鉄道事故直後の記者会見で…「人が死んでんねんで!」
「人が死んでんねんで!」 とは、事故や事件などで被害者が出ている場合に、加害者やその関係者に対して キレ 気味に食って掛かる罵倒・罵声のフレーズの一種です。 「人が死んでんでんで」 などと表記される場合もあります。
後には、人が死んでない事件や事故だったり、アニメ や マンガ の登場人物の物語上の死去などでも、ネットスラング としてことさらに 「人が死んでんねんで!」 と罵声を浴びせかけるような形で使う場合もあります。
元ネタは、JR福知山線脱線事故の際の記者会見
元ネタ ですが、2005年4月25日に発生し、107名もの被害者が出てしまった 「JR福知山線脱線事故」 の際の、記者会見のニュース映像で流れたヒゲの新聞記者のセリフ、
「そんなこと無いやろう!? 人が死んでんねんで!」
に由来します。
この記者会見は事故発生直後 (事故発生9時過ぎ、記者会見11時頃) のもので、JR西日本側も事態の把握と被害者やその家族、関係者への対応で右往左往している状況でした。 この時点では電車の前3両が脱線、死者2名、負傷者139名のみ (JR西日本側把握は102名以上) が判明している段階でした。 また脱線衝突 現場 にあった自動車の存在 (事故の原因がその車との衝突なのか、そうでないのか) が、繰り返し何度も質問されていました。
この最初の記者会見で、ある人物が 「事故の原因について何か把握しているんですか?」「車とどんな風にぶつかっているか何でわからないんですか!」「少なくともJRはどんな情報を持っておられるんですか!」 と矢継ぎ早に大声で詰問。
JR西日本側の担当者が、「脱線してしまったことは把握しています」「脱線そのものの原因は、まだ調査中です(車との衝突が原因なのか、すでに脱線した後に車を巻き込んだだけなのか、現時点ではわからない)」 と コメント したところ、上記の 「そんなこと無いやろう!? 人が死んでんねんで!」「はぐらかすな! 説明になってない」 との怒号、罵声のようなセリフになったのでした。
「記事が書きたいだけのくせに遺族の代表ヅラするな」 と、批判噴出
この様子はテレビで中継され、罵声の主が遺族や被害者、被害者家族などではなく、単なる報道記者 (大阪読売新聞 社会部) だったことから、「事故からたった2時間、現場は被害者救出で精一杯だろうに、原因が分かるわけがないだろうが」「目の前に助けを求める被害者が何百人もいるのに、それを無視して原因調査をやってたら逆にびっくりするわ」「正義の味方のつもりかも知れないが、公平で冷静な記事を書くべき記者が、あんなに感情的でいいのか」「事故原因と死者がでていることと、何の関係があるのか」「何様のつもりだ、不快だ」 と、ネット 上の 掲示板 などで批判が噴出。
その日の深夜 (26日1時) には、掲示板 2ちゃんねる のガイドライン板 に 「人が死んでんねんで」のガイドライン」 スレッド が立ち、元からネット掲示板住人らの 「反マスコミ」 の空気もあり、ある種の流行語のような扱いになってしまいました。
事故を起こし被害者を出したのは JR西日本ですし、その後の対応に疑問点もあります。 しかしその後もマスコミは、この事故の遺族や被害者の家族などを執拗に追い掛け回して扇情的な報道を繰り返したため、それを揶揄し批判するような使い方で 「人が死んでんねんで!」 が書き込まれるようになっています。
なおこの記者が発したと思われる発言は別の日の会見のものも多数あり、「わかってるちゅうねん!そんなん!」「あんたら、もうエエわ (社長を) 呼んで!」「あんたらみんなクビや!」「遺族の前で泣いたようなフリをして、心の中でベロ出しとるんやろ!」 などがあります。
「脱線事故会見で不適切な発言があった」 として正式に謝罪
その後、雑誌 「週刊新潮」 に、この騒動を伝える 「『記者会見で罵声』を浴びせた『ヒゲの傲慢記者』の社名」 という記事が掲載 (2005年5月19日号)。 またブログで記者の実名を突き止めたエントリーが登場し、批判が殺到することとなりました。 大阪読売新聞では多数の批判を受け、「脱線事故会見で不適切な発言があった」「明らかに記者モラルを逸脱していた」 として、その後に社会部長名で正式に謝罪 (2005年5月13日) しています。
問題の記者は取材で 「あんたら、もうエエわ (社長を) 呼んで!」 と大見得を切って叫んでいましたが、この謝罪に本人や新聞社の社長が出てくることはありませんでした。