中身よりも包装された状態の方が夢がある… 「パンツ」
「パンツ」(Pants) とは、もっぱら下半身につける下着 (インナー) のことです。
近年はボトムズ (ズボン) もパンツと呼ぶようになっていますが、ちょっとしたお色気話、なかんずく 同人 や フェティシズム (フェチ) などの世界でいうパンツは、女性 (女児、女の子)、もしくは男性 (男児、男の子) が下半身、陰部に身につける下着、肌着としてのパンツのみを指すといって差し支えないでしょう。
形状やタイプには様々なものがあり、また呼び名も色々なものがあります。 女性用の物の場合、アンダーパンツ、ショーツ、パンティーの他、とくに丈の短いものを指すスキャンティーや、逆に丈が長く股下があるズロース (いわゆるかぼちゃパンツ、厳密には別物) が代表的です。 一方男性用のものでは、ブリーフ やトランクス、ビキニ、メンズスキャンティーなどがあります。 またビキニやスキャンティーなどでは、TバックやGストリング、Cストリング (Iバック) など、より露出度の高いものもあります。
パンツはこれら全てを包括して呼ぶ一般名称としての使われ方がされますが、時代が下るごとに性意識の変化などによる言葉の変異 (男性・女性とで、同じ物を別の呼称で区別することを避ける傾向) があり、後の時代になるほど、接近している傾向があります。 また2000年代以降は、パンティーはほとんど使われなくなったといって良いでしょう。
人気のパンツプリント柄 |
シンプルな赤いリボン (ピンクもあり) プリント柄ではないが、女児のパンツといえばこれ |
1960年代〜1970年代の 人気パンツプリント柄といえばイチゴ柄 |
1980年代、ロリパンツといえば定番の 「くまさんパンツ」(ただしバックプリントに限る) |
爽やかな水玉模様 色プリントに白抜きの水玉は、よりロリっぽさが |
1990年代〜2000年代に一世を風靡した定番柄 「縞パン」(しましま横ボーダー柄) |
女性用と男性用では、もっぱら小便、おしっこの用をたすために、それぞれの性器に合わせ形状に明確な違いがあります。 男性用には男性器 (おちんちん) を取り出しおしっこをするための 「窓」 が股間部分につき、女性用は窓はないものの、多くの場合その部分に縫い合わせの布が二重についているのが普通です。
また一般に男性用パンツは布面積が大きめ、女性用は小さめで生地も薄いものが多いでしょう。 これは男性には男性器というでっぱりがあり、それを守ったりぶらぶらと動かないように保持したり、開口部の強度や耐久性を保つ必要があるからとか、一般に男性用衣服より女性用の衣服の方が薄く淡い色が多いから目立たず身体にフィットするようにとか、男性に比べ女性の体温調節機能が弱いので衣服で調整する必要があるからとか、様々な理由や説があります。 逆に冬場に着用する女性用の防寒用パンツなどは、男性用のそれよりずっと厚手のものが多かったりします。
基本は 「白」、そしてプリント柄による分類
パンツには様々種類や分類があるのは前述した通りですが、中でも 「柄」(プリント柄) による分類は、ある種の強い 萌え要素 として触れられる場合も多い、極めて独特なものとなります。
本来、パンツの柄にこだわるのは ロリ の傾向を少なからず持ち (プリント柄のついたパンツが子供用として広く使われていることから)、その傾向は1960〜1970年代から時代の移り変わりと共に加速している傾向がありますが、1980年代に、いわゆる ロリコン がブームとなるほどの広がりを見せると、「形状や材質ではなく、柄こそが大切」 との意識や独特の 萌え属性 を持つようになっています。
これはひとつには、マンガ や アニメ では視覚的に柄が表現しやすく印象に残りやすいこと、いくつかの特徴的な柄を自身の作品の重要なシンボルとして扱った ロリコン誌 や 美少女コミック誌 の著名な作家などにより、その魅力や意匠としての面白さを広く一般が 共有 することができる時代となったからでしょう。
柄パンの伸長と一世を風靡する 「縞パン」
人気のパンツ柄の変遷には色々なパターンがあり、当初は無地でおへその下あたりに前後を確認するための赤い リボン がついているようなもの (柄ではなく形状) だったのが、その後プリント技術の発展により、イチゴ柄、花柄、クローバー柄や、クマさんプリント、水玉などになり、2000年代前後からは スタイリッシュ な横縞柄 (縞パン/ ボーダー柄) へと、人気の主流が移り変わっています。
