靴とともに靴下が伝来…とりあえず、靴下だけは脱がないで
「靴下」(Sock/ ソックス/ Socks) とは、靴の中に着用する肌着の一種で、足を守る防護・防寒のためのものです。 「靴中」 と呼ばれず 「靴下」 なのは、下着 (インナー) の一種であり、「中に着る」 のではなく、「下に着る」 からです。
■ クルーソックス
■ ソックス ■ ハイソックス ■ オーバーニー |
なおストッキングやパンティストッキング (パンスト) なども靴下の一種となりますが、「タイツ」 の場合は下着扱いとならず、従って靴下ではなくズボンの一種と分類されるようです。 「タイツ」 の足首から下がないものは 「スパッツ」(レギンス/ カルソン)、やや丈が長く ジャージ のように足首部分に土踏まずにかけるひも (足掛けひも) があるものは 「トレンカ」 と呼びます。
ところで日本の女子中高生などの場合、外野である男性の多くが清楚なハイソックスなどが見ていて好ましく思ったりするのに対し、女子中高生ら自身は 「くるぶし」 が隠れる程度の丈の短い 「クルーソックス」 や、ずり下げて履くような 「短め」 が好まれていた傾向が昔は強かったですね。 これは、そのぶん 「足が長く見える」 というのが大きな理由のようです。
その後足の長いのが当たり前みたいな世代になると、今度は ルーズソックス (ルーソ) や 紺色ハイソックス (紺ハイ) が流行りましたが、こちらは 「足を細く見せる効果がある」 というのが流行の原因だったようです。
代表的な各種靴下の丈のシミュレーションを、左の再現図で行うことができます。 画面下のソックス名にマウスオーバーすることで、画面が切り替わります (回線状況によっては、表示までに少々時間がかかる場合があります)。
靴下の歴史
「靴下」 の歴史は古く、服飾史的には紀元前2〜3世紀頃にアラビア遊牧民が原型を作ったとされます。 繊維技術の発明は古代エジプトとされていますが、最大版図の絶頂期であったエジプト新王国時代 (紀元前 1570年頃〜紀元前 1070年頃/ 第18〜20王朝/ 帝国時代とも) には西アジアとの交流や交易が盛んとなり、繊維技術や布が各地に伝播。 もちろん当時はとても貴重なものでしたが、この時代となると、実用品として活用されるまでになっていました。
アラビアなどでは砂や小石から足を守る必要があり、また高温で岩場も多く、靴は皮製のものが多かったようですが (靴下も皮製のものが原型だったようです)、足を衝撃や乾燥から守る必要があったのですね。 遊牧民によって作られた靴下はその後西洋に伝わり、そのまま靴下として定着する一方、乗馬などの小道具として独特の発展を遂げていきます。
オーバーニー を代表とする 「長靴下」 は、およそ紀元5世紀頃に誕生したとされています。 現在は女性専用のおもむきがあるオーバーニーですが、元は乗馬用などでガーターと一緒に男性の方が、むしろ好んで身に着けていたようです。 緩衝としての用途のほか、馬にまたがる際の摩擦から身を守るため、長さ (丈) が大きくなり、また外部から見えるために華美な装飾が施されるケースも増えました。
ちなみにストッキングの誕生は、原型はかなり昔からあったようなのですが、現在のような形状でのものが登場したのは、ぐっと下って 16世紀頃と云われています。
我が日本の靴下のルーツは平安時代の下沓
日本の場合は、紀元前から1世紀頃にかけて発祥した中国の靴下の影響が大きく、貴族階級が8世紀〜10世紀頃、いわゆる平安時代に、「下沓」(襪/ しとうず) を身に着ける文化が生まれています。 ただし部屋の中で靴を脱ぐ (いわゆる下履きと上履きを厳格に区別する) 日本の場合、西洋や中国などとは、また違った使われ方と発展をしていったようです。
華美な 「下沓」 は廃れ、その後日本の風土、気候、何より生活習慣に沿った形として実用性の高い 「足袋」(たび) が 11世紀頃に登場しますが (下沓の影響とも、狩猟民の道具 (音を立てずに歩ける) とも)、これも下履きが 「雪駄」「草履」 や 「下駄」 などのような 「西洋靴」 とはまったく異なる形状となっており、さらに地下足袋のように下履きとして使える足袋などもあって、海外との文化的なつながりはなく、独自に作られたものだったようです。 なお 「足袋」 が一般化するのは、17世紀頃です。
明治維新を経て、西洋靴と西洋靴下が伝来
戦国時代には南蛮船が日本にも頻繁に訪れており、西洋甲冑などが有力大名に献上される傍ら、西洋靴や靴下も伝来はしていたようです。 しかし本格的に日本に西洋靴と西洋靴下、いまのソックスが入ってきたのは、やはり明治維新前後からのようです。
当初は西洋文化を日本に伝えるようなファッションとしての着こなし、用途も多かったようですが、富国強兵、軍国化に伴いすぐに西洋式軍隊の導入が始まり、西洋風の軍靴にあう靴下が 「軍装品」 として大量に輸入され (「軍靴」 をはきこなすための 「軍足」(ざっくりとした手編み風の靴下、軍手の靴下版)、のちに自国で盛んに作られるようになりました (ちなみに維新前には最新式の西洋銃や軍装品の多くが国産化しています)。
当初は庶民が身に着けるようなものではありませんでしたが、しばらく経って西洋靴が普及すると、靴の中敷、緩衝材として必須となり (それまでの日本人にとって、西洋靴は固くとても窮屈で、素足で履くのは無理だったようです)、日本の紡績技術の発展と共に、広く使われるようになりました。 ただし庶民の生活で本格的に必需品、とまでになったのは戦後になってからのようです。
実用品として、おしゃれ着のひとつとして
「靴下」 に他の肌着と決定的に違う点が1つあるとすると、それは 「外から見える下着」 であるという点でしょうか。 キャミソールなど下着風の外着も流行っている現代ですが、肌着をそのまま外に見せているなんて服装品は、やっぱり靴下以外に見当たりません。
実用品であると同時に、足元を飾る重要なファッション アイテム のひとつとなっているといって良いでしょう。 加えて メイド服 などでその傾向が顕著ですが、トラディショナルで清楚な 雰囲気 を持つファッションなどでは、当時のファッションにあわせた靴下をチョイスするとコーディネートが決まる、「説得力と完成度が上がる」 ので、欠くべからざる重要なアイテムであるとも云えます。
前述した通り、「ルーズソックス」 や 「紺色ハイソックス (紺ハイ)」 などは、履くと足が細く見えるとの乙女心から発祥し流行ったものですが、足が長く見えるという 「クルーソックス」 や 「ずり下げ履き」 などの流行 (足が長く見える) ともども、こういうところも 「たかが靴下、されど靴下」 って感じがしますね。 柄や模様、色 が自由に選べる普段着の靴下と違い、学校に通う際の制服の靴下は色やバリエーションもあまりありませんが、時代ごとに、あるいは個人個人が流行などを考えながらそれぞれ工夫して履きこなしているのはさすがです。