時代とともに言葉も、そして定義も変わる… 「再定義」
「再定義」 とは、すでに定まった 定義 をもう一度見直し、新しく定義し直すことです。 定義とは何らかの事象をその他のものと明確に区別するために言語化したものですが、時代や常識の変化・技術の進化などによってある事象を説明するのにそれまでの定義では対応しきれなくなったり、あるいは既存の 概念 や枠組みそのものを揺るがすほどの変化が生じた時、それに合わせるために定義を アップデート する行為と云えます。 全く新しい言葉や定義を作る場合は再定義ではありませんが、対象とする事象と定義によっては実質的な再定義となることもあります。
例えば本や書籍は、一般的には情報伝達を目的として情報が 印刷 された紙を綴じたものを指します。 これは現代にあっても核心的な定義ではありますが、電子化 されたデジタル書籍のデータも含めて本や書籍として扱う必要が生じるなど、概念が大きく広がっています。 再定義では電子書籍やデータも広く本の定義に含めたり、あるいは本という概念自体を根本的に捉え直して再構築することもあります。 これらは国語辞典的な定義の場合もあれば、特定の業界団体内でその言葉を使う場合に限っての ローカル な定義の場合もあります。
これら再定義の営みは広く社会で支持され受け入れられればそれまでの定義を上書きすることもあるでしょうし、そこまで広がらなくても、再定義を提唱した人の論文なり書籍なり意見なりの中では、しばしば論に先だって宣言され、その先の研究や考察の前提や土台のひとつになります。 何かを論じる時、そこで使われる言葉の定義が定まっていて、かつそれを受け入れるにせよ拒否するにせよ 共有 されていないと、意味が正しく伝わらないからです。
自分に都合よく定義を書き換えたり、言葉と定義を乗っ取る行為も
一方で、自分の論に都合よく定義をずらすだけみたいな不誠実な使い方もあります。 単に自分の論に有利になるからそうする場合もあれば、その人にとって不快な言葉を無効化するために行われることもあります。 ネット などでは他人に貼る負のレッテル、蔑称がたくさんあります。 定義を書き換えてそれが自分たちに向かないようにしたり、相手に向いたものならより一層悪い意味になるよう強化しようとするのですね。 その場合、再定義の宣言もなくまるでその定義が最初から自明のものであるかのように装うこともあります。
また既知の言葉や概念の定義を書き換えて自分がその定義や言葉そのものの新しい提唱者や創造主になろうとするような人もいます。 このような行為は言葉乗っ取りや定義乗っ取りみたいに呼ばれて批判されることもあります。 例えば流行語や若者言葉、おたく用語 や ネットスラング などは 元ネタ や発祥がはっきりしないものもありますし、辞書にも載っておらず定義らしきものが必ずしも確立していないものもあります。 そこで勝手に定義を作って大声で広げ、自分がその言葉の第一人者みたいな顔をするわけですね。
その言葉が大手メディアに使われるほど流行し、いわゆる流行語大賞などにノミネートや授賞されると、何の権利もないのに代表者の顔をして受賞式に出かけたりメディアの取材を嬉々として受けるような人もいます。 自分では何も産み出さず、流行語を勝手に商標登録して利益や注目を横取りしようとする スクワッター と同じような人たちです。
創作物における定義と再定義
同人 や広く創作物一般における定義や再定義は、しばしば 解釈 と同等の意味で使われます。 例えばある 作品 の 二次創作 を創るとして、その作品はどんな作品で、登場する キャラ はどのようなキャラかを定義しているもの、すなわち 設定 を解釈し、一般に広く 認知 されているそれとは異なる解釈の元で描くような場合の呼び方です。
例えば戦国ものの作品の二次創作をするとして、織田信長が一般に持つ先進的、あるいは冷酷・残忍といったイメージを壊して、まるで異なるキャラにしてしまうなどが再定義の典型です。 この場合、単なる 解釈違い や キャラ崩壊 となる場合もありますが、それっぽい根拠と十分な説得力、および面白さがあれば、それはそれとして受け入れられたり、場合によっては信長のイメージを塗り替え一新する可能性もあります。
そもそも現在伝わる信長の一般的なイメージも、その多くが根拠不明で後世に作られた 物語 などの影響を大なり小なり受けているので、今後変化する可能性は大いにあります。 というか、近年でも古文書の発見とか研究が進むなどで、ひと昔前までのイメージとはかなり変わってきています。
信長のように歴史上実在した人物ではない完全な創作上のキャラの場合、原則的にはそれを創り出した 作者 の設定なり定義なりが絶対的な基準、あるいは正当性のある定義になりますが、そもそも創作物などはいったん世に放たれれば多くの人たちの解釈と混然一体化し、作者の意志や手が必ずしも届かない受け取り方と広がりをみせるものです。 場合によってはそれら世間の評価や解釈が作者に影響を与えたり、後付けの設定や定義になることもあります。





