何度も見た名作を、また新鮮な目で見たい…
「記憶を消してまた見たい」 とは、すでに見たことがある、あるいは読んだことがある アニメ や マンガ、ラノベ、あるいは ゲーム といった エンターテインメント系 の コンテンツ を、内容を知らなかった昔の状態に戻って再び味わいたい、初見の新鮮な気持ちで見直したい、という意味で使う言葉です。
とくに伏線が巧みに張られていたり、どんでん返しのあっと驚くような結末だったり、初めて見ると新鮮な驚きが感じられる筋書きを持つ作品だった場合などには、賞賛の意味をつけてこうした言い回しがよく使われます。 もっぱら 「面白かった」「好きだ」 と感じる作品にこうした感情を抱くものですし、初見時のワクワクやドキドキ、興奮を、好きなこの作品でもう一度味わいたいと思うのは自然な感情でしょう。
「記憶を消してまた見たい」 の他、「もう一度みたい」「最初から読みたい」「プレイしたい」 などのバリエーションもあります。
未見の友人や家族が羨ましい…「名作を初めて見る」 という、一度だけの体験
とりわけこうした感情が大きくなるのは、自分がかつて見て面白かった、衝撃を覚えたという作品を、未見の家族や友人と一緒に再び見る時でしょう。 自分は見たことがあるので 「あ、そろそろあのシーンだな」 などと思いながら見るわけですが、今回が初見となる家族や友人らは、昔の自分が初めて見た時のようなリアクションや 新鮮な悲鳴 をして楽しんでいたりしますから、そうした姿を微笑ましく感じる一方、自分も同じようにまた楽しみたいと、ちょっと羨ましく感じたりもするでしょう。
名作や 鉄板 扱いされるような優れた作品は、何度見ても、あるいは時代性を帯びて多少古びても面白さや輝きは失いません。 またそうした作品はテレビで度々再放送されたり、時代を超えてずっと後に見始める人もいますから、有名作品などが再放送や再配信されると、ネット の実況系の 書き込み などで、こうした言い回しで懐かしむ人が出てくるようです。
なお 「記憶を消してまた見たい」 だけでなく、「若いころの自分に戻って」(感性が若々しい状態で) とか、「高校時代の彼女と一緒に」(これを初めて見た頃に戻りたい) などなど、様々な派生条件が付く場合もあります。
名作だからこそ 「あえて見ない」 人も
一方、誰もが絶賛し、名作中の名作といった評価が定着し、テレビなどで何度も何度も再放送されているような有名作品を、「だからあえて見ない」 という人もいます。 すなわち、「一度しかない初見の楽しみを残してる、取ってある」「見てしまったらその楽しみが永久に失われてしまう」 という訳です。
またこれは、あまりに名作との評価に触れすぎたために見る前の期待値が上がりすぎ、いざ実際に見たら期待外れだった…との状況を抱きがちなこともあり、それを恐れているという部分もあります。 とくに友人知人らが名作だと盛んに主張している作品で 「思ったより面白くなかった」 と感じてしまったら、その後の会話や人間関係が面倒になるという点もあります。 得てしてそういう友人知人は、未見者が見たと聞いたら 「どうだった? 面白かったろ?」 と瞳をキラキラさせて訊ねてくるので、がっかりさせるような事を云いたくないし、かといって嘘をつきたくないし…みたいな状況になったりしますから。