俺、売れっ子ラノベ作家になるんだ…「ワナビ」
「ワナビ」 とは、一般小説や ライトノベル (ラノベ) のプロ作家を目指している人のことです。 すなわち、「小説家志望」「作家志望」 という意味になります。
元ネタ としては、英語の 「ワナビー」(Want to be、もしくはその省略形の Wanna be) で、意味はそのまんまですが 「そうしたい」「なりたい」 です。 こうした表現は、小説家など文筆業を目指すアマチュアを指す言葉として、あるいはミュージシャンや画家、漫画家など、芸術関係のプロ志望者、クリエーターを目指す人のうち、とくに若者を指す言葉として以前から使われていました。
ただし肯定的な意味で使うケースは稀で、通常は 「プロ志望と称する知ったかぶり」「プロ気取り」 といった ネガティブ な ニュアンス を持ちます。 アメリカなどでは、いわゆるハッカー (Hacker) を気取る半可通などを指して使う場合もあります。
「ワナビー」 から 「ワナビ」 へ
ワナビが考えているほど世の中甘くない…? |
その後 ネット の 掲示板 などで 「ワナビー」 ではなく、「ワナビ」 と語尾を伸ばさない表現で文筆業、とりわけラノベ作家を目指す若い人の意味で使われるようになり定着。 同人 の世界でも、SFや ファンタジー といった 作品ジャンル に関わる人達や、SS の 界隈 で良く使われるようになっています。
またそれと同時に、他人を指す言葉というよりは、へりくだって自分を指す言葉、自虐的 なニュアンスを持つ言葉として良く利用されるように。 これは、「ワナビー」 に前述の通り、いくらかの揶揄や蔑称、ネガティブなニュアンスがあったからです。
この種の職業に憧れ目指している人たちには色々なタイプがいます。 子供の頃から憧れて名作や傑作に親しみ、自分の技術を貪欲に磨き努力を重ねて才能を開花させるタイプもいれば、単に 「普通の仕事はしたくない」「一般のサラリーマンになって満員電車に揺られて毎日通勤するのはウンザリだ」 との現実逃避的な理由から、時間が有り余っている若さだけを武器に、「夢を追っている自分」 に酔っているだけの人もいるでしょう。
また単なる業界人気取りの業界ヲタ、業界周辺で小さな仕事をするだけで満足して業界風を吹かすのが目的のような人も少なくありません。
「漠然とした夢」 と 「努力を伴う目標」
地に足をつけ地道な努力をせず、夢見がちに 「なりたい自分」 の姿だけを追う姿勢はしばしば 「憧れるだけではプロにはなれない」「なりたいという気持ちだけでは夢を実現することはできない」 と批判されたり揶揄されていました。
そもそも作家や小説家になるというのは目的ではなく、「自分の作品を作り、それを世に問う」 という創作活動の単なる結果、そのための手段のはずですし、またラノベ作家を専業でやるのはかなり厳しい話です。 漠然とした 「夢」 など叶うはずがなく、実現できるのはきちんと計画され努力を積み上げた結果、やっと到達するかも知れない 「目標」 だけです。 もちろんそこに 「運」 も必要なのは、ここで改めて申し上げるまでもありません。
富士山の頂は、遠くから眺めると今すぐにでも手が届きそうな距離に見えるものです。 しかしいざ行こうと近づいたり努力し始めると、逆にその距離がはっきりと見え始め、どんどん遠ざかって行くように見えたりもします。 けれどもそこに到達しようと望むなら、一歩一歩自分の足を使って歩かないと、いつまで経っても距離は縮まりません。
このようなことは、ここで書くまでもなく冷静に考えれば誰だってわかることですから、「ワナビ」 という言葉を自嘲気味に自らに使うのは、ある意味でオタク的な自虐の発露だったり、半分無理だとわかった上での ネタ でもあるのでしょうか。 掲示板 2ちゃんねる のライトノベル板 (ラ板) などでは、かなりポピュラーな言い回しともなっています。
それがラノベであれその他のジャンルであれ、生まれついての作家やクリエーターは存在しませんから、誰でも必ずワナビの季節を迎えます。 才能のあるなしは結果論でもありますが、最初に自分の才能を自分で信じなくては、道も拓けないでしょう。 厳しい世界ですが、人生を賭けるだけの価値がある世界だと思います。 素敵な作品を書く人達がどんどん出てくるようになるといいですね。