隠語が表に… 「ナマポ、ゲットだぜ」 一躍流行語になってしまった 「ナマポ」
「ナマポ」 とは、生活保護 (生保) のことです。 制度そのものや、生活保護を受給している人、支給されるお金なども指します。 通常はせいぜい 「せいほ」 と読むところですが、いわゆる 誤読言葉 として異なった読み方とカタカナ表記を行い、主に ネット の世界で使われています。
この言葉自体は、2ちゃんねる をはじめ一部の 掲示板 などで、「生活保護をもらうためのノウハウ、実例」 などを受給者、受給希望者などが話し合い情報交換をする際、表立って話し合うのは はばかりがあるとして、ある種の 検索避け の隠語として使用していたものでした。 元からいくぶんかの揶揄する ニュアンス はあったのですが、単純に侮蔑・罵倒のためだけの言葉ではなかったんですね (このあたりの言葉のニュアンスの変化は、メンヘラ や ゆとり なども同じでしょう)。
しかし景気が悪化し庶民の生活が困窮する中、マスコミなどで報じられる生活保護受給者の 「見る人によっては優雅にも見える暮らし」 あるいは 「不正受給」 の話題などがクローズアップされるようになり、2000年代前半から、もっぱら 「生活保護制度に頼り、あるいは悪用し、仕事もしない甘ったれたやつら」 を罵倒するような ネットスラング としての使い方が中心に。
とくに、在日外国人や特定団体の支援を受けた人たちが、ある種の特権のように受給していると一部で信じられていること、一部の生活保護受給者や受給者を騙る者が、ネットで 「ナマポ、ゲットだぜ」「働いている奴らは俺たちを養うためにしっかり税金納めろよ」 といった 露悪趣味的 的な 煽り を行なっていたこともあり、2000年代中ころには、完全に罵倒・叩き のための言葉としてクローズアップされることになりました。
税金の使い方として、これくらいまともなものもない生活保護
大半の受給者は、やむにやまれず生きるために生活保護を受けているわけで、国が国民に保障している制度であり、条件を満たしていれば当然ながら全く何の問題もなく、正当な権利です。 誰だって、予期せぬアクシデントでそうした困窮の事態に陥る可能性がありますから、制度やそれを正当に受けている人を批判すべきではありません。 もとより完璧な制度などはありませんが、理念といい運用といい、税金の使い方としてこれくらい社会正義に叶うものも少ないでしょう。
また受給者が増え続けている、受給者数が過去最高を記録しているなどは客観的事実ではありますが、それは単純な人数の話であり、人口あたりの受給者の比率で見てみると、ピークであった1950年台初頭がおよそ2.3%、2010年台初頭が1.5%と、むしろ減っている実体も見えてきます。 終戦直後の最貧国状態と経済大国となった現在との 環境 変化も考慮に入れれば、受給者増加の原因を棚上げにして財政悪化の理由を生活保護に求め弱者批判するなど、政治家の怠惰のなせるものでしょう。
世の中には、国民が収めた金額以上の経済的恩恵を受けられる公的制度などいくつもあります。 例えば年金だって、将来的にはともかく現時点ではよほど早死にしない限り収めた積立金以上の給付を受けられますし、健康保険も、誰でもが罹りうる重篤な成人病や交通事故による障害を負えば、納付した金額以上の給付や減免を受けられます。 水道や道路といった生活インフラもそうですが、これら国民同士の助け合いに対して批判しない、あるいはその恩恵にあずかっている人たちが、生活保護だけを自己責任だ自力救済せよと批判するのは辻褄が合わないでしょう。 まして生活保護は、憲法が国民に等しく認める生存権を実現するための制度であり、自己責任の有無などそもそも無関係です。 仮に困窮の原因が個人の責に帰せるものだとしても、それを国家は保護するのが義務なのです。
不正受給者についても様々な意見があります。 本来貰うべきでない人が不正に受給するのは確かに問題がありますが、その割合は全体から見てごく少数 (おおむね0.5%前後で推移) であり、もちろん不正は放置すべきではありませんが、他の制度と比べてことさらに生活保護のみが不正の多さで叩かれるような状態にあるとも思えません。 捕捉率も不正の数も低いのに、なぜここまで不正受給のイメージが強いのでしょうか。
