実戦配備されていたら戦局を一変させていた…かもしれない! 「未完補正」
「未完補正」(未完成補正・if 補正) とは、様々な理由によって試作や未完成状態で終えた過去の作品や製品、サービスなどが、「もし完成していれば素晴らしいものになっただろう」「歴史を変えただろう」 とやたら好意的に扱われがちな傾向のことです。 「未完の名作・大作」「未完の名機」「未成超兵器」 などと呼ばれたりもします。
未完成に至る理由はそれぞれですが、作品の場合は 作者 の死や制作 環境 の悪化 (予算不足など)、製品やサービスでは予算の他、社会情勢の変化といった避けがたい 不運 や悲劇に伴うケースが多いでしょう。 そしてその悲劇性からくる判官びいきな感情も手伝い、「きっと完成していたら名作になったに違いない」「世の中を大きく変えるような製品やサービスになったに違いない」「戦局を一変させたかも知れない」 との過大・過剰な評価がされる場合もあります。
当たり前の話ですが、どのようなものであれ未完はしょせん未完であり、完成したものと同じ土俵に立って比べられるものではないでしょう。 また仮に完成していたとしても失敗作や凡庸なものに留まった可能性だってあるわけですが、あと一歩で…! との未完に至る様々なドラマや悲劇、想像の余地が大きいことなどが、こうした 「補正」 を生む大きな理由なのでしょう。
終戦間際の 「未完の超兵器」 多すぎ問題
とくに未完補正が強く働くのは、ミリタリー の世界の兵器でしょう。 とりわけ第二次世界大戦末期、あるいは終戦間際の意欲的な未完成兵器などは、「もし半年早く完成していたら」「実戦配備されていたら」「大量生産されていれば」 など if の余地が大きくなりがちで、戦局をひっくり返すような大活躍を 「したはず」 の超兵器が目白押しです。 中でもドイツや日本といった第二次大戦に敗れた国の未完成兵器は、歴史を変える if の ロマン に溢れた夢の超兵器 (あるいはゲテモノ兵器・珍兵器) の宝庫です。
例えば日本でいえば、三菱航空機が設計生産した大日本帝国海軍の艦上戦闘機 「烈風」(A7M) が試作機わずか8機のみの未成超兵器としておなじみです。 かの零式艦上戦闘機の後継機として 開発 され、流線型で個性的な機体、大出力エンジン、重武装、意欲的な新機軸などにより戦局をひっくり返す性能が期待され、仮想戦記や if 要素を含む第二次大戦 モチーフ の ゲーム などでは、敵アメリカ軍機を次々屠る大活躍をする姿などが描かれたりします。
ゲームの世界では if 兵器として活躍する大日本帝国海軍の艦上戦闘機 「烈風」(写真は艦これ (艦隊これくしょん) の烈風改) |
もちろん烈風が理想的な形で完成して数百機程度が実戦配備されていたら、それ相応の戦果があったのかも知れません。
烈風が相対したであろうアメリカ軍の新鋭戦闘機や爆撃機、とりわけ大型爆撃機 B-29 は当時の世界水準をはるかに凌ぐ超兵器でしたが、戦後よく云われる 「戦闘機や高射砲の砲弾が届かない超高高度を飛ぶので日本側は手も足も出なかった」 というのは誤りです (総出撃ののべ機数では損耗率は1.45%程度とされますが、生産機数でいえば1割強が撃墜などで失われ、生き残りもその多くが何らかの損害を受けています)。
B-29 は1機あたりの製造コストが戦闘機十数機分、搭乗員は 11名もいましたから、いくらアメリカが世界最大の工業国だといっても烈風が活躍して数百機単位でさらに落とされていたら、一時的な戦局や情勢は変わっていたでしょう。 登場時期やアメリカ側の運用方法のいかんによっては総生産数 3,970機の B-29 の喪失を大幅に増やし、烈風が歴史をいくらか変える可能性は十分にありました。
しかし実際のところは新型の大出力エンジンの開発が間に合わず、試作機の性能も凡庸で期待外れであり、仮にエンジン開発が間に合い大量生産されていたとしても、戦局の悪化に伴う燃料の粗悪化、熟練搭乗員の激減などにより、ほとんど活躍などできなかったというのが大方の見方でしょう。 また仮にそれら諸問題が全て解決して大活躍したところで、大戦末期は戦闘機がいくら局地的な戦闘で頑張ったところで、全体の戦局を大きく変える余地などほぼない状況でした。
もし仮に条件が好転して不完全ながらも戦争末期にある程度の数が実戦配備されていたら、その能力が白日の下に 晒され、大戦全体の帰趨に影響を与えるどころか、逆に役立たずのポンコツ扱いにされていたかも知れません。 そうなると烈風に戦局挽回といった if の余地がなくなり後世のロマンにもならなかったでしょう。 あるいは烈風が活躍したとしてそれにより戦争が長引けば、アメリカによって後継の主力爆撃機として開発されていた B-36 がやって来て、さらなる惨禍を日本に招いていたかもしれません。
試作機のみで終戦を迎えたという事実こそが、伝説的な彩りをこの機体に与えることになった理由の全てであり、これは同じ航空機である橘花や景雲、震電、天雷、秋水、キ87、キ88、キ94、キ96、連山らも程度の差こそあれ、おおむね同じ状況でしょう (富嶽をはじめ計画や構想で終わったものも数知れず…)。 もっとも実際に運用されていたら、戦艦大和や伊401のように悲劇だけれど日本人の琴線に触れるような新しい歴史ドラマが、かけがえのない人命と引き換えにいくつか作られた可能性もありますけれど。
傑作兵器か、ゲテモノ・珍兵器扱いか… 史実と if の隙間に面白さが
敗戦国の終末期になるとおかしな兵器が次々に開発されがちというのも、何らかの共通点がありそうでなかなか興味深い部分があります。 総力戦の末期ともなれば軍上層部はしばしば現実逃避のように一発逆転が狙えそうな新兵器を求めますし、開発者の側も 「それは無理です」 とは云えないでしょう。 たとえ無理でも開発を続けている限りは技術者として遇されますが、できませんと口にした途端、役立たず、あるいは上層部の方針に異を唱える異分子として前線送りの可能性もあります。 老人や学生、子供までが徴兵されている中、命令通りの開発ができない技術者など上層部にとっては無用な存在です。
また一握りの成功した開発の裏に試行錯誤の末の無数の失敗があるのも当然ですし、開発した結果が傑作になるかゲテモノ・珍品扱いに留まるかは結果論でもあります。 航空機なぞまともな戦力にならないという時代もありましたし、戦車や魚雷も登場当時はしばしばゲテモノ・珍品扱いでした。 もちろん戦勝国であった連合国側にだって、トンデモ兵器や珍兵器は山ほどあります。 さらには時代によって戦闘環境が変化したり新兵器が登場すると 「〇〇不要論」 みたいな極端な意見が一方から出ては消えたりもしています。
とはいえ歴史は歴史、if は if。 歴史の世界では if 条件を自分に都合よく 設定 し、ことさらに 「もし○○が□□だったら」 を唱える人を 「未練学派」 などといって揶揄することもありますが、想像力を掻き立てる 「未完の名機」 の夢は、ミリタリーファンにとっては単なるご都合主義を超えて、楽しくロマンや ファンタジー あふれるものなのでしょう。