他人の揚げ足取りのつもりが…実は自分が間違い 「私気づいちゃったんですけど」
「私気づいちゃったんですけど」 とは、他人がやらかした些細なミス、どうでもよい細かい間違いを目ざとく発見し、喜び勇んで得意げにそれを大声で吹聴するような時に使う言葉です。 実際はそのミスがミスではなく (自分の思い込みや単なる思い違い) 自爆な結果に終わったり、他人の厚意を踏みにじる時のセリフのような扱いもされています。
元ネタ としては、2009年3月14日に起こった、いわゆる 「心ずかい騒動」(心づかい騒動) で生まれた言葉になります。
麻生総理の親書の間違い (実は間違ってなかった) を晒上げる人
2009年2月14日の 「バレンタイン」 に、総理官邸につめている女性報道記者 (番記者) らが、麻生総理に 「電子辞書」 をプレゼント。 これは、かねてからの麻生総理の 「漢字の読み間違い」(誤読言葉) を皮肉った贈り物だったんでしょう。 それを受けて翌3月13日、1日早い 「ホワイトデー」 には、麻生総理が女性記者らに 「白いICレコーダー」 を直筆の親書を添えて人数分プレゼント。 これは 「正確に記録して正しい報道をしてください」 という総理側のウィットだったのでしょう。
日刊スポーツ ウェブサイト 2009年3月14日 「麻生首相の無知が久々に炸裂!「ずかい」 訂正も謝罪もなく、記事を削除している |
FNN ウェブサイト 2009年3月13日 「麻生首相追加経済対策指示 橋下知事と 東国原知事が有識者会議出席へ」 との ニュース報道で、「首相ホワイトデーでまた…」 翌日に動画の心づかい部分のみカットされた |
ところが翌日になり、日刊スポーツに 「麻生首相の無知が久々に炸裂!「ずかい」 という記事が掲載。 総理の親書に 「心ずかい」 という言葉があり、「これは 「心づかい」 の間違いではないのか」「また総理が無知を 晒し た!」 というバッシング記事でした。
実は前日13日昼から夕方にかけ、テレビ番組 (FNN/ フジテレビ系、日テレ系など) がこの部分に赤線を引くなどし、間抜けな音楽をBGMにつけて面白おかしく報道していました。 ただし扱いが小さく、あまり話題になっていませんでした。
しかし日刊スポーツというウェブ上のニュースになったことで 掲示板 2ちゃんねる に関連 スレッド が立ち注目を集める結果に。
なかでも前日にNNN (Nippon News Network/ 日本テレビ放送網) の女性アナウンサー、丸岡いずみさんが行ったテレビ番組 「おもいッきりイイ!!テレビ」 内のニュースコーナー 「NEWSエスプレッソ」 の報道、「女性記者に“お返し” 直筆で「引き続き」 は、大きな話題となりました。
内容は、この親書を画面いっぱいに拡大しながら該当部分を指さし 「ちょっとですね、わたし…ま、いらぬところかも知れないんですが、ちょっと気づいてしまったんですが」「もしかすると 「つ」 に点々かも知れないですね」 と笑いながら コメント していたものでしたが、これが ネット で広がると大騒ぎに (きっと急いで書かれたので、ちと間違われたと思いますがと フォロー もしていたんですが…)。
「私気づいちゃったんですけど」 の元ネタは、この発言からとなります。
「2ちゃんねる」 で 「心ずかい」 のお祭りが勃発
これら一連の報道を受けて、「2ちゃんねる」 などでは 「厚意の贈り物に添えられた手紙を公共の電波を使ってまで晒しものにするって、人間としてどうなのか」「麻生 いじめ、麻生叩きで感覚がマヒしているのではないか」 と批判が噴出。 さらに 「心ずかい」 は間違いではないことも判明。
これは、昭和61年の内閣告示で、公的文書などでは 「こころづかい」 が望ましいとなっているだけで、それ以前は 「こころずかい(ひ)」 が望ましいとなっており (昭和21年内閣告示より)、昭和15年 (1940年) 生まれの麻生総理が学校教育を受けたり公的文書を自ら作成していた時期 (表音式仮名遣い) には 「心ずかい」 がむしろ正しかったことなどが広辞苑などの記述から判明。 またこれら 「内閣告示」 はもっぱら公的文書や学校教育の指針に対するものであって (法令、公文書、新聞、雑誌などでの制限ではなく目安)、私的な手紙においてはその範囲外であり、そもそも間違いも何もないことが判明。
