実用性を取るか、見栄えを取るか…バランスが難しい 「デザインの敗北」
「デザインの敗北」 とは、製品やサービスなどのデザインが、あまりにおしゃれ (オサレ)・かっこよすぎて分かりにくく使いづらくなっている状態、あるいは分かりにくさ使いづらさによって利用者らが本来のデザインを無視した改変を行って、せっかくのデザインが台無しになっている状態を侮蔑的に指す言葉です。 略して 「デザ敗」 とも。 一般的には 「デザイナーの独りよがりなデザイン」「分かりやすさ・使いやすさではなく見た目だけを無駄に優先した結果の失敗」 と同じような批判的意味で使われます。
こうした呼ばれ方をするデザインにはある程度の傾向があります。 シンプルさとデザインの一貫性を持たせるために極端に色数を抑えたトンマナ (トーン&マナー) を墨守、色 はコントラストの低い中間色や淡い 色調 を多用、大胆なレイアウト、無駄な情報をそぎ落とし余白をたっぷりと取る、文字の大きさは全体的に小さくかつ役割によって大きなジャンプ率 (文字の大小の差が大きい) をつける、横文字や アイコン・ピクトグラム の多用などです。
これらの要素の一つ一つは適切に使えば極めて理にかなったものですし、それは過去の膨大な才能あるデザイナーの優れた仕事から生まれた素晴らしいテクニックやノウハウの結晶です。 上手に活用すれば、そこらの素人やデザインの基本を知らない人が思い付きで一から作るデザインより、よほど見やすくて上質感もあるものが安定して作れる魔法の技術でしょう。
しかしそれぞれを組み合わせてある レベル を超えるほどに突き詰めると、あるいはTPO (時・場所・場合) や客層を無視した使い方をすると、途端に視認性や識別性が悪くなり、「分かりにくい・見づらい・使いにくい・不親切」「気取っていてウンザリする、鼻持ちならない」「場合によっては危険ですらある」 といった印象を多くの人から持たれてしまったりします。
なお 「デザイン優先」「デザインありき」 という意味で使う場合もありますが、そもそもデザインとはおしゃれとか見た目だけをどうこうするという言葉ではなく、何らかの目的達成や課題解決に対する計画や設計という意味なので、厳密にいえばあまり適切ではないかも知れません。 仮にその目的が 「ある審美基準における見た目が全てに優先すること」 であり達成できているのなら、結果としてどれほど使いづらくても高コストになっても原則的には失敗ではなく成功です。 もしそこで失敗の判定がされるのなら、それはデザインの敗北ではなく目的やゴールの 設定 に対する敗北でしょう。
テプラや説明文がべたべたと貼られる事態にも… 「セブンカフェ」
テプラに彩られたセブンカフェの筐体 |
この言葉が広く ネット で広がった例では、大手コンビニエンスストア 「セブンイレブン」 に登場したセルフサービスのコーヒーメーカーマシン 「セブンカフェ」(2013年1月) の筐体デザインがあります。
客がレジ横に設置されたマシンを自分で操作してコーヒーやカフェラテをカップに抽出する販売サービスですが、マシンの操作部分の説明文字が小さい英字のみなど 「シンプルでおしゃれ」 すぎて分かりにくく、不慣れな客は操作に戸惑うこともあると注目を集めました。
またそのせいで客から店員への使い方の質問が増えて対応に困ったのか、あろうことか筐体の操作ボタンそばの HOT や REGULAR、LARGE といった文字の傍らに 「あったか〜い」「ふつうサイズ」「大の方はここ」 あるいは 「先に押す」「ここに入れる」「熱湯注意」 などといったテプラや説明文の紙がべたべたと貼られまくる状態に。 「せっかくのおしゃれ感も皆無」 という残念な結果になってしまいました。
またこうした状態の写真がネットで面白おかしく 共有 され、一部には大げさ・過剰な形に改変された コラ画像 もあったりしましたが、「デザインの敗北」 という言葉と共に、半ば 炎上 気味に広く話題となったのでした。
2020年春には 「ローソンセレクト」 のパッケージリニューアルが話題に
大きな品名札が掲示されたローソンセレクトの棚 |
ローソンセレクトの商品 |
