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辞書論争

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「広辞苑によると○○は…」 議論の最後は… 「辞書論争」

 「辞書論争」 とは、ネット などで論争が生じた際に、負けそうな側がしばしば繰り出す苦し紛れの論点ずらし、詭弁 と、それに対するありがちな反応のことです。 「意味論争」 とか 「解釈 論争」 と呼ぶこともあります。 パソ通 や fj の頃から 「論争は最後には文言解釈を巡る辞書論争になる」 などと揶揄されるように、とりわけネット論争や バトル ではよく見かけるものですが、日常会話でもわりと生じるものでしょう。

 よくあるケースでは、論争で不利を悟った側が自分の発言内容や使った言葉の一部を 「そういう意味で使ったわけではない」 とごまかし、相手から 「じゃあどういう意味で使ったのだ」 と問い詰められて、右に左に自分の都合の良い方へと言葉の意味をずらす使い方があります。 あるいは相手の的確な反論に対し、「こちらはそんなつもりで書いたわけではない」「お前の読み違いだ」「解釈が間違っている」 などと再反論してごまかそうとします。 劣勢にある相手がこちらの意見を捻じ曲げて、云ってもいないことに反論してくる (藁人形論法) ような時に、それを封じるために勝っている側が反論で用いる場合もあります。

 その際、論争相手の解釈を非難したり自分の解釈の正しさを主張する流れで 「手元の広辞苑によると○○は◇◇の意味って書いてある」 などと日本語辞書の記述を コピペ するなどして提示しがちなことから、俗に辞書論争などと呼ぶようになりました。 なお単に一つの単語の意味や解釈だけでなく、言葉の使い方や文法などに及ぶこともあり、広く日本語論争などと揶揄されるケースもあります。

延々と不毛な言葉の解釈・定義で紛糾… そもそも何の話だっけ?

 議論でも論文でも何でもそうですが、使われる言葉の意味や解釈、定義が定まっていないと、議論を進めることも深めることもできません。 まして同じ意味を 共有 していない相手との論争はお互いの論点すら見えず、理解できない上に無意味でしょう。

 意図的にこうした詭弁を使う人との議論は疲れますが、言葉は完璧なものでもありませんし変化する生き物でもあるので、学術論争の場ならともかく、雑談から派生した論争で辞書的な定義と多少異なる意味で使っている人が一方的に誤っていて悪いわけではないこともあります。 仲の良い友人との無駄話などでは、多少おかしな言い回しでも気にすることなく、「まあ人間誰しも間違いはあるし」「自分の知らない世界の何かがこの人の言葉の下敷きにあるのかもな」 と好意的に解釈し聞き流す部分が、論争では鋭い対立点となってしまうだけです。

 またそもそも辞書の記述は過去現在の社会や文献の使用例を元に後から作られるものなので、別に辞書的な定義が絶対というわけでもありません。 流行語や ネットスラング、特定の業界や 界隈 の専門用語などでは、文字列は同じだけれど辞書に載っている一般用語の解釈と異なる使われ方が共通認識になっている場合だってあるでしょう。 逆にこれらを意図的にごちゃ混ぜにして、突然 「それは学術用語として使ったものだ」 と主張し、「〇〇学ではそういう意味ではない」「これだから門外漢は」「〇〇論文を読んでから反論してください」 などと相手が無知・無教養かのように誘導して反論する卑怯なやり口もあります。

 ただし文字や言葉としての日本語は読めたり聞けても文意が読み取れない、行間が読めない、長文になると途端に理解が追い付かなくなるといった人も少なくなく (軽度の機能的非識字)、わかる部分だけで勝手に推論を行い、それを根拠に反論しようとして無意識に相手の言葉を誤読することもあります。 それではと、理解しやすいように例え話でもしようものなら、今度は例え話の核心部分や本質ではないところに食って掛かって話が進まなくなることもあります。

相手を追い詰めるためでなく、穏便に終わらせるための辞書論争も

 一方で、趣味 や私的な 掲示板 の論争などはほとんど口喧嘩に近い、些細なきっかけによる売り言葉に買い言葉みたいな不毛な争いが多いので、あえて辞書解釈を持ち出して 「単に言葉の 解釈が違っていた だけ」「誤解してただけ」 という形にして、丸く収めようという部分もあります。 この場合、議論を有利に進めている側が追撃ではなく助け船として辞書論争を持ち出して論争を終わりに導くこともあります。

 熱くなると ついカッとなって 言葉が過ぎたり、相手の文章をちゃんと読まずに 脊髄反射レス をしてしまうこともあります。 匿名掲示板ならともかく、個人情報と アカウント固定ハンドル が紐づくパソ通の板などでは誤りや負けを悟っても引くに引けず 謝ったら死ぬ病 も発症しやすくなるので、最後の最後までやり合ったら血を見ることにもなりかねません。 外から見ると滑稽にも見える辞書論争や意味論争ですが、これはこれで場を穏便に収める大人の知恵なのかもしれません。

辞書論争どころか、文章の採点や赤ペン先生の添削状態になることも

 なお相手の言葉の1つ2つの意味違い・定義違いを指摘する辞書論争ではなく、相手の文章のかなりの部分を段落ごと引用して 「ここがだめ」「ここの構成がおかしい」 などとその都度箇条書きで指摘しまくる論法もあります。 これらの反論の仕方は 「添削」 とか 「採点」「赤ペン先生」 と呼ぶこともあります。

 この場合は、例え実際のレスに 人格攻撃 の言葉がなくとも、「まともに文章も書けないバカ」「思い付きを書いているだけで根拠が示せない愚か者、卑怯者」 といった侮蔑の意図が明白になりがちで、単なる 「バカアホ」 といった罵倒より救いがない反論というか 煽り になりがちです。 指摘されまくった方はメンツ丸潰れです。

 筆者 も論争している双方がリアル知り合い (リア友) という状態でこうした論争にまで発展した 現場 というか 修羅場 を何度か見ていますが、最終的には誰かが仲裁するなり、居酒屋で仲直り会でも催して誤解を解かなければ、そのまま絶縁みたいなことになりがちです。 逆に云えば、大の大人が対面で話をしているとここまで話が拗れることはそうそうありませんし、文字だけでやり取りするネット論争の難しい部分でもあるのでしょう。

 よく云われることですが、ネットで激しい言葉を使っている人が、実際に会うと穏やかで気のいい人物だというのは本当によくあることです。 実名か匿名かみたいな部分よりも、むしろ車を運転すると人格が変わるみたいな部分が文章でのやり取りやネットでの意思疎通に起きがちなのだろうという感じがします。 いつもは隠れている本音が出てくるというよりは、自分の身を守り力を増幅してくれる道具によって本来持っている本音以上のものが本人の意思すら無関係に強められ続け、引き際を作れずについ出てきてしまうといったイメージです。

 直接生身の身体を晒して相手と対面した場合は、いつまでも強い言葉で口論を続けたらやがてリアルファイトに発展してぶん殴られたり刺されたりする恐れもありますから、おのずと自制的な意識も働きます。 パソコンの画面や車の中といった距離がある場では、その危機感が薄れてエスカレートしがちなのでしょう。

 いずれにせよ、些細な言葉のあれこれを指摘するのは状況が悪化するだけなので、可能であれば避けるのが気持ちよくネットを利用する技術でもあるのでしょう。

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(同人用語の基礎知識/ うっ!/ 2005年4月11日)
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