料理マンガでは、何から何まで料理で解決… 「何でも作品テーマで解決」
「何でも作品テーマで解決」 とは、特定の強固な テーマ や お題・ジャンル を持つ マンガ や アニメ、ドラマなどの物語で、何をするのでもその作品のテーマやお題に絡めた話が必ず出てきて、それで解決することに不自然さや無理やり感を覚えると云った意味の言葉です。
例えば料理マンガだったら作中で生じるあらゆる事件や トラブル、友情や恋愛、人間関係のあれこれを含め、全ての課題解決に料理や料理による勝負が行われます。 麻雀マンガなら何でも麻雀の戦いで決着がつけられるでしょう。 ありがちなパターンは、一方がライバルや敵に向かって 「よし! それなら○○で勝負だ!」 などと挑戦し、相手が 「面白い、その勝負受けてやろうじゃないか」 などと不敵な笑みを浮かべて受けて立ちます。
もちろんそれは料理や麻雀がテーマの作品である以上、ある程度は当たり前の話ではありますし、それこそがその作品の 設定 や 世界観 でもあるのですが、あくまでマンガの登場人物の日常を描いているという創作物なりのリアリティを持った体裁というか建前がなく、料理や麻雀の対決やエピソードありきで何から何まで準備・構築された予定調和の作り物であるのが突き付けられると、「都合が良すぎるだろこの世界」 と白けてしまうような感覚はわかります。
現実問題として日常生活のあれこれをそれらで解決することなどほとんど不可能ですし、現実と虚構の間みたいな味わいがなく、ひたすら虚構だと突き付けられてしまうと 「騙すならもっとうまく騙してくれよ」 という違和感を覚える人 (とくにちょっとませて物事を斜めに見るようになった子供など) は少なくありません。
これは本人は達観して メタ な視点から斜に構えて創作物への違和感を突いているつもりでいても、実際はまだ子供で未熟なために視野が狭く、創作物であるとの 割り切り が完全にはできていなくて、どこかに 「もしかしたらリアルな部分があるのではないか」「この キャラ は実在しているのではないか」 と信じてしまうような純真さと猜疑心とがせめぎ合って混乱している部分もあるのでしょう。
似た感覚に、アニメやドラマで BGM やナレーションが流れたり、画面に表示されるテロップに不自然さを感じたり (現実の世界にそんなものはないでしょみたいな)、あるいはミュージカルで突然歌い始めるのに強い不自然さや違和感を覚えたり (そりゃミュージカルだから歌うに決まってるじゃん、でも…みたいな) とかもあります。
作品や物語に入り込んでしまうと登場人物が生きていて実在していて、それを作品を通じて見ているかのような感覚が生じますし、その中で突然現実世界ではありえない状況や演出が入ると途端に覚めてしまう感じでしょうか。
一方で、そうはいってもマンガやアニメなどは虚構の世界、作り話の世界なので、完全に割り切った上で、どう考えても作品テーマとは組み合わせられないような事件やトラブルが生じた際に、それをどう説得力を持ってテーマに繋げるか、あるいは説得力がなくとも無理やり力業でこじつけてつなげるかに、作品の面白さや 作者 の力量を見る楽しさもあります。
リアリティを求めても、面白くなければ無意味
作品にある程度のリアリティは必要です。 描かれる世界があまりに非現実的すぎて違和感が大きくては作品に入り込むことも難しくなります。 かといってリアリティや物語としての整合性を求めすぎるがあまり、作品テーマと乖離したり面白さが スポイル されたら本末転倒でしょう。 料理マンガを読む人は、料理や料理人の戦いが見たくて読むわけで、そこを外したらそもそも料理マンガ以外の作品になってしまいます。
筆者 も子供のころは生意気なひねくれものだったので、アニメやマンガだけでなくCMの展開にまで 「この話の流れが不自然」「結論ありきのご都合主義」 などと屁理屈をこねてはおかんに 「だからCMでしょ!」「だったらテレビ消す」 とたしなめられてビビビビビンと水木ビンタを食らっていました。 しかも往復でです。 往復でですよ。 作り物であるのはわかっているけれど、好きな作品だと 「本当だったらいいな」「でも本当だとしたらこの流れはおかしいよな」 みたいな葛藤はわりと強くて、卒業するまでに結構時間がかかりました…。