さらにこれを指摘したアナウンサーの公式ブログに誤字脱字や言葉の誤用が多数見つかったこと、過去のテレビ番組出演シーンの動画中に漢字の読み間違いと思われるシーンが見つかったこと、このアナウンサーが文学部卒業だったことなどが発覚したこともあり、「間違えているのは自分の方じゃないか」「他人の失敗を笑える立場か」「総理と違って、あなたたちは言葉のプロだろうが」「他人を貶すことしか考えてないから、こんな恥ずかしい自爆をするんだ」 などの強烈な反論を呼び起こしました。
プレゼントを手渡す際の総理や女性記者の様子が、さらに印象を悪く
麻生総理がプレゼントを手渡す際、「ジャーン」 などと陽気におどけて屈託のない笑顔でいた映像があったことも手伝い、「立場や主義・主張は違っても、同じ場所で仕事をする人同士、それもおじいちゃんほども年の離れた年長者が仕事を離れ個人的に善意でやったことを、こんな風に利用するマスコミの下劣さは異常だ」 との意見が相次ぐこととなりました。
また麻生総理が両手でプレゼントの入った紙袋を取り出し贈り物の説明を始めると、その口上が終わってもいないのに別の女性記者が片手でその袋を受け取ろうと何度も手を伸ばす姿も 「みっともない」 と批判されていました。
麻生太郎著 「とてつもない日本」(新潮新書) は Amazon はじめ各ランキングで1位に |
その後報道機関などへ 「間違えているのはあなたたちの方だ」「漢字の読み間違いで総理失格なら、日本語を間違えて胸を張るあなたたちはマスコミ失格ではありませんか?」 との苦情の メール や 電凸 なども行われたようですが、訂正や謝罪はどこの局も行っておらず、「私気づいちゃったんですけど」 生みの親の丸岡いずみさんも無視。
テレビ局のニュース動画の該当部分のみが不自然にカットされたり、日刊スポーツのウェブサイトからは当該記事は早々に丸ごと削除されて、「なかったこと」 にされています。
なおこれら一連の情報が非常に迅速に集まり、また 拡散 したのは、マスコミの麻生総理への重箱の隅をつつくかのような異常なバッシング報道に対して異議を唱えるための 「麻生首相の本購入イベント」 が、ちょうど盛り上がっていた時期にあたっていたのが大きな要素となっていました (一斉購入の日は3月10日)。
2ちゃんねるオカルト板 (オカ板) の2月26日の 書き込み を発端に始まったこの 祭り は3月1日に祭りとして盛り上がり 「2ちゃんねる」 各板、他のコミュニティなどにも伝播していて、通販サイト amazon や紀伊国屋書店、楽天ブックスなどの書籍売り上げランキングで麻生太郎著 「とてつもない日本」(新潮新書) は1位を獲得。 「NEWSエスプレッソ」 の発言を報告したのも、このお祭りを行っていた 「イベント@2ch掲示板」 のスレッド内でした。 その後関連スレッドが多数立ち上がって騒動が広がったり、「ニコニコ動画」 などに 「1分30秒でわかる「心づかい」騒動」 といったまとめ動画が登場。
使い勝手がよく、また似たような言い回しが登場していたテレビドラマ 「ケイゾク」(TBS系列/ 1999年1月8日〜1999年3月19日) の 主人公、捜査一課弐係の柴田純警部補 (中谷美紀) の決めセリフ、「あのー、犯人わかっちゃったんですけど」 との類似性もあり、言葉として一人歩きする中で元ネタから離れ、各地に伝播してさらに広まることになりました。
総理の読み間違いではなく、記者の 「聞き間違い」「勘違い」 で繰り返しバッシング
日刊スポーツ 「首相 プロンプターでも誤読」 実際は誤読ではなく記者の 「聞き違い」 だった 訂正も謝罪もなく、記事は削除している |