2020年3月には、同じくコンビニ大手 「ローソン」 の同社PB (プライベートブランド) 商品 「ローソンセレクト」 のパッケージリニューアルが、約680品目という規模で実施されました。 しかし肝心のリニューアルされたパッケージが、「分かりにくい」「選びにくい」「シズル感 を覚えず購買意欲がわかない」 と散々な評価に。
薄いベージュ色をベースに商品画像や文字などは小さく、また商品名にローマ字を多用するなどしたデザインは、1つ1つはかわいらしく質感も良好で、購入して自宅に持ち帰ってもうるさくないスッキリとしたデザインです。 しかし店内にズラリと並ぶと 「何が何やら」 状態となり 「どうしてこうなった」 と批判が噴出することに。
とくにネットでは、レトルトカレーの中辛・辛口の見た目の違いが微妙だったり、商品名の表示で豆腐の TOFU、納豆の NATTO、マーガリンの SOFT SPREAD、味付けのりの SEAWEED などが 「分かりにくすぎる」 と話題に。 また SEAWEED などは、その色合いから 「ボトル型のウェットティッシュかと思った」 などとも云われました。
これら判別しにくいデザインで誤って違う商品を購入した場合には、「デザインに敗北した」 とまで ツイッター などの SNS で云われることとなり、客から苦情があったのか、店舗側は棚に大きな品名札を掲示するなど、誤購入対策に追われることになりました。
結局リニューアルからほどなくして社長自らPB新パッケージを一部変更すると表明 (2020年6月10日)。 その後順次変更が加えられ、ブリスターパッケージなど製品が外部からよく見えるもの以外のほぼ全て、全体の8割以上となる530品目以上が翌2021年春にかけ再度リニューアルされることになりました (4月時点、残りも順次デザイン差し替え)。 リニューアル後1年もしないうちにほぼ全てが再変更となった以上、この施策は完全な失敗に終わったといって良いでしょう。
視覚・色覚的な弱者や児童・高齢者らに十分配慮したデザインなのか
デザインは製品やサービスにとって大切なものですし、それ単体の評価だけでなく陳列される店内 環境 や購入後に置かれるたたずまいを含め、十分に時間やコストをかけて追求すべき大切な要素です。
別におしゃれなデザインが必ずしも分かりにくいという訳でもないのですが、老若男女問わず多くの人が利用する場合には、真っ先に 「分かりやすさ」 や 「使いやすさ」 が必要でもあり、結果的にテプラや紙をべたべたと 現場 の判断で貼らなければまともに機能しない、選べないという点においては、文字通り道具や商品パッケージとしてのデザインの敗北ではあるのでしょう。 まして、スピーディーな利用が求められるコンビニでは、利用 ニーズ との相性の悪さも際立っています。 いちいち手に取って、細かいローマ字を 「読む」 ことでしか、商品を選べないのですから。
またデザインの世界で無視できない国際的な思想やトレンドに、UD (ユニバーサルデザイン) や SDGs (エスディージーズ) があります。 誰にでも平等に分かりやすく使いやすく安全なデザインが社会的に求められ、ダイバーシティ(Diversity/ 多様性) やバリアフリー (Barrier free/ 障壁の除去) が叫ばれる中、一部の案内表示などは JIS規格化もされています。 これらを無視した余りにも小さすぎる文字や英字のみでの表記、コントラストのぼやけた図案、色の違いのみで区別といったデザインは、視覚・色覚的な弱者や児童・高齢者らに十分配慮したデザインとは云えず、少なくとも不特定多数が利用する 公共施設 や商業施設、なかんずくもはや社会インフラともなっているコンビニの案内や商品パッケージには、ふさわしくないでしょう。
これは単に使いづらいという利便性の範疇を超え、間違って購入したり食品の情報が分からずアレルギーの対策ができないとか、熱湯や火や電子レンジ等の誤った取扱いの誘発による危険の増大とか、店内案内では緊急時に避難経路が分からないとか、人身や命にも直結しかねない重大で深刻な問題です。 似たようなケースに、幾何学的な模様などがあしらわれて段差がわかりにくい階段 (危ない) や採光が良すぎる図書館 (本が紫外線で焼けて退色する)、内装に色や質感を合わせた非常ベルや AED、消火栓の扉 (緊急時に見つけづらい)、男女の別が分かりづらいトイレの案内板なども度々ネットで話題となります。 様々な人が様々な用途のために使うものである以上、「見た目がいいからそれでいい」 では済まない状況があるのです。
