「まるでポエム」「コスプレみたい」… 「ネガ比喩」
「ネガ比喩」 とは、ネガティブ な比喩、例えという意味の言葉ですが、より直接的には、特定の 趣味 や仕事などを悪い意味の例えとして用いるような状態を指して使います。 例えば空疎な理想論やよくわからない 自分語り などを 「ポエム」 と呼んだり、戦っているフリをしながら 慣れ合って いるとの意味で 「プロレス」、他人の失敗や短絡的な行動をあざ笑う目的で 「まるで マンガ だ」 と呼ぶなどです。
ネガティブな比喩に用いられる言葉は様々あります。 太っている人を豚呼ばわりするとか、頭が悪い人をサルやチンパンジー扱いするなどがすぐに思い浮かびます。 人を悪い意味で動物に喩えることの是非はともかく、比喩の対象としては相手が動物だったりするので対象物をむやみに下げるといった問題はないのかもしれません。
しかしこれが前述した 「ポエム」 や 「プロレス」「マンガ」、あるいは特定の職業だと、それらを創ったり楽しんだり生業としている人にとっては、それが仮に慣用句としてありふれたものなのだとしても、違和感や不快感を覚えることもあるかもしれません。 比喩の裏に、「ポエムは非現実的なきれいごと、無意味な言葉遊び」「プロレスは八百長・インチキ」「マンガなどバカバカしいものだ」 といった侮蔑的な前提が 透け て見えるからです。 これは医薬品の ジェネリック を偽物・パチ物の意味で使うようなケースも同様でしょう。
同じようなものに、服装が似合ってない状態を 「まるで コスプレ だ」 と表現したり、遊び半分でふざけている状態や罪悪感もなく罪を犯すことを批判的に 「ゲーム感覚」、理解しがたいほどの熱心な ファン を 信者、対象を教祖や宗教などと呼ぶこともあります。 これも真面目にコスプレをしている人や ゲーム をしている人、宗教に帰依している人にとっては、時と場合によっては自分に対する当てこすりに聞こえることだってあるでしょう。 最近の若い人たちはマンガやコスプレ、ゲームなどに負のイメージはあまりないので、ポジティブ な比喩として使う場合もありますが、受け取り側がどう感じるのかは不透明かも知れません。
ちなみに歴史上の人物や架空の キャラ に喩えるのもポピュラーで、こちらは歴史上にも様々な例があります。 例えば 「呂布のようだ」 なら 無双 の強さという意味になりますし、古代中国の列伝などを元にした人物評は歴史好きにはおなじみのものでしょう。 ネガ比喩については、ナチスドイツのヒトラーやナチスの各組織はネガ比喩の代表格であり、政治や思想の世界では、反対勢力同士がお互いに相手をヒトラーやナチス呼ばわりし合う状況もあります。
ネガティブな意味はないものの、指し示すものの様相や言葉が似ているからとの理由で慣用化した伝統的な言い回しもあります。 例えば群衆が折り重なって倒れることを 「将棋倒し」、人を欺くための虚偽の言動を 「狂言」(狂言強盗とか) と呼ぶなどです。 これらは対象となる言葉とゆかりのある団体などがメディアなどに申し入れをして、いわゆる放送禁止用語となって言い換えがされたものもあります (例えば将棋倒しを群衆雪崩、狂言を虚偽にするなど)。
逆に 「ポジ比喩」 の場合は…
「ネガ比喩」 の対義語はポジティブな比喩で 「ポジ比喩」 となります。 この場合、良いことの比喩として使う表現となり、例えば 「映画みたいな恋」 と云えば、まるで映画みたいにドラマチックで素敵な恋といった ニュアンス になりますし、「絵 になる」 なら、優れた容姿や風景を表す形容表現になるでしょう。 一部では、「エロゲーみたいな恋」(それなんてエロゲ) がポジティブな意味で使われているケースもあります。
比喩において何がネガで何がポジになるのかは文脈次第なところもありますが、歴史があり親しみもあるものがポジティブな比喩に選ばれやすい傾向はありそうです。 例えばポエムも、日本語の詩とか俳句と言い換えると、何やら揶揄のニュアンスが薄れ、ポジティブなイメージが強まるような気もします。 「まるで詩のようだ」「俳句のようだ」 は美しい情景を褒めるような意味だと受け取る人が多いでしょう。
いずれにせよ、ポエムやマンガ、コスプレといった属人性の高い趣味や行為をネガティブな比喩に使うのはなるべく避け、例えば 「悪夢のよう」「地獄みたいだ」 といった属人性の薄いものとか、「犯罪者」「泥棒」 といった元々ネガティブな言葉で喩えるのが無難なのかもしれません。 まあ意味が分かりやすいので、ポエムなどはつい使ってしまうんですけどね…。 ただこれが行き過ぎて言葉狩りのようになってしまっては、豊かな言語表現を損なうものでしょう。 当事者に侮蔑の意味で使うのはちょっと考えてからくらいがいいのかなとは思いますが。
「ネガ比喩」 どころか、単なる差別表現になることも
なお趣味や行動ではなく、人の属性で喩える場合もあります。 例えば特定の性を指して 「女の腐ったようなやつ」 とか、年齢や世代を加えて 「昭和のおっさん」 とか、特定の国籍を指して 「まるで〇〇人のようだ」 といった云い方です。
職業の場合は 「水商売じゃあるまいし」 とか 「風俗嬢みたい」 とか、着衣の跡が残った 日焼け を 「土方焼け」 と呼ぶなどが代表的でしょうか。 車で追突事故を起こすことを 「オカマを掘る」 とか、極端に入れ込んでいる様を 「○○キチガイ」 と呼ぶとか、人のアイデンティティや心身の状態をあげつらうようなものもあります。
他のネガ比喩同様にクリシェ (定型・ありきたりで陳腐な比喩) として定着しているものもありますし、あまりに 「あれもダメこれもダメ」 との言葉狩りのようになっても困ります。 しかしここで挙げたような表現はいずれもネガ比喩どころかドストレートに明確な 差別表現・ヘイト表現 でありほとんど論外なので、少なくとも公の場においては、批判・侮蔑の文脈で使う使わない以前の問題でしょう。