そのすぐ後、2009年3月31日になって、今度は記者の 「聞き間違い」 による記事の配信が発覚。 同日の記者会見で、総理が演説の原稿を表示する 「プロンプター」(原稿映写機) を使用したことを伝えるニュース、「首相 プロンプターでも誤読」 では、「景気の 「底割れ」 を防ぐ」 と書かれた原稿を、総理が 「底上げ」 と 「誤読した」 と報道。
ところがすぐに 「いや、底割れってちゃんと読んでいたぞ」「記者の方こそ底割れと底上げを読み間違えたんじゃないのか」 と 突っ込み が入り、記事を配信した共同通信の 「47NEWS」 では、わずか数分で記事が訂正 (誤読部分のみ削除)。
しかし共同通信からニュース配信を受けている各報道機関は元となった 原稿 のまま記事を配信し、その新聞を引用する形でテレビなどでも報道。 誤った情報が広がることになりました (その後、それぞれが訂正・謝罪なしで順次記事を差し替えもしくは削除)。
記者会見の内容に触れず、「誤読を防ぐためプロンプターを使った」 とか、あまつさえ記者の勘違いを誤ったまま批判に使うなど常識外れの 「麻生バッシング」 に、「マスコミも終わりが見えてきたな」 との意見も出てくるように。 ちなみにこの記者会見、筆者 も見てましたが、間違いなく 「底割れ」 といってましたね。
「底割れ」「底上げ」 誤報の次は 「弥栄」 で誤報
msn産経ニュース「麻生総理「弥栄」を 「いやさかえ」と言い間違え 両陛下の祝賀行事」 訂正も謝罪もなく、記事は削除している |
さらにその直後の4月10日、今度は天皇・皇后両陛下のご 結婚 50年祝賀行事に参加した麻生総理の祝辞に含まれていた 「弥栄」(いやさか) を、「いやさかえ」 と読んだとして産経新聞は紙面と同社 運営 のニュースサイトにて、「麻生総理「弥栄」を「いやさかえ」と言い間違え 両陛下の祝賀行事」 と報道。
別の場所で撮影した麻生総理のバツの悪そうな表情をした写真を 「またやっちゃった?麻生総理」 とのキャプションを付けて報道しました。
こちらも、「いやさか」 は時代を下って短縮された口語体の読み方 (音便変化) であって (「やさか」 と読む場合もある)、本来は 「いやさかえ」 が正しく、皇室関連行事のようなこれ以上ない格式の正式な場所では、「いやさかえ」 こそが相応しいとの意見もあると各種資料から発覚。 天皇・皇后両陛下に対してなんら失礼に当たらず、むしろ祝賀の式典を無知、もしくは悪意で麻生批判の道具に使うマスコミの方こそ非礼だと話題に。
これらがネットで話題になると、産経は記事をネット上から謝罪・訂正もなく削除。 この報道を引用する形で報道したテレビ局の情報バラエティなども、一切の訂正を行っていません。 ちなみにこちらの 「誤報」 も、共同通信のニュース配信が元になっています (同じニュースが他の報道機関数十社で配信されています)。
TBS系サイト 「web 多事争論」 が炎上
「弥栄」 で炎上した 「web 多事争論」 の 掲示板 (ただしコメントは最大50まで) その後掲示板への リンク が削除され、 「より議論をしやすい 環境 を作るため、現在 リニューアルに向けて準備中です。 今後とも ご支援をお願いします。」 とアナウンス。 |
なお TBS 系 WEB多事争論編集委員の吉岡弘行氏は、この 「いやさかえ事件」 をネットで取り上げ、2009年4月12日に 「2009年4月のメディアの改編・刷新について」 とのトピックの中で 「国のトップが国民の象徴に対してこれでは情けない限り」「歴史的な誤った日本語事例」 とまでこき下ろし、強く批判していました。
こちらは後に利用者による指摘で誤りに気づき、条件つきで訂正と謝罪らしきものを行いましたが、それが不十分だと批判されると、「弥栄を「いやさかえ」とも読むことを初めて知りました」「茶の間で観た方々は、何かしら違和感を持ったのは事実ではないでしょうか?」 と視聴者や 読者 に責任を転嫁するような見苦しいコメントを発表。
その後炎上し、キャッチフレーズの 「論を愉しむ」 や、サイトマニフェストの 「多様な意見や立場を登場させることで、社会に自由の気風を保つ」 はどこへやら、1週間後にはこのエントリーへのアクセスができなくなり、その後このエントリーを含め全ての視聴者からのコメントを削除。 まるで議論打ち切りとばかりに書き込みも閲覧も一切できなくなっています。
