あまりのひどさに怒り心頭に… 「ガンジーでも助走つけて殴るレベル」
「ガンジーでも助走つけて殴るレベル」(ガンジー助走) とは、あまりのひどさから強い怒りが生じ、非暴力の抵抗運動で知られるインド独立の父 マハトマ・ガンジーですら暴力に訴えてしまうほどの内容・レベル だとの ネットスラング です。 単に殴るだけでなく、助走までつけて全力殴打を志向している部分が、その怒りのボルテージの高さとこのフレーズの言葉のチョイスの妙を感じさせます。
言葉の 元ネタ は、掲示板 2ちゃんねる に 書き込ま れた レス からとなります。 初出となる スレッド は2010年10月21日に 「芸スポ+」(芸能・音楽・スポーツ ニュース速報+) に立てられた 「【サッカー】杉山茂樹「僕の主張の正しさ、ザッケローニが証明している格好だ(自慢するわけではないけれど)」 の 70番目のレス、
70 :名無しさん@恐縮です:2010/10/21(木) 13:10:58 ID:nQPhQa5oO
ガンジーでも助走つけて殴るレベル
となります。
「AVウンコ」 と 「もう物売るっていうレベルじゃねぇぞ!」
ただしそれ以前からネットでは罵倒のための 露悪的 な ネガ比喩 として 「AVならウンコ食わされるレベル (AVウンコ)」 という言い回しとその派生バージョンがたくさん使われていて、単純にこのフレーズのアレンジ版だと見ることもできます。 こればかりはレスした人に聞いてみないとわかりません。
もっとも、表向き使うのがはばかられるような下品な言い回しである 「AVウンコ」 に比べたら、「ガンジー助走」 の方ははるかに ネタ として使いやすいフレーズなので、これ以降はこうした言い回し全般を 「ガンジー助走」 と呼ぶ方が多いかもしれません。 なお 「○○のレベル」 というフレーズは、AVウンコの少し前に流行した 「○○ってレベルじゃねーぞ」(2006年) あたりの直接的な影響から生じたものでしょう。
何かと批判されがちだったスポーツライター杉山さんの記事で
このスレッドは、同日エントリーされたスポーツライター杉山茂樹氏による 「杉山茂樹のBLOG」 が記事化されたニュースを元に立てられたもので、主な内容はサッカー日本代表監督 岡田武史氏や、岡田氏を起用し続けるサッカー協会や、それを積極的・消極的問わず支持する ファン の姿勢を批判するものでした。 同ライターはかねてから岡田監督批判の急先鋒の一人であり、日本代表からの退任を求めていましたから、チームの成績が下降する中、「それみたことか」 といった ニュアンス が強い記事となっていました。
記事では、日本チームは選手個人個人の力では他国に劣るため、一人の監督の元で長期間にわたってじっくり修練してチーム力を高めることが必要だとして岡田氏に丸投げに近い形で託してきたものの、今年に入り次のワールドカップが近づきながらも岡田ジャパンの力は下降線を辿っていると指摘。 しかしこのような状況になっても岡田続投がなされ、「いまさらどうにもならない」「悪いのは監督だけじゃない」 といった責任逃れや責任を選手に押し付ける声が聞かれるようになったと主張します。
その後2010年8月30日に岡田氏に代わりアルベルト・ザッケローニ氏が就任すると、わずかな期間でチームのコンディションが上昇傾向になったと感じられたことから、杉山氏はこの記事で自分の主張が正しかったとし、
「そうした中で僕は「それなりの人物なら、3か月あれば十分だ」と主張したわけだが、そのことの正しさをいま、ザッケローニが証明している格好だ(自慢するわけではないけれど)。」
と自画自賛の 勝利宣言 を行います。
しかしこれらの主張の比喩として、岡田監督の元で生じた日本チームの不調を病、それもガンになぞらえ、「前任者が約2年半掛けても治せなかった病を、ザッケローニは僅か1週間程度の 合宿 で完治させることに成功した。」「ガンが体中に転移していたわけではない。」「手をこまねいたままガンの侵攻に手をこまねく姿に憤りを覚えたのだ。」 などと記していることから批判が起こり、というよりそもそも同氏の自画自賛的な主張がかねてから一部のサッカーファンから毛嫌いされていたこともあり、この記事にも同氏に対する バッシング があふれることとなりました。
