もう日本は終わりだ… 「尾張守」
「尾張守」(おわりのかみ) とは、本来は律令制における日本の地方行政区分である尾張国 (現在の愛知県西部) の守護 (守) を示す官職名のことです。 従五位下に相当する官職であり、同国の守護代で後に守護の斯波氏を放逐した織田信長や、江戸時代には尾張徳川家が代々その職に就いています。
一方、俗語や ネットスラング として使われる意味として、何かが終わる、とくに 「日本はもう終わりだ」 といった悲観的・批判的な意見を口にする人を、「終わり」 と 「尾張」 のダジャレとして尾張守と呼ぶことがあります。 「終わり」 の代わりに 終わコン (オワコン) や 地獄 といった ネガティブ な言葉が使われることもあります。
似た言葉に、何かにつけて海外と日本とを比べて批判する人を 出羽守 と呼びます。 「海外では」「欧米先進国では」 の 「でわ」 をかけたダジャレですね。 この他に 「誠意」 をやたらと口にする人を揶揄して 「征夷大将軍」(誠意大将軍) と呼ぶこともあります。
尾張守と出羽守、夢の共演で日本下げも絶好調
尾張守と出羽守の相性は抜群で、日本と海外との比較による日本下げはひとつの テンプレート や伝統芸になっている部分もあります。 もちろん海外と比べて日本が劣っている部分などいくらでもあるので、優れた海外の制度や考え方に関する知見を取り入れて日本をより良くする努力は大切です。 しかし評価している海外の知見に誤りや誇張があったり、日本に対する過小評価や偏見があったり、それぞれの国の地理や歴史、文化・政治的な違いを加味して比較しなければ、意味のない議論になってしまうでしょう。 日本憎しの余り 認知が歪ん で罵倒するだけでは、周囲の反感を買うだけです。
全てがパーフェクトな理想国家など存在しませんし、海外の制度や思想を取り入れればよいという訳でもありません。 呼び方や形が多少違うだけで同じものがすでに日本には存在していて、本人が不勉強でそれに気づいていないだけの場合もあります。 きちんと調べることもなく、しかもその論の最後が投げやりな 「日本は終わりだ」 では、建設的な話し合いもできなくなってしまいます。 ひどい場合には、日本の方が優れているのにわざわざ失敗した海外の政策を導入しようなどというおかしな人たちもいます。
日本が終わっているはずなのに、日本にしがみつく人たち
「日本は終わりだ」 と主張している人が、日本を捨てて海外に移住したり日本に持っている資産の全てを海外に移したといった行動を伴う場合は、それはそれで一つの信念に従った一つの見識でしょう。 しかし尾張守や出羽守の大半はそんなことはしません。 ひたすら日本にしがみつき、不機嫌な態度で日本の悪口をぶつぶつとつぶやいているだけです。
日本が終わるなら日本にいても仕方がないし、円建ての資産も紙屑同然になるので保有し続ける意味が分かりません。 要するに本人も日本が終わりだなどとは全く思っておらず、ただ憎まれ口の極論を口にして憂さ晴らしをしているだけなのでしょう。 あるいは何らかの目的のために 他責的 な極論で 情弱 や バカ を 釣っ ているのかも知れません (バカスクリーニング)。 子供じみた拗ね方や 言行不一致 は ネット の時代は容易に視覚化され、また 共有 もされるので、尾張守や出羽守の意見をまともに取り合う人も減少の一途でしょう。
ちなみに日本や指し示す対象 (例えば自分の人生とか) に対して批判的な意味以外で終わりを使うこともあります。 自虐的 な ネタ としての使い方で、\(^o^)/オワタ みたいに 顔文字 で表現されることも多いでしょう。 逆に \(^o^)/ハジマタ が使われることもあります。






