何度も聞くと本当のような気がしてくる…「二度聞き効果」
「二度聞き効果」 とは、異なる複数の人・情報源から同じ話を二度三度と聞くことで、その話に強い信憑性が感じられてしまう心理的効果のことです。 友人が言っていたことと同じことを別の友人や家族、あるいはテレビ報道などで聞くと、最初は疑わしいと思っていても、なにやら世間で広く 認知 された本当のことのような感じがしてくるのですね。
一般的に交差する人的ネットワークでは情報源も情報の伝わり方も似たようなものとなり、冷静に考えれば何人から同じ話を聞かされてもその話の出どころは1つで、同じところをぐるぐると回っているだけだったりします。 またそれが信頼に足る正しいものなのかどうかは全くの別問題なのですが、複数から同じ情報がもたらされると疑っている自分の方が誤っているのではないかとの不安も生じ、無意識に鵜呑みにしてしまうような状態になることもあります。
また情報が伝わるルートはどうであれ、同じ話を何度も繰り返し聞くことで、ある種の刷り込み効果が生じることもあります。 最初は 「またその話か」 などとも思うものの、何度も何度も聞いているうちにそれが自明のものとなり、ことの正誤とは無関係に情報そのものを情報として受け入れてしまうのですね。 「この話知ってる?」「知ってる」 というやり取りだけで、何やら本当のことのような気がしてきますし、その結果、次は自分が他の人にそうした情報を伝える側となり、デマやフェイクニュースの 拡散 を助長し、蔓延する原因の一人となることもあります。
口コミからネットの SNS を通じた拡散の時代へ
こうした状態によるデマの拡散は、人から人へと口伝えで情報がリレーされる口コミの時代から、歴史上数多くの実例があります。 単に学校や職場が同じ個人の下世話な噂話のたぐいから、買い占めや金融機関の取り付け騒ぎ、暴動騒乱といった社会不安を招くほど大きく広がるものまで、内容や規模も様々です。 その後 ネット が登場・普及し、SNS などで同じような階層や 趣味 や考えの人たち同士がつながると、伝播スピードや拡散力は大きくなり、炎上 や世界的な社会現象・深刻な社会問題を生じさせるきっかけの一つとなったりします。
ツイッター における リツイート や いいね をすることが、必ずしも賛同や 同意 を示すものではないのだとしても、明らかなデマ、真偽が不明な情報を安易に広めることは控えるべきでしょう。 別に社会全体に対する責任がどうのという大仰な話ではなく、単に第三者から見て メディアリテラシー のない頭の悪い人に見えてかっこ悪いですし、また自分の反応によるデマ拡散の最初の被害者は、他ならぬ自分とつながる友人や家族、フォロワー なのですから、周り廻って自分の評価を落とすだけです。
賛同や同意ではなく 晒上げ たり反論するつもりで取り上げていても、取り上げた時点で賛同や同意をしているのだと早合点したり、リツイートやいいねの数が多いだけで真実だと理解してしまうような レベル の人だって世の中には大勢いますから、取り上げ方にも慎重さが求められるでしょう。 個人的には、明確な根拠を示しておらず同意もできない情報であれば反応せず、無視するのが賢明かなと思っています。 よくわからないこと、情報の真偽を見極めることが困難なことは スルー し広めないという自制心が大切でしょう。
騒ぎや炎上に便乗したいだけの人も
一方、これら善意や無意識を前提とした反応の他に、悪意やそれ以外の目的があってあえて故意的に反応する人もいます。 それと知っていて積極的にデマに加担するのは論外としても、デマや炎上ネタに便乗することで大きな注目や反響を得られることもあるので、承認欲求 を満たしたり目立ちたい・売名したいとの理由で 「真偽は不明ですが」「こんな意見もあるみたい」 との言い訳をしつつ、消極的なふりをして自らデマの流布に加わる人たちです。 また反対に、そうした人に 「それはデマだ」 とことさらに罵詈雑言を浴びせるような人もいます。
きちんとした調査機関や大手メディアが報じる情報にも誤りやデマが含まれるケースがありますし、見方や立場によって真実かそうでないかが変わるような微妙な問題もあります (そもそも客観的真実はたった一つだという思い込み自体が、わりと危険な考え方なのかも知れません)。 そこまで気にしていたら何も言えないではないかとのもっともな話もありますし、ここで文章を書いている 筆者 だって、思い込みや勘違い、確認不足などによって誤った情報をネットに書いてしまうことはもちろんあります。
膨大な情報があふれる現代、ただの一度も偽情報を発信しないためには、黙ってるしかないような状況もあります。 それはそれで何も云うことができない不自由すぎる世界ですし、そうした状況を悪用する人だって出るかもしれません。 けれど 「なるべくそういうことはしたくない」 と心がけるだけで防げることも多いでしょう。 誰でもが気軽に情報を発信できる現代だからこそ、一人一人の心掛けが大切なのでしょう。