また産経やニュースの元となった共同通信は、視聴者や読者からの問い合わせに対し、「間違いではなかった」「しかし記事は総合的に判断して削除した」 と釈明。 うち共同通信は、「ニュース報道では、正確性と共に速報性も求められる」 とコメント。 しかし 「漢字の読み間違い」 に、正確性を犠牲にしてまで国民に伝えるべき重大な速報性があるのかはたいへん大きな疑問です。
その後も誤報が次々…ついには 「また、やったな、と思った」 などとも
5月30日には、同月27日に行われた党首討論 (麻生総理と鳩山民主党代表) についてのコラムで、麻生総理の 「鳩山幹事長は (小沢元代表に) 殉じるとおっしゃった」 発言を毎日新聞の岩見隆夫記者が 「鳩山は殉じるなどと言ってない」、麻生総理の誤った言語感覚による間違いであり、また、やったな、と思った と批判。
しかしすぐに 「鳩山幹事長が殉じると発言していた」 との批判を浴び、「やっぱり殉じるといってました」 と訂正。 しかしコラム記事の大きさに比べ、余りに小さい謝罪訂正記事となっていて、「これでは誤報でイメージを植えつけた方が勝ちみたいなものだ」 と批判を浴びる騒ぎに。
誤字脱字なんか、誰でもやる失敗なんですから…
これら一連の騒ぎのちょっと前から、こまけぇこたぁいいんだよ!! なんて言葉もネット上では流行っていましたが、誤字脱字や読み間違い、パソコンのキーボードの変換ミスや打ち間違いなど、人間なんですから誰だってやること、どうでも良い些細なミスです。 少なくとも毎日毎日朝から晩までテレビやラジオや新聞雑誌総動員で、人格攻撃 まで加えて批判するほどの大失敗じゃないでしょうし、生まれてから一度もその失敗をしたことがない人がいたなら、お会いしたいくらいです。
就任後に秋葉原で演説する麻生総理 景気対策にはぜひ 「萌えニューディール」 を |
もちろん重要な書類などにそれがあったら問題ですし、新聞や雑誌、辞書の類などは、関わる人が言葉のプロとしてミスを犯さないよう心がけるのは大切ですが、いちいち指摘して連日大騒ぎするようなことではないと思います (まぁ、この同人用語サイトだって、誤字脱字だらけだと思いますよ…減らすよう、なくすよう努力はしてますが…すいません)。
また 「づ」 と 「ず」「ぢ」 と 「じ」 などのこの手の旧仮名遣い、表音式仮名遣い、現代仮名遣いのアレは、筆者のような拙いながらも文章を書いている人 (多少でも事情を知っている人) は、怖くていちいち指摘しないものです。 書籍・雑誌などで出版社や編集部ごとに言葉のガイドラインがあったら、仕事としてその場所での文章作成ではそれに従い守りましょうというだけで、よほど自信がない限り個人的な文章にまでいちいち干渉しません。 というのは、うっかりすると自分が間違えている可能性があるからです。
「いなづま」 と 「いなずま」(稲妻)、「いかづち」 と 「いかずち」(雷)、「づかい」 と 「ずかい」(図解)、「じめん」 と 「ぢめん」(地面)、「はなじ」 と 「はなぢ」(鼻血)、丸岡いずみ記者の名前の「いずみ」 と 「いづみ」(泉)…他にもたくさんありますが、それぞれに表音主義と表意主義、綴り字やその例外やら時代ごとの移り変わりがあり、文章を書く人の年代や受けた教育もバラバラなんですから、正解など見つけられません。
例えば今挙げた 「いなづま」 と 「いなずま」 は、漢字にすると 「稲妻」 なので、「いなづま」 が正しいように思えますが、「現代仮名遣い」 では 「いなずま」 が望ましいとなっています (さらに後年、「どっちでもいい」 みたいな意見も…)。 じゃあなんで漢字では 「稲妻」 なんだ、「妻」 は 「すま」 とは読まないだろうと云えば、古語としては 「いなづま」 が正しく、しかし漢字の 「稲妻」 は後で用字 (当て字) されたもので、言葉の成り立ちに直接の関係はなかったりもします (そうでない説もある)。 「づ」 と 「ず」 と云えば他にも、「渦巻き」(うずまき) があります。 こちらもかつては 「うづまき」 と書くのが正しいとされており、昭和初期あたりの書籍や報道映像作品の字幕にちょくちょく見られるものです。
