本物は一人しかいない… 「○○は一人でいい」
「○○は一人でいい」 とは、何かと似たような活動を行っていたり、似たような造形の何かに対し、「○○の真似だ」「二番煎じだ」 さらには 「パクリだ」「パチモンだ」 と批判するような使い方をするフレーズです。 「○○は一人だけ」 といった言い回しになることもあります。
代表的な使われ方として、芸能人、中でもアイドルと呼ばれるような活動を行っているタレントに対するものや、マンガ や アニメ、ゲーム といった コンテンツ、そこに登場する キャラ に対するものがあります。 例えばAというタレントが別のBと似たような活動をしたり、その強い影響下にあるように見える場合に、「Bは一人でいい」 と云ったりします。
後には、素人やそれに近い動画製作者、実況・生配信者 (生主 や YouTuber (ユーチューバー)、Vtuber) に対するものもあります。 いずれも個性や独自性が求められる存在でありながら、他人を真似しているというある種の 人格攻撃 となります。
言い回し自体は昔からありますが、とくに印象に残るものとしては、1980年代のアイドル黄金時代、トップアイドルとして君臨していた松田聖子さんと、聖子さんの影響を受けたと思われるアイドル達を引き比べたものいいでしょうか。 実際この時代のアイドルは多かれ少なかれ聖子さんからの強い影響を受け、とりわけ 「聖子ちゃんカット」 と呼ばれる髪型は、この時代の数多くのアイドルに強く共通するものでもありました。
また1990年代後半から2000年代前半にかけて 「アムラー」 なる追従者を大勢生み、ある種の社会現象とまでなった人気歌手、安室奈美恵さんとその周辺にも、同じような言い回しが使われていました。 「聖子ちゃんは一人でいい」「アムロちゃんは一人だけ」 というわけです。
人気商売は二匹目のどじょうを狙いがち
芸能活動にしろコンテンツビジネスの世界にしろ、何かと世の中の流行に左右される存在ですし、そこから飛びぬけて新しいものを提供したエポックな存在には、単にビジネス的な模倣や追従というだけでなく、強い支持や共感、憧れや敬意、リスペクト を込めた追従者や フォロワー がつき、新しい潮流が生まれるものです。 場合によっては後から出てきた模倣の方が有名になったり、無数の模倣・追従者に埋もれて オリジナル が存在感を喪失し、先駆者のジレンマ のような状態になることもあります。
しかしその潮流を作ったオリジナルだと目される先駆者の熱心な ファン にとっては、「自分の好きなもの、推し を真似されて不快だ」「安易な後追いだ」 との ネガティブ な感情を喚起しやすいですし、それがそのまま批判として投げつけられるものなのでしょう。
確かに人気にあやかって行われる行き過ぎた模倣や追従は安易に見え 「ずるい」 ような感じがしますし、明確にパクリだと思われるようなものには問題があります。 しかしアイデアや芸風・画風といったものに 著作権 はありませんし、「ちょっと似ているだけ」「偶然そうなっただけ」 なのを、過剰に批判しているだけの場合もあります。