どれほど完璧だと思えるような制度を作っても網の目をかいくぐって不正を行う人は一定数でるものですし、こと不正受給に関しては、現行の制度や運用については許容の範囲内であり妥当だと判断できるかと思います。 わずかな不正を防ぎたいが余り、必要以上に審査を厳格化するほうがむしろ問題でしょう。
さらに加えるなら、いわゆる保守的とされる政治家や論客がことさらに生活保護や、またそれに密接に関係する失業問題・労働者問題・ブラック企業問題に冷淡で、しばしば 「自己責任論」 を振り回すのも意味が解りません。 保守や祖国愛の出発点は同じ日本人である同胞に対する愛情や尊敬、助け合いだと思いますが、困っている隣人を 「負け組だ」「自己責任だ」 で切り捨ててしまっては、お話にならないでしょう。
制度自体は必要なものながら、様々な矛盾が不公平感を
生活保護は必要な制度ですが、しかし一方で、働いても働いても低賃金で生活に困窮する人間 (ワーキングプア) が増え、場合によっては労働者と生活保護受給者との収入の逆転現象が生じたり、あるいは生活保護をはじめとする社会福祉のための予算が増大し増税などの負担も増える中、不公平感を覚える人たちも増えています。 生活保護の場合、一定の範囲で生活費が貰えるだけでなく、税金が免除、医療費が無料、住宅など様々な個別補助もあり、こうした内容が情報として広まることで感情的な分断が強まってしまうのは、誰が悪いという訳ではないにせよ、ある程度は仕方がない部分もあるのかも知れません。
本来は全体を底上げするべき話で、生活に困っている人を切り捨てるべきではないのですが、最低賃金を上げれば巡り巡って失業者 (それに伴う生活保護者) が増えるでしょうし、生活保護者が今後増え続ければ、他の福利厚生費用の増大もあいまって、いずれ財政も持たなくなります。 景気が良くなりお金が回るようになれば良いのですが、思ったように景気をどうこう出来るなら誰も苦労はしないわけで、急速な高齢化、少子化の中、どうにも出口が見えない閉塞感があります。
受給者に対する偏見も大きな問題です。 前述のようにやむにやまれぬ事情によって生活保護を利用している人に対して偏見を持つのは誤りですが、そうした偏見がないつもりの人でも、いざ自分が困窮した時に、「生活保護を受けるのはやっぱり恥ずかしい」「親族に知られたくない」 という感情から、相談をためらうケースは多いでしょう。 その結果、保護が行き届かなくなったり、あるいは自立可能な初期段階の支援がないために、結果的に社会復帰がより一層困難になってしまうケースもあるでしょう。
筆者 も偏見は持たないように努力しているつもりですし、他者の受給に特別な感情はありません。 仕事が出来なくなってわずかな額の借金申し込みをあちこちしていながら公的補助をためらう友人に生活保護を強く勧めて、何とか説得が実ったこともあります。 しかしもし今後自分が申請することになったらと考えると、正直いって大変大きな抵抗感があります。 筆者程度の人間は、やっぱり一度染みついた偏見はそう簡単に消えることはないのでしょう。
幸いこれまでは運よく自立した生活が営めているので、申請で悩んだり自分ゴト化もせず矛盾や自分の差別感情・偽善性と向き合うことなく過ごせていますが、人生何があるかわかりません。 個々人が意識を変え、声を上げる人たちと思いを 共有 し、社会全体で価値観をより良い方向へと進めていくのが大切なのでしょう。
外国人 (外国籍者) に対する支給は問題が
なお前述した生活保護に関するあれこれは、当然の話ですが、日本人 (日本国籍を持つ者) に限っての話です。 外国人 (外国籍者) の困窮者救済はその国の政府が行うべきですし、その外国政府の救済を国家として支援するのはあって良いと思いますが、日本の国や自治体が直接生活保護で救済するのは法的に問題があるし、そもそも筋だって違います。 人道的観点や歴史的な経緯を踏まえた慣例的な行政措置として在日外国人にも給付がされていますが (2017年でおよそ1,200億円)、段階的に廃止すべきでしょう。