さらに 「地面」 や 「生地」 の 「地」 は濁ると 「じ」 なのに、「地域」 や「地図」「基地」 だと 「ち」 だったり、一方で 「血糊」 や 「鼻血」 の 「血」 のように、どちらも 「ち」「ぢ」 と書く言葉もあります (もちろんそれぞれに、新旧仮名遣いの変移があったりなかったりします)。 要するにたまたま現在は、現代仮名遣いが学校の試験で 「正答」 とされているだけ、くらいな感じです。 言葉は生き物なんですから、それですら、いつ覆るか分かりません。 日本語から漢字を廃止することを前提に作られた当用漢字の右往左往など、その他にも様々な要因もあります。
もっとも今回の問題は、単に漢字の読みがどうしたという内容に留まっていませんでした。 それは批判のための批判の方便に過ぎなかったのでしょう。 それであっても、「底割れ」 を 「底上げ」 と聞き間違えて批判したり、「いやさかえ」 を 「非礼だ」 などとなじるのは、それ以前のお話なのですが。
逆に云うと、他に批判できる材料がないってことなんでしょうか…
できるだけ正しい日本語、美しい日本語が使えるよう、個々人が自分の教養を磨きながら心がけるのは大切なことです。 しかしことほど左様に難しいのが、千年以上続く文化としての存在であると同時に、日常使う単なる道具でもある 「言葉」 の多様性です。 色々な使い方ができますが、少なくとも他人を叩くためのあら捜しの道具にするのは、あまり褒められた使い方ではないでしょう。 まぁ他人の失敗をあげつらって笑っていると自分の足元をすくわれる、ブーメラン となって返ってくるってことなんでしょうか。
また逆に云えば、麻生総理に他に追求し叩くべき問題やスキャンダルが見出せない…だからこんな幼稚な 「目が合った」「肩がぶつかった」 的な、チンピラの言いがかりに近いくだらないバッシングばかりが、マスコミに登場しているのかも知れません。 確かに誤読はありましたが、発音をとちっただけのものや、当時あまり話題になりませんでしたが、固執(こしつ) を (こしゅう) と読んだケースなどは、間違いとも云えません (本来は こしゅう が正しい)。 さらに 「出納」 は 「しゅつのう」 が正しいのですが、現在は 「すいとう」 が正しいとされますし、「必須」(ひっしゅ)、「呂律」(りょりつ)、「蛇足」(じゃそく) など、本来の読み方をすると笑われそうなものもあります。
さらに 「競売」 の 「けいばい」 と 「きょうばい」、首長の 「くびちょう」 と 「しゅちょう」、私道 の 「わたくしどう」 と 「しどう」、士業の 「さむらいぎょう」 と 「しぎょう」 などなど、同音異義語と区別するために音訓を組み合わせ違った読みをしてそのまま慣用化したもの (重箱読み・湯桶読み・説明読み) や、「依存」 の 「いぞん」 と 「いそん」、「世論」 の 「よろん」 と 「せろん」 のように、紆余曲折があってどちらでも良いとなっているものも多く、さらにさらに 伊藤博文 の 「いとうひろぶみ」 と 「いとうはくぶん」 の有職読みのように、儀礼上あえて名前を音読する (目上の人や、同業者の偉人などの名前をそのまま読むと失礼にあたる慣習がかつてはあって、その場合音読するケースがあった) などもあります。
時代によって、地域や専門分野によって、「道具」 としての言葉は使われ方が変わります。 「答えは1つ」 の学校の試験の話ならともかく、こうした カテゴリ の話題でことさらに他人の揚げ足を取り批判するのがいかに危険で、またナンセンスなのか、さらにはマスコミの言論人としての メディア・リテラシー の観点も含め、他山の石、そして教訓としたいものです。
ちなみに 「2ちゃんねる」 の 「心づかい騒動」 のある スレッド に、「マスコミの辞書には心遣いがないから気がつかなかったんだろう」 という レス がありましたが、なるほど上手いことをいうものだと感心してしまいました。