こう思ってるはずだ! の思い込みが暴走 「エスパー論法」
「エスパー論法」 とは、議論や論争において相手がしゃべっても書いてもいないことを 「こう思っているはずだ」「こう考えているはずだ」 と自分勝手に読み取って決めつけ、それを前提とした都合の良い持論の展開、あるいは批判や反論をするような行為のことです。 行為の強い類似性から 藁人形論法 と呼ばれることもあります。
もっぱら行為に対する蔑称であり、主に ネット の 掲示板 などで用いられます。 そうした論法をよく使う人はエスパー (超能力者) と呼ぶこともあります。 またこちらに 「察する」 ことを求めるような態度の相手に対し、「エスパーじゃないからわからん」「はっきり云え」 みたいな意味で使うこともあります。
似た ニュアンス の言葉として 「読心術」 や 「プロファイリング」(犯罪捜査において犯行現場の遺留品や犯行の手口などといった様々な断片的情報や状況を心理学や統計学を用いて分析し犯人像を推定すること)、「名探偵」(隠された事実を推理で明らかにする人) や 「名推理」、「イタコ芸」(死者の霊を呼び出して語る霊媒師) などと呼ぶこともあります。
これらは相手の隠された意図を的確に看破したと賞賛の意味で使ったり、それ以外の意味でも使われることがあります。 しかし文脈によってはエスパーと同じような揶揄・蔑称になることもあります。 とくにイタコ芸(イタコ論法) は、対象が第三者の場合、ほとんど同じような意味で使われることが多いでしょう。 より揶揄の意味が強い言葉には 「電波受信」(精神に異常があってありもしないものが見えたり聴こえているとの意) もあります。
関連する用語に 「下衆 の勘繰り」 を意味する 「ゲスパー」(ゲス + エスパー) もあります。 エスパー論法とおおむね同じ意味ですが、その内容がとくにゲスなもの、とりわけ他者の厚意や親切、善意などに対して極端な裏読みをして、ありもしない悪意や腹の内を邪推するような卑しい勘繰りを指して使うことが多いでしょう。
相手の内心を自分に都合よく (あるいは無意識に) 勝手に読み取る
エスパー論法で代表的なのは、悪意のないごくありふれた話の中に悪意を感じ取ったり、一つ一つの言葉にいちいち 脊髄反射的・揚げ足取り的な曲解やあげつらいをする、その場にいない人や故人の考えを自分に有利な方向で憶測して代弁するなどがあります。 「思ってるからそんな言葉がでてくるんだ」「いつもそればかり考えているんだろう」「〇〇さんもきっと悲しんでいるはずだ」 などと他人の内心を決めつけるわけですね。
こうした不誠実で相手への 人格攻撃 にもなりかねない論法を使うのにはいくつか理由があります。 代表的なのは、議論で自分の側が不利だと感じた際に、話を都合よく捻じ曲げたり場の主導権を握るための 詭弁 としての使われ方でしょう。 この場合、不誠実ではあるけれど、少なくとも話の中身や流れは把握できる能力の持ち主だと考えられ、まだ話し合いによって歩み寄りや打開の余地があるとは云えるかもしれません。
一方でより困難だと思われるのは、本人の知的能力に制限があるなどで相手の言葉や文章がまともに理解できず、その理解できない部分を自分の 脳内 で勝手に補足・補完して理解した気になっているような場合です。 しかもこの場合、エスパー論法をしている人の内面が、まるで写し鏡のように反映しているだけの場合が多いものです。 例えばいつも嘘ばかりついている人は、自分以外の人間も嘘をついているに違いないと思いがちになったり、無意識にそれを疑ったり警戒したりするものでしょう。 根拠のない思い込みはその人自身の 自己紹介 や 答え合わせ のようなものであり、一見他人と議論や対話をしているようでも実際は本人が自問自答しているのと変わらず、意思疎通や相互理解が非常に難しいでしょう。
またこれに関連して、精神状態に何らかの問題があって、病的 なほどの被害妄想に陥っている場合もあります。 相手の発する言葉の一言一言、文章の一文字一文字が自分に対する攻撃や悪意を持ったものに思えて、本人はそれに必死に抗っているつもりになっている状態です。
これらのパターンはいくらか混ざり合っていて、第三者から見ると 「?」 な状態でも、本人はそれに全く気が付いておらず、「そんなこと言ってないだろ」 との反論にもごまかしや嘘を感じてしまうような状態にあったりします。 とくに周囲に人がいる状態とか公開されたネットの場などでは、周囲の人間全てが自分の敵に思えたりして、全方位にエスパーを発揮してどうしようもなくなっているケースもよく見かけます。
行間や空気を読む能力は、諸刃の剣
これらは特定の人だけが持つ固有の現象という訳でもなく、誰でも容易に陥りがちな状態です。 多忙やストレスによって心身が疲労している時、党派性 や損得勘定に囚われている人、恋愛感情が絡むもの、たまたま虫の居所が悪かったりお酒が入ったりすると、日ごろは聡明で論理的な思考ができる人でも、謎のエスパー能力を発揮して怒りを爆発させることは少なくありません。 「誰でもエスパーになりがちだ」 というのをしっかり自戒できる人なら、その頻度を少し減らせるかな、みたいな話です。
そもそもネット上の 炎上 なども、その発端はたった一言の失言とか些細な問題行動が原因の場合も多いでしょう。 しかしたったそれだけで、いったい相手の何が分かると云うのでしょうか。 けれども多くの炎上ではそれだけでその人間を悪人だと断じて批判を浴びせたり、口にはしなくとも心中では不快に感じてしまう人も多いでしょう。
行間を読むといった表現があるように、本人が口に出してしゃべった言葉以外にも伝えたいことが伝わってくることはあります。 様々な抑圧から悲しみや怒りの感情を外に向けて出せない人、言葉を選んで語らざるを得ない人も多いので、時と場合によっては繊細すぎるくらい繊細に他人の内心を感じ取って共感したり、意をくんで代弁するのは素敵なことでもあります。 ただし自分の感じ方があまりに自分だけに都合が良かったり、あるいは周囲の理解がまるで得られない場合は、自分の感じ方がおかしいのかもしれないと疑ってみるのは大切です。
「他人の感情や行間や空気が読めない奴」「いちいち口に出したり文章にされないと理解できない奴」 と 「勝手に他人の心を推察して都合よく 解釈 する奴」 は相反する判断が非常に難しいケースバイケースの言葉です。 いずれも当事者にとって都合が良いものであれば 「人の気持ちが分かる素敵な人」 になるでしょう。
このあたりの機微に対するバランス感覚の有無が、あるいはコミュニケーション能力の本質だったりもするのでしょうが、卑劣・卑怯と思われるよりは愚鈍と思われる方がマシだと思うなら、他人が口に出していない話を自分に都合よく利用するのは止めた方がいいでしょう。 それは単に自分が相手から良く思われないといった外部評価に対する問題が生じるだけでなく、本人の思考パターンにも影響を及ぼし、いずれは 「人の話を聞かないし理解もできない奴」 になってしまうからです。