一口に外国人といっても、来日した外国人もいれば、在日外国人の子供や孫、さらに日本人が外国人と結婚し、相手に合わせて外国籍になった場合もあります。 また外国籍と日本国籍者が同じ世帯で暮らしていることもあります (混合世帯)。 実態を把握するのが難しい部分はありますが、来日して数日で生活保護申請を行うとか、何十年も日本に住んでいるのに日本語がしゃべれず仕事もしていないなどはいかにも不自然であり、それを阻止できないのは仕組みが誤っています。 これでは税金を払っている国民や生活保護を受けられない日本人困窮者に対してあまりに不誠実です。
一部の外国人らは専門のブローカーが間に入り、生活保護の受給ノウハウをマニュアル化して組織的に行っているケースもあります。 受け取るべきでない人が受け取れば、本来助けなくてはならない人に行き届かなくなります。 これは生活保護に限らず、その他の各種手当・支援制度なども同様の問題を抱えています。
2012年、吉本芸人の家族による生活保護受給問題によって 「ナマポ」 が話題に
この 「ナマポ」 が、大手マスメディアや、あろうことか政治家なども使う時事キーワードとして注目される 「事件」 が起こります。 お笑いコンビ 「次長課長」 の河本準一さんが、多額の年収を得ていながら親族 (母親) に生活保護を受給させていたものでした (いわゆる 「河本騒動」)。
「書いたら許さへんで!」母親の“生活保護 不正受給疑惑”を報じられた中堅芸人の 仰天主張 (日刊サイゾー/ 2012年4月16日) |
これが大きな話題となったのは 2012年4〜5月で、おおむね4月12日発売の週刊誌 「女性セブン」(小学館) の第一報 (この時は名前は出ず 「芸人X」 扱いだった) でした。
その後4月19日にネットニュースが実名を報じ (その後記事は不自然に削除)、ネットの 祭り となって、5月24日には、河本さん自ら、テレビ中継の形で涙の謝罪釈明会見を行うことに。
法律的には親といえど、子が必ず面倒を見なくてはいけないわけではありません (自助や親族の扶養は保護に優先するけれど義務ではない)。 子供は親を選べないのですし、家庭内に複雑な事情を持つ人は大勢いるのですから、ケースバイケースでしょう。 また生活保護は困窮した国民が当然受けるべき 「権利」 です。 しかし河本さんが売れっ子芸人として日頃から羽振りの良いところを見せていたこと、こうした報道をもみ消すために圧力をかけていたとの噂もあり、心情的に許せないとの意見がネットを中心に噴出。
とくに、前述したネットメディアで報じられた、「貰えるもんは貰ろとけばええんや」「(記事に) 書いたら許さへんで!」 との同タレントの発言とされるコメントや、かねてから母親との 「仲の良さアピール」 を繰り返し行なっていたこと、テレビ番組に親子で出演したり、親子 ネタ で笑いを取ったり、さらには母親ネタや親孝行ネタで本を書いているなど、「金儲けに親族を使っていたじゃないか」 との割り切れなさが、怒りを増幅させたようです。
ツイッターアカウントが炎上、ナマポがトレンドキーワードに
本人が ツイッター 上で行ったつぶやきなども、自分に対し批判する人を挑発する内容となっていて、これが火に油を注ぐことになっていました (その後、ツイッター上でも謝罪)。 さらに同じ頃、同じ吉本芸人であるキングコング 梶原雄太さんの事例も本人の告白の形であらわれ、「ナマポ芸人」 という言葉も誕生。 彼らをかばう吉本芸人の擁護も 燃料 となって次々に 炎上 するなど、相乗効果をもたらすことに。
こうした経緯から、差別的なニュアンスの 強い言葉 である 「ナマポ」 はネット中で広く使われるようになるとともに、大手メディアの記事で紹介されたり、一部政治家がコメントで使うなど、「一般用語扱い」 になってしまったのでした。
新語・流行語大賞では選考から除外、ネット流行語大賞では4位に
2012年の新語・流行語大賞にもエントリーされましたが、その後、「弱者に対する差別や悪意の助長をしかねない」 として、選考対象から外されたことが報じられました。 また大賞はもちろん、全ての賞の受賞の対象ともなりませんでした。
一方、ネット流行語大賞2012 では、1位 ステマ、2位 (」・ω・)」うー!(/・ω・)/にゃー!、3位 ┌(┌^o^)┐ホモォ… に続く、第4位にランクインしています。