ぐるぐる廻り続けるだけで一歩も前進しない 「駄サイクル」
「駄サイクル」 とは、駄目なサイクルのことです。 具体的には、クリエイターやアーティストが仲間たちの間で好意的なだけの非生産的な評価をお互いに与え、それを原動力として作品を創り、堂々巡りしている状態、何の進歩も改善もされず、前に進まない状態を指します。 ダサい + サイクル といった意味で捉えられたり、似たような 概念 に 「オナニーの見せ合いっこ」 もあります。
ネット においては、元ネタ の定義 (後述します) もあって、主にクリエイティブな分野で使われることが多い言葉です。 例えばある人が 絵 や イラスト を描くと、友人がその絵を褒める、褒められた方は気をよくしてまた絵を描く、また褒められる…を、慣れ合った 者同士でお互いに延々と繰り返すような状態を指します。
こうした 環境 は心地よいものですし、絵や文章、音楽などなど様々な創作活動においては、友人や仲間からの好意的な評価はとてもありがたいものです。 しかしぬるま湯のような輪の中にいつまでも留まっていては、技術の向上やメジャーな舞台へと活躍の場を移すことは難しいでしょう。 ある意味では、第三者からの客観的な厳しい評価から逃げ、自分の欠点を克服するための努力や修行からも逃げ、気持ちがいい オナニー をしているだけになってしまいます。
マンガ 「ネムルバカ」 の 「駄サイクル」 が身につまされると話題に
「ネムルバカ」(石黒正数) |
こうした使い方をする言葉としての元ネタや概念は、「月刊COMICリュウ」 に2008年3月号から不定期連載された人気漫画家、石黒正数さんの マンガ 「ネムルバカ」 にて登場しました。 プロミュージシャンを目指している大学生、鯨井ルカとその後輩、入巣柚実を中心とした大学生の日常を淡々と、しかし丁寧に描いた作品で、高いメッセージ性や深みのある心理描写で好評価を得ている作品です。
作中では鯨井ルカ (単行本表紙右) が入巣柚実との会話の中で、こうした状況を 「あー駄サイクルだねー」 と自身の造語として表現。 「ぐるぐる廻り続けるだけで一歩も前進しない駄目なサイクルのこと」 と定義し、「輪の中で 需要 と 供給 が成立しちゃってるんだよ」「自称ア〜チストが何人か集まって そいつら同士で 見る→ホメる→作る→ホメられる→(以下同じ) −を繰り返しているんだ」 と述べています。 そして 「それはそれで 自己顕示欲 を満たすための完成された空間なんだよ」 と結論し、柚実は 「はぁ〜〜なるほど−」 と納得しています。
大学生時代といえば、昔からモラトリアム (猶予期間) なイメージがあります。 自由で好きに使える時間も増えますし、実家を出て一人住まいを始めたり、それまでの小中高の頃に比べればお財布に多少の余裕もあったりで、身体の成長も含め、自分がとても大きくなったような気がします。 しかし将来に対する漠然とした不安はありますし、受験や恋愛の厳しさを通して思春期など子供の頃に持っていた全能感も消え失せ、不安定な心理状態にもなったりします。 夢はあるけれどそのための厳しく辛く 地味 な努力はできなかったり、そもそも夢が見つからなかったり。 自分は何なのか、何がやりたいのか。 そして自分がなんら特別な存在ではなく、ごくありふれた普通の人であることに気づく。
そうした 「この時期特有の気持ち」「揺れ動く心」 を、生活や性格が異なる女子大生2人を中心に様々なエピソードで描く作品は、見ていて 「身につまされる」 ような人も多かったのでしょう。 また 「駄サイクル」 といったキャッチーな言葉や、馴れ合いの輪に留まる 意識が高い だけの自称クリエイターや自称アーティストを揶揄するのに便利だとの意味合いも含め、とても使いやすい言葉だったことも、この言葉が広く使われるようになった理由の一つでしょう。
「駄サイクル」 で何が悪い、との意見も
もちろん一方で、個人の 趣味 の世界の話であれば、仲良し グループ 内で楽しくやって何が悪い、わざわざ第三者の意見を求めて積極的に不愉快な思いをする必要などない、そもそも第三者の客観的な批評や感想とやらが必ずしも正しいわけでもないという意見もあります。 また創作活動のモチベーションの小さくない部分に 「人から褒められる」「認められる」 それが嬉しくて次も描きたくなるという感情もあります。 いきなり他人から辛辣に批判されてやる気を削がれては、その後の努力も成長もないでしょう。 絵で云えば、子供の頃に友達に自分の絵を褒められたり、学校や地域のささやかな図画コンクールに入賞して近所の駅やデパートに絵が掲示されたなどを小さな誇らしい記憶として胸に大切にしまっている 絵師 は結構多いものです。
ネットでは根拠もなくことさらに人を非難し ネガティブ な反応ばかりする人もいますから、そんな意見に自分の作品を 晒す 方が非生産的だとの意見だってあります。 他人の作品を自分の好き嫌いや思いつきで偉そうに批評したり、善意のつもりでお節介なアドバイスをするのは、「アドバイス罪」 と呼ばれ批判の対象となることもあります。 ともあれ言葉が広まった後はこの作品を離れ、同人 の世界、同人サークル のありようをはじめ、様々な創作活動を行う人たちの間でも、切なさを感じたり自戒や自省の念が生じる新しいキーワードとして、よく使われる言葉となっています。
なお政治的な主張などで同質性・党派性 の高い集団に閉じこもって互いに承認し評価し合うことで、自分たちの主張や思想が正しいこと、社会の多数から支持されるものだと思い込んだり、それによって主張や思想がどんどん過激化・先鋭化する状況は エコーチェンバー (エコチェン) と呼びます。 駄サイクルとエコチェンは概念自体は違いますが、容易に行き来する状態だとも云えます。