シンプルと煩雑の狭間で生じる 「嫌おしゃれデザイナー感情」
ネットなどでことさら 「デザインの敗北」 が叫ばれだした頃と前後して、デザイン世界のトレンドに 「フラット」(グラフィック要素に質感や光沢感、立体感などがないもの、平面的で幾何学的なもの) が急速に広がっていた点も見逃せないでしょう。 こうしたトレンドの端的なものは、2012年の Windows のモダンUI (Metro)、2013年の iOS 7 の登場あたりから日本でも話題になっていましたが、当初はあまりにシンプルでそっけないものに見え、一部機能やメニューの統廃合などもあって 「分かりづらい」「使いにくい」「安っぽい」 という批判的な評価が大きいものでした。
先鞭をつけた Windows の Metro はその概要が 2010年に発表され、地下鉄の案内表示のデザイン、それも日本の東京メトロの影響がかなり大きいもので話題性も十分なものでしたが、当初は一部の人を除いてさほど話題になりませんでした。 しかしいざ実際のプロダクトとして発表されると、Windows は利用者も多く、アイコンのタイル表示もあわせてネットでの評価は散々なものとなってしまいました。 そのすぐ後に MAC や日本での利用者が極めて多い iPhone のアイコンもですから、こと日本においては動きが急すぎたのでしょう。
また同じく並行して大手メディアなどから持てはやされた 「無駄なものを持たない」 という 「ミニマル」(必要最小限) な考え方とその実践のイメージ (生活感のないモデルルームのような部屋とか、ネットで批判されがちな 意識が高そう なイメージ) と共に、「オサレな連中は説明不足で気取っている」 という嫌悪を、一部の人に強く感じさせるムーブメントとなっていました。 「セブンカフェ」 などのネットでの盛り上がりは、こうした流れの中で 「またかよ…」 とのウンザリ感と、それが 「自分たちの生活圏であるコンビニにも来た」 ことが手伝い、より大きくなった部分もあるといって良いでしょう。
もちろん、これらとは正反対となる、ごちゃごちゃとしたビジー (情報過多) なデザインや様式が好きだ、あるいは好きではないが別にうるさくも感じない層が一定数以上いるのも、こうした風潮に批判的な意見が出がちな状況を作っている部分もあります。
例えばやたらごちゃごちゃと情報が詰め込まれたスーパーのチラシ、誌名すらよくわからないほど色とりどりの文字だらけの雑誌の 表紙、楽天に代表される情報過多な通販サイト、行政資料などによくある曼荼羅のような ポンチ絵、圧縮陳列と膨大な販促POPによって売り場がごちゃごちゃしているディスカウントショップ、ドン・キホーテの人気などは、一定の アンチ を持ちながらも消費者からはおおむね支持されていて、また支持していない人たちもこれらのサービスや街中の膨大な案内看板などに毎日触れることですっかり慣れて、さほど違和感を覚えなくなっている部分もあるでしょう。
デザインの世界では昔から 「シンプルイズベスト」 が叫ばれていますが、あまりにもシンプルすぎるものを見せられても、「視認性に乏しく実用性に問題あり」「デザイナーの オナニー」「手抜き」 に見えがちで、つい文句の一つも言いたくなってしまう問題があります。
最終的にはデザイナーではなく 「そのデザインを採用した誰か」 が悪いわけですが…
もちろん商品パッケージにせよ案内看板にせよ何にせよ、商業 プロダクトが世に出るには、デザイナーにデザインを発注しそれを採用したクライアント企業があるわけで、全てをデザイナーの責任にするのは酷というものです。 自らの美意識に基づき誠実にデザインワークをしつつも、究極的には発注側の望むデザインを仕上げるのがデザイナーである以上、利用する側が感じる 「デザインの敗北」 の最終的な責を負うのは企業などの発注側であるべきです。