そうした中で出てきたレスがこの 「ガンジーでも助走つけて殴るレベル」 ですが、云い回しの妙もさることながら、改変やアレンジがしやすい優秀な テンプレート となるフレーズだったこともあり別スレや別板にも伝播。 様々な別バージョンが生まれ、一躍 ネットミーム となったのでした。 なおこの記事のタイトルの一部となるフレーズ 「〇〇だ (自慢するわけではないけれど)」 も、この記事や同ライターを揶揄・罵倒する目的で一部で使われたりもしました。
「ガンジーでも助走つけて殴るレベル」 アレンジバージョン
アレンジバージョンは様々あります。 代表的なものに 「ノートン先生が反応するレベル」「ワタミでも労災下りるレベル」「マザー・テレサも見て見ぬ振りするレベル」「テレ東が緊急ニュース流すレベル」 などもありますが、ほとんど無数にあると云って良いでしょう。
ただしこれら 「○○なら□□レベル」 という言い回しは先行する 「AVならウンコ食わされるレベル」 の派生バージョンが多数あるため、「ガンジーでも助走つけて殴るレベル」 が使われた 2010年以前から使われていたものもあり、「ガンジー助走ネタの派生」 だとは云えないものが多くあります。
平和や人権を体現する偉人として認知されるガンジーさん
ガンジーは、第二次大戦後のインド独立運動で中心的な役割を果たした歴史上の人物です。 当時インドを植民地としていたイギリスの圧政や暴力に対し、同じ暴力でやり返すのではなく話し合いで解決しようとする活動を行っていました。 インドからヨーロッパに渡って国際会議に参加したり要人との対話を図るなどして訴えますが、イギリス側は様々な嫌がらせや妨害などを行い実質的にこれを拒否されてしまいます。
ガンジーは次の抵抗運動として、非暴力不服従という方法を取りました。 これは暴力は使わず、しかし相手の命令にも従わないというもので、単に方法として平和主義的・人道主義的な穏健な運動であるばかりでなく、反撃ができない中で武器を持つ相手と対峙し続けるという、ある意味で独立戦争を行うより勇気が必要な厳しく過酷な運動でした。
イギリスによって度々投獄されるなどしたものの、賛同者が増え、多くのメディアなどに取り上げられて世界的に有名となり影響力を増します。 また非暴力不服従と同時に行っていたイギリス製品の不買運動 (とくにイギリス綿製品の着用をやめ、インド人自らが糸車で紡いだインド製綿製品の着用を促した) を行い、インドの自治権獲得・イギリスからの独立を目指す国民運動の精神的支柱として見られるようになります。
その後ガンジーは国内の別の運動 (ヒンドゥー極右) に感化された過激派によって1948年1月30日にニューデリーで暗殺されてしまい、本国での評価も様々ではありますが、世界的には平和や人権を体現する偉人としておおむね 認知 されており、それだけにこうした比喩では使いやすかったということなのでしょう。 とはいえこれは、相手がイギリスだからできたことで、例えばソ連やナチスドイツ、共産中国といった数十から数百万単位の虐殺をためらわない相手に対してこの方法が通用したかどうか、通用しないとしてこの方法をガンジーが選んだかは分かりません。 また不服従は社会的な戦いであり、軍人が行う軍事的な戦闘と異なり直接的な流血は避けられても、一般市民を非武装で戦いの前面に立たせることでもあります。
ちなみにガンジーの暗殺と前後して、イギリスの分割統治政策の影響もあり、ヒンドゥー教徒とイスラム教徒が対立したインドの国論は二分していました。 ガンジー暗殺の前年には戦争も勃発し (第一次印パ戦争)、ヒンドゥー教徒のインド、イスラム教徒のパキスタンに分離して独立することになりました (1947年8月)。 その後もインドとパキスタンによる戦争はバングラデシュの独立問題なども 絡ん で2度にわたって繰り返され、互いに核武装をするに至っています。 なお現在のインドの国旗にある車輪のような輪は、ガンジーらの抵抗のシンボルとなった綿を紡いだ糸車から来ています。