他にも特定アニメキャラの柄とか、くだものシリーズ、森の動物シリーズなどがありますが、中でも 「横シマのパンツ」 は、1990年代から2000年代にかけ、もっとも人気の高いパンツ柄といって差し支えないでしょう (あくまで、おたく の 界隈 での話ですが)。 これは一つには、横縞のパンツはイラストなどにする際、簡単にお尻の立体感を表現できる点が大きなポイントだからでしょう。
またいかにも女の子っぽい 「イチゴ柄」「花柄」 ではなく、スタイリッシュ・スポーティーな縞柄が人気なのは、おしとやかで従順な女の子から、活動的で気の強いタイプ、あるいは ツンデレ な キャラ が人気となっているのと、無関係ではないのでしょう。 それにあわせ、色調 も暖色系 (赤やピンク) から、寒色系 (青や水色) に、人気が移っています。
これらを一言でいえば、「かわいい系」「萌え系」「なごみ系パンツ」 とも云えます。 上に合わせるのはスポーツブラ (スポブラ) がぴったりでしょう。
形状・材質による分類
プリント柄より歴史が古いのが、形状・材質による分類です。 例えばハイレグやデルタ部分が小さいバタフライタイプのものや、派手なフリルがついたもの、ごく極端なものでは 大人のオモチャ としてのスケスケなもの、あるいは局部に穴のあいたようなものまであります。
また材質 (生地) も、木綿からシルク、あるいは布製ではなく革製だったり、場合によっては金属製のものなどもあります。 色についても白はもちろん、黒や紫、ショッキングピンクなど、材質共々何でもアリとなっています。
こちらは服飾史としての形状や材質の変化は別として、日本におけるマンガやアニメの世界での分類としては、ロリやロリコンとは正反対となるオトナっぽいムード、お姉さま や大人の女性のお色気に関する文脈で登場するケースが多く、いわゆるフェチとの結びつきもプリント柄パンツなどとは比べ物にならないほど強いものです。 ただし形状にこだわりながら白やそれに近い淡い 色 を使ったものは、メイド や メイド服 や ゴスロリ などが男性の間で人気となる中、精緻な描き込みによるフェチ的要素をもってロリっぽいキャラにも適応される場合があります。
こうした形状のものは、かつてはパンツではなく 「パンティ」(女性用パンツ)、「スキャンティ」(女性用パンツの小さいもの) などと呼ばれていたケースが多いのですが、その後一部のジェンダーフリーの影響などもあり、パンティなどの言葉が非常に古臭く感じられるようになったこともあり、1990年代からは 普通に パンツやショーツ (アンダーショーツ) と言い換えられるようになっています。 お色気パンツなどと呼ばれる場合もありますが、ブラジャーなどを含めた下着全般をあらわす 「ランジェリー」(Lingerie/ 子供や女性用の下着) と呼ぶ場合も多いでしょう。
こちらを一言で評すなら、「エロティック系」「セクシー系」「刺激系パンツ」 となるでしょう。
なお女性が意中の男性にアプローチし、可能であれば一夜を共にする覚悟を決めた時に着用するパンツに、「勝負パンツ」 というのがありますが、これは着用する女性の覚悟や心意気を示すための 「一張羅」「勝負服」 といった意味の言葉で、特定のパンツの形や色柄を指すものではありません。 こちらの言葉の 元ネタ は、競馬でレースに出走する騎手が身に付ける派手な勝負服あたりでしょう。
パンツの歴史…性意識の変化と時代の変化
日本における下着としてのパンツの歴史は比較的新しく、現代でいう洋式パンツを身につけるようになったのは明治時代以降、庶民が広く身につけるようになったのは昭和になってからといって良いでしょう。 それ以前までは何も身につけないか、男性はふんどし、女性は腰巻と、一枚布を巻く形で身につけていました。 立体裁断された洋式パンツは洋装が一般化し洋裁が日本に定着してからとなります。
日本でもっとも早く、いわゆるパンツを身につけたのは、1871年 (明治4年) の11月12日から 1873年9月13日まで、アメリカやヨーロッパを回った岩倉使節団の随員女子留学生と云われています。 総勢107人にも及ぶ使節団は、団長 (正使) の岩倉具視こそ髷に和服という純和風のいでたちだったものの、随員や留学生などは断髪、洋服であり、およそ2年にわたる欧米生活で、いわゆるズロースを下着として着用したとの記録があります。