しかしネットなどで騒ぎになるほどの大型 案件 を受注するデザイナーたちは、その世界で大御所や新進気鋭の有名デザイナーと呼ばれる著名なデザイナーや大手デザイン事務所であり、大手広告代理店などと太いパイプを持ち、何かとメディアや業界内で持ち上げられがちの存在です。 その結果、企業や発注側が内容をよく精査せずありがたがって採用しているようなイメージを喚起しますし (実際はそんなことはないと思いますが)、素人から見て鼻持ちならない感じがして反感を受けやすい部分もあるのでしょう。
またそもそも大前提の話として、クライアント企業は内製できないレベルのデザイン品質が課題解決のために欲しいからこそ、わざわざ外部のデザイナーに業務を依頼するのであり、請け負ったデザイナーは専門家・技術者として課題解決や ニーズ に誠実に応える義務があるでしょう。 「作ったのは私たちだが、選んだのは彼らだ」 とクライアント企業やその担当者に責任を押し付けるような状態となってしまっては、顧客の無知に付け込んで無意味な健康食品や粗悪な美容品を高値で売る悪徳業者と大した違いはなくなってしまうでしょう。
もっとも、万人に受け入れられるデザインはしばしば無難なものに落ち着きがちで、それではわざわざデザイナーを起用して新しいデザインの提示やリニューアルをする意味がないでしょう。 また当初は受け入れられなかった斬新で尖ったデザインが世の中に新しい価値観や潮流を生み出し、新しい当たり前を作り、デザインの世界をより洗練されたものに進化させてきたことも事実です。 それは才能あるデザイナーやチャレンジ精神を持つ発注者、好奇心 旺盛な消費者らが一緒に創ってきた輝かしいデザインの歴史です。
「どんな高邁で 高尚 な コンセプト があるのか知らないが、現実問題として使いにくいじゃん」 という声にどう向き合うか。 これがアートやアーテイストの世界の話なら 「好きな人、分かる人にだけ向けて作っています」「嫌なら見るな」 で良いのかもしれませんし、業界内の 仲良し 間で 駄サイクル を回すだけなら勝手にやっててくださいですが、不特定多数が使う実用品や公共施設、あるいはすでに多くのファンがいる既存製品のリニューアルにおいては、当たり前ですが使う人、選ぶ人をまず第一に考え、バランスを取ってうまく融合する必要があるのかもしれません。
機能美と共に、誰でも平等に分かりやすいデザインが求められる時代
民芸品などで使われる古い言葉に 「用の美」 というものがあります。 一般的な言葉で云えば 「機能美」 と同じような 概念 ですが、無駄な装飾をつけ足したり、必要なものをあえてそぎ落とした使いづらいものを押し付けるのではなく、使うものの立場に立ち、実用性を優先した結果生じる 「優れた道具としての美しさ」 です。
「不特定多数が使う道具・見る案内・商品パッケージ」 に求められているのは、前述した UD や SDGs と合わせ、むしろこうした考え方や姿勢でしょう。 大切なのは適切なシグニファイア (人と物との関係性を明示してくれるサイン) を見やすく提示することです。 そこにいかにして新しさやオリジナリティを吹き込むのか。 店内環境やブランドイメージなどとどう調和させて目的を達成するのか。 デザイナーの方々の腕の振るいどころはこの辺りにあるのでしょう。
なお似たようなネット発祥の言葉に、2ちゃんねる (5ch) で2019年に作られた言葉 「シュッとしたゴミ」(かっこいいだけで分かりづらい公共施設の案内看板など) もあります。 概念や使いどころも 「デザインの敗北」 とほぼ同じです。
またデザイナーを巡るあれこれで大きな話題となったものに、上級国民 という言葉が生まれた 「2020年夏季東京オリンピック・パラリンピック」 公式 エンブレム (公式ロゴ) コンペ騒動 (2015年) があります。 2013年のセブンカフェや2020年のローソンPB新パッケージなどもそうですが、数年の間にデザインに関する大きなトピックが、それも ネガティブ な方向で目白押しだったのも、これらデザイン関連の批判的な ネット用語 が広く浸透したとても大きな理由なのかもしれません。