相手に対して負のレッテルとして使われる…「〇〇しぐさ」
「〇〇しぐさ」(仕草) とは、ある特定の 萌え属性 や特徴を持つ人が 「やりがち」 な行動のことです。 例えばそれが おたく にありがちな言動だったら 「おたくしぐさ」 となります。 単に 「〇〇っぽい」 という意味で使われる場合もあります。 通常は強い揶揄や嘲笑といった ネガティブ な ニュアンス があり、もっぱら対象となる相手を侮蔑・罵倒する文脈で使われます。 ある種の 「レッテル」 といってもよいかもしれません。
この言葉の 元ネタ というか、強い影響を与えた言葉としては、いわゆる 「江戸しぐさ」 の存在があります。 「江戸時代に庶民の間で行われていた他人への配慮やマナー」 といった意味の言葉で、「現代人は江戸時代の人たちの優れた配慮やマナーに学べ」 との趣旨で触れられ、AC (公共広告機構) のテレビ CM で取り上げられたり、2008年には義務教育などでも道徳学習として教科書や教材に内容の一部が取り入れられるなど、一時期は強い影響力を持つものでした。
矛盾だらけの 「江戸しぐさ」 が話題となる中で
当初この 「江戸しぐさ」 は、多少の誇張や美化・こじつけなどはあるにせよ、根幹部分はおおむね事実に基づいた内容だと思われ、好意的に見る人も多くいた話でした。
そもそも 「人の立場に立って配慮しよう、思いやりを持ってそれを行動に移そう」 という主張は耳障りが良いですし、江戸時代という比較的身近な古い時代に対するノスタルジックな ロマン、「美しい日本の伝統」「古き佳き日本」 といったイメージは一般にも広く受け入れやすいもので、積極的な検証があまりされていなかったといって良いでしょう。 また単なる江戸時代風の パロディ として受け取る人もいて、史実がどうのといった指摘は野暮だとする空気もありました。
しかし AC で紹介されたり教育の場で扱われるようになると、時代背景的にあり得ない内容が多数含まれていたこともあり、徐々に厳しい 突っ込み や検証がされるようになります。 例えば雨の日に傘をさして狭い道で誰かとすれ違う際に傘を反対側に傾けて雨のしずくが相手にかからないように配慮する 「傘かしげ」 がありますが、江戸時代に庶民の間で広く傘が普及していた事実はなくありえません。 また年賀状が存在しない時代なのに年賀状のマナーがあるなど、あまりの 雑 な作り話っぷりが広がると、今度は揶揄や嘲笑の対象として話題に上るようになります。
存在を裏付ける研究結果や資料・証拠などが全くないこと、存在を主張する団体が実質的にビジネスとして展開して公共性の高い事業に入り込んでいたこともあり、次第に信憑性や透明性に大きな疑問の声が挙がり始めます。 さらにそれを指摘されると 「証拠や根拠がないのは、明治になって江戸しぐさが取り締まりや弾圧の対象になったからだ」「江戸っ子の大虐殺 (江戸っ子狩り) があった」 などと史実に反する荒唐無稽な話まで出てきて、ますます批判が高まることとなりました。
テレビ CM や道徳教育において作り話を事実として紹介するのはおかしいのではないかとの主張が2014年頃から徐々に強まり、ネット を中心に様々な検証や批判に晒されることとなりましたが、なかでも作家 原田実さんにより自身がネット上でこれまで行っていた反論をまとめて著された 「江戸しぐさの正体 教育をむしばむ偽りの伝統」(星海社新書) が決定打となり、単なる作り話、インチキ臭い架空のものとして、まともな議論に乗せられるような話ではなくなったと云って良いでしょう。
主に保守的な層からの 「江戸しぐさ」 推進や擁護論
一方、「事実には反するかもしれないが、主張そのものは他人への配慮、思いやりなど良いことを伝えているのだから、それでいいではないか」「史実ではないからといって内容全てを否定するのはおかしい」 との意見が、江戸しぐさの存在を主張する NPO 法人や関係者以外からも次々に現れることに。
しかしその多くが、いわゆる 「親学」 とか 「EM菌」「水からの伝言」「ゲーム脳」「スキンシップ遺伝子」「分子栄養学・オーソモレキュラー療法」 といった偽科学、インチキ話の類を信奉し推進する人たちだった (一般的には、いわゆる保守的な人が多かった) こともあり、こうした見苦しい 詭弁 を 「保守しぐさ」 とか 「偽保守しぐさ」 などと反対派が揶揄するようになります。 それ以前からも江戸しぐさが話題となる中で 「しぐさ」 部分を利用した対象を選ばないアレンジ言葉の流行がありましたが、その後は自分の主張と異なる立場の人を批判する文脈でも盛んに使われるようになっています。
なお保守や右派だとされている人の中にも、こうした非歴史的・非科学的なデタラメを批判する人がたくさんいますし、逆に革新や左派だと思われている人でもこれらインチキ話に好意的な人もいます。 政治的な立ち位置とは無関係に、単に情報やメディアに対する リテラシー がない人や 情報弱者・意識高い系 の場合もあります。 「ちょっとイイ話」 は誰かに話したくなり、善意によって広がりやすいのでしょう。
ただこうした センシティブ な テーマ は、政治的なそれ以外のテーマと合わせて語られることも多く、いきおい 「〇〇しぐさ」 も、政治的ポジションが合わない相手への皮肉や罵倒・レッテルとして使われることが多いといって良いでしょう。 例えばそれは、「ネトウヨしぐさ」「パヨクしぐさ」「フェミしぐさ」 といった言い方になります。 当初 「しぐさ」 は 「思いやりや配慮」 とか 「古き佳き日本」 を指す言葉だったのに、いつのまにやら他人を罵倒するレッテルになったのは、それはそれで現代的な趣のある流れなのかもしれません。