国内においては、外国客や外交官の接待を目的に明治政府によって建てられた鹿鳴館 (1883年 (明治16年) 7月完成) を中心とする鹿鳴館時代の中で、まずは欧米人と接する貴婦人や上流夫人が、次にそうした階層の子供たちが通う学校などで、着用が進められて行きます (同時期、靴下 や セーラー服、ランドセル なども洋化政策推進の中で徐々に使われ始めます)。
火事をきっかけに、国としてパンツの着用を推進
1932年 (昭和7年)12月16日、現在の東京都千代田区にあたる東京市日本橋の白木屋百貨店で火災が発生。 出火場所が4階の玩具売場だったことにより、セルロイド人形が勢い良く燃え盛り、当時としては近代的高層建築物であった地下2階、地上8階の建物のうち、4階から上層部を3時間あまりにわたって炎が包みこみ、全焼するという事故がありました。 この火災では店員など14人が亡くなり、500人以上もの人たちが重軽傷を負う大惨事となりました。
この火災で亡くなった14人の犠牲者のうち、実に13人が女性でした。 その理由は、救助のためのロープをつたって上層階から下へ降りる際、大勢の野次馬が火災を見上げていたため、和服の裾が乱れ下半身を見られるのを恥じらい、ロープから片手を離し裾を抑えようとして力尽き、落下したというものでした。 当時は下着をつけていても腰巻、あるいは下着をつけない女性も多く、消防隊が決死の救出を試みたものの、女性の恥じらいから転落死することになってしまったようです。
白木屋はこの女性たち (若い女性の店員だった) を 不憫 に思い、翌年からは店員の服装を和服から洋装に切り替え、さらにズロース着用を義務付けることになりました。 この火災は全国にも大きな反響を呼んだ大事件だったこともあり、こうした取り組みも全国に波及。 国も 「女性はパンツをはくべし」 と、それを積極的に推奨することに励みました。
実際はその後戦争などもあり、女性が完全に和装から洋装に替り、ズロースやパンツなどの立体縫製の下着を身につけるまでにはさらに長い年月がかかりましたが、日本において女性のパンツという存在が決定的になったのは、この 不幸 な白木屋火災事故といって良いでしょう (一方で、防火管理の不備をごまかすため、ことさらにこのエピソードが強調されただけだとの異説もあります)。
以降は女性の間でパンツを着用することが広まりますが、現在のように 「ほとんど全ての女性が身につけている」 という時代が来るのはもっとずっと先、戦争とその後の物資不足の時代を経た1950年代 (昭和20年代) 以降となります。
大手下着メーカーの登場と、メディア戦略、下着ブーム
ズロースから現在でいうパンツ (パンティ) が本格的に普及したのは、1950年代からです。 これはひとつには、明治以来続いていた洋風文化が、戦争と敗戦、及びそれによるアメリカ文化の大規模な流入により、生活習慣として完全に根付いたことがあります。 また1954年から始まる高度経済成長により、日本が飛躍的に豊かになり、下着という外からは見えないものにお金をかける余裕ができたこと、映画などを通じて憧れていた豊かなアメリカの生活が身近になってきたこともあるのでしょう。
1949年には、アクセサリー 類の輸入販売を手がけていた和江商事 (1946年設立) が、京都百貨見本市でブラジャーを出品。 話題となり、高島屋と提携して3年後には東京に進出。 その後パンティなど女性用総合下着メーカーとして発展し、大手百貨店、メディアとともにボディファッションとしての流行を作り上げます。 この会社こそ後の 「ワコール」(Wacoal/ 1964年より) で、婦人雑誌などに積極的な広告展開を行い、その後テレビがメディアとして台頭すると、有名モデルやタレントを起用したCMにより、豊かでファッショナブルな女性下着の価値観を作り上げて行きます。
紡績メーカーとして明治29年に創業したグンゼも、1946年よりメリヤス肌着の生産販売を開始。 実用的な靴下やインナーなどは 戦前 から生産を行っていましたが、以降は生活必需品としての肌着を積極的に販売するようになり、得意の紡績技術、新素材 開発 などによる、新しいインナーの世界を牽引して行くことに。 パンツとは直接関係がないものの、1952年からのナイロン製フルファッション靴下の生産開始は、下着全般に対する大きなコストダウンや普及への弾みをつけた出来事ともなっています。 高級品だったパンツが、誰でもが当たり前に身につける必需品となり、さらにある種のファッション、オシャレな アイテム になったのがこの時代でした。
