よほどのへそ曲がりか幼稚な人でしょう。 また四季が存在しているというのと、春夏秋冬それぞれにその季節らしい豊かさやそこから派生した奥深い文化や楽しみがあるのとでは、意味も全く異なります。
「日本には四季がある」 から単純に 「4つの季節があるのね」 と受け取って 「でも4つの季節は日本以外にもあるよね」「それをありがたがるネトウヨは無知だよね」 と、ごく一部の人たちが行う極論を チェリーピッキング したり表面的な言葉尻だけを捉えて保守系全体をネトウヨだ無知だアホだと批判をするのも、あまりに皮相的で短絡すぎる意地の悪い物言いでしょう。 そもそも日本に四季があると云っただけで、何でネトウヨになるのかもよくわかりません (傾向として多いのはその通りなのでしょうが)。
常夏や常冬と呼ばれるような、1年中ほとんど季節が変わらないように見える国でも四季や雨季・乾季といった季節の移り変わりは存在し、外からはよくわからなくても、その国の国民やずっと住んでいる人なら感じられる季節の変化はあるものです。 ただし春に新緑が芽吹き、夏には海水浴ができ、秋には紅葉があり、冬には雪が降ってスキーやスノボができる国、それもその季節ごとに旬となる食べ物や様々な行事をふんだんに持っている国となると、世界を見渡してみてもそれほど多くはありません。
これは単にその国の面積とか緯度の位置とかで決まるだけで、たぶんに偶然の要素が強いものです。 日本は極めて国土の狭いコンパクトな国ですが、南北に長く海流変化の影響も大きい場所にあるため、四季折々で ダイナミック な変化に富む比較的恵まれた国になっているだけです。 もちろんこうしたダイナミックさは日本人好みの四季に過ぎなく、別に1年中海水浴ができても雪に埋もれていても、それが当たり前の国に住む人にとっては、それが自分たちの四季です。
日本人が日本の四季のありようを好み、自分たちの国には素晴らしい四季があると喜ぶ意見に、なぜそれほど腹が立ち、あるいは嘲笑してやろうと思うのか、ちょっと理解するのは難しいかもしれません。 まぁ 「日本すげえ」 みたいな話題は耳障りがいいので広がりやすいですし、そうしたものの中には明らかな誤解や誇張されたものも少なくないので、ちょっと突っ込みたくなるのはわかります。 しかしそれをすぐに右左の政治的な話にすり替えたり、「だから日本はダメなんだ」 みたいにことさらに嘆いてみせるのも、逆張り がすぎて見ていて辛くなります。