1950年代中頃に、もう一つ大きなブームが起こります。 読売新聞の記者から下着デザイナーとなった鴨居羊子がメディアに華々しく登場、白やベージュなどの 地味 な下着が主流だった時代に、女性らしさ、セクシーさをアピールするカラフルで豪華、あるいは挑発的なデザインの下着類を多数発表し、女性開放運動などの空気もあって、大きな話題となりました。 なかでも1955年に鴨居が提唱した 「スキャンティ」 は風俗的な下着ブームも巻き起こし、現在に続くパンツの地位を確立したといって良いでしょう。
ミニスカートとスカートめくりとパンツ
丸善ハイオクガソリン 「100ダッシュ」 に出演 小川ローザ 「風が落とした涙」 も大ヒット 「オーモーレツー」 は流行語に (1969年) |
パンツ、なかんずく女児や若い女の子のパンツが強烈に印象づけられたのは、1960年代の ミニスカート の流行と、1970年代の 「スカートめくり」 の大流行でしょう。
日本にミニスカートが入ってきたのは、イギリスの女優、「ミニの女王」 とも呼ばれたツイッギー (Twiggy/ 小枝の愛称/ 1949年9月19日〜) の 1967年10月18日の来日からですが、ミニスカートであるからには、昔風の大柄なズロースやパンツではなく、小ぶりなスキャンティーやパンティなどが必要になります。 そのための準備は、すでに1950年代の下着ブームで日本は整っていました (この時、パンティーストッキング (パンスト) もブームとなり、その後日本に定着します)。
スカートめくりについては、直接の発端としては、1969年 (昭和44年) に放映された丸善石油 (現コスモ石油) のハイオクガソリン 「100ダッシュ」 のCM 「猛烈ダッシュ」 が大きな話題となった点があります。
このCMでは、ミニスカート姿の小川ローザの横を猛スピードの車が走り抜け、その風でスカートがめくれて白いパンツがチラリ。 その後 「Oh! モウレツ」 とコメントする描写があり、この 「Oh! モウレツ」 は流行語となり、小川も人気タレントに。 そしてこの 「ミニスカートが風でめくれる」「パンツが見える」 というのを取り入れたのが、スカートめくりだったのでした。
この小川ローザのスカートが風でめくれるというシーンは、マリリンモンローの映画、「七年目の浮気」(The Seven Year Itch/ 20世紀フォックス/ アメリカ公開/ 1955年6月3日/ 日本公開/ 1955年11月8日) で、地下鉄の通気口の上のモンローのスカートがめくれる サービスカット からの影響も見られますが、ミニスカートの流行により、身近になった点がインパクトして大きかったのでしょう。
スカートがめくれてパンツがチラリ… 「いや〜ん」 が様式美に
主に小学校の男児の間で流行ったこの遊び (女の子にとっては イジメ) は、当時社会問題化するほどの騒ぎとなり、中でもこの遊びを取り上げたマンガ、「ハレンチ学園」(永井豪/ 週刊少年ジャンプ/ 集英社/ 1968年〜1972年) は、有害図書 だとして槍玉に上がっていました (女児はパンツ防衛のため、スカートの中に ブルマー などを着用するように)。
この時代に女児のスカートをめくっていたのが、いわゆる 「おたく第一世代」 ともされる世代であり、アニメやマンガ、特撮番組などで、当たり前のようにスカートめくりが行われる → パンツを見ることが男性にとって喜ばしいことだという意識が刷り込まれる お約束 を作ったとも云えるでしょう。 これは 「ドラえもん」 などの子供向けのアニメでもそうですし、1974年から放映を開始した 「宇宙戦艦ヤマト」 などでも同じです。
すなわち、1950年代にパンツが普及し、1960年代にミニスカートが広まって、1970年代にスカートめくりが流行し、それらを経てやっと女児のパンツがこの上なく珍重されるようになった…。 そう考えると、たかがパンツといっても、様々な文化や事件が 絡み 合い、複合文化としてのスカートめくりから 「ぱんつ萌え」 が生じたといって良いでしょう。 まぁいうほどスカートめくりは流行った記憶はないんですが (実際に目撃したことも1度あるかないか程度)、それはともかく 奥が深いというか、情けなくて涙が出てきます。 でも後悔はありません。