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先駆者のジレンマ

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後世に影響を与え過ぎたゆえの陳腐化・過小評価 「先駆者のジレンマ」

 「先駆者のジレンマ」 あるいは 「パイオニアのジレンマ」 とは、何らかの分野で周囲に先駆けて革新的な挑戦をした人やそのアイデア、作品がしばしば陥る深刻なジレンマのことです。 似たような意味で使われるケースは複数あり、それぞれで ニュアンス は微妙に異なりますが、おおむね 「新しすぎて周囲の誰も理解できずに孤立する」 か、逆に 「斬新さから周囲を一気に陳腐化させて高い評価と影響力を得て新しい基準を作るが、やがて無数の模倣者に自身も埋もれてしまう」 のいずれかで使われることが多いかもしれません。

 前者の 「新しすぎて周囲の誰も理解できずに孤立する」 は、概念 としてわかりやすいものでしょう。 あまりに新しく早すぎて誰も理解できないしそれを受け入れる社会的な 環境 もなく、単なる 妄想 や非現実的な夢物語として 無視 されてしまうパターンです。 ただし人々の理解や環境、時代がそれに追いついてくると、後年 「早すぎた 天才」「時代を先取りした名作」 として発掘され再評価されることもあります。

 一方で後者の方は、最初こそ社会や市場の動向を大きく変える先駆者、革新者、開拓者、あるいはゲームチェンジャーとしてもてはやされ、大きな評価を得て絶大な影響力を及ぼしますが、その後はその評価や影響力のゆえに無数の信奉者や追随者や模倣者を生み出しベンチマーク化し、当の本人ですら自らの影響力から逃れられずに自己模倣せざるを得なくなり、新しいアイデアや作った基準があっという間に普遍化し 「当たり前になりすぎ」 てしまって忘れ去られるケースが多いでしょう。 いわゆる 「最先端は真っ先に古くなる」 というやつです。

 後の世に 「オリジナル」「創始者」 あるいは 「元ネタ」 として再評価されることもありますが、オリジナルが持つ荒削りの魅力はありつつも、後続の模倣者の方がより洗練された振る舞いや万人受けする完成度を持つなどして、模倣者を先に見た人からはどうしても 「古臭く凡庸な古典」「ありふれた表現、手垢のついたクリシェ」 のような扱いをされがちだとも云えます (一方で パロディ やオマージュに気が付いたり本歌取りの魅力みたいなものは味わえますけれど)。

 これらは主にビジネスの世界においてパラダイムシフトを起こすような画期的な商品やサービス、ビジネスモデルなどについて語られることが多いのですが、おたく に近い世界の話で云えば、創作物におけるある ジャンル を創設したような巨大な作品や 作者 が、後続の膨大な引用・追従・模倣作品に埋もれて古臭く感じられるといったパターンがおなじみでしょうか。 それどころか運が悪いとパクリの方が有名になってしまい、パクられ元がパクリ疑惑で批判されるといった悲劇が生じることもあります。

有名な古典を見ると 「どこかで見たことあるな」 のオンパレード

 例えば 「タイムマシン」 や 「タイムスリップ」 と、それに伴う 「タイムトラベル」「タイムパラドックス」 というアイデアは斬新ですし想像力を刺激するとても優れたものです。 しかしそれを創作物として描いて最初に大ヒットさせた小説 「タイム・マシン」(1895年/ H・G・ウェルズ) は、古典としても極めて優秀で十分に面白いものの、今の目で見ると素朴で古臭く感じる部分もあります (未来に行くだけですし)。

 タイムマシンや時間旅行という概念、あるいはそこからインスピレーションを得て発展したタイムスリップに伴うパラドックスの妙やドタバタ劇は、世界中の才能ある作者によって無数に作られ洗練され続けています。 例えば 「時をかける少女」(1965年) や マンガ 「ドラえもん」(1969年)、映画 「バック・トゥ・ザ・フューチャー」(1985年) などを見た人にとっては、いまさらオリジナルの 「タイム・マシン」 に触れたとしても、「もうどこかで見たことがあるもの」「すでに知ってるアイデアだ」 になってしまいます。

 もちろん 「タイムマシンやタイムトラベルものの原点のひとつだ」 という学術的・文化的な評価は揺るぎません。 しかし 「見たことも聞いたこともない斬新なアイデアだ」 という知的興奮を同作品から後世の人間が得るのはかなり難しいでしょう。 こればかりは同じ時代に生きてその作品に リアルタイム で触れることができた当時の人達だけが持つ特権なのかも知れません (まぁ他にも 「アナクロノペテー」(1887年) とか 「アーサー王宮廷のコネチカット・ヤンキー」(1889年) とか極論すればリップ・ヴァン・ウィンクルとか浦島太郎とか神話のあれやこれやとかいろいろありますが)。

 タイムマシンやタイムトラベル以外の話でも同じような例は、神話や民話、聖書をはじめとする宗教的物語、諸子百家などの中国古典、三国志、アーサー王物語、ニーベルンゲン物語、シェイクスピア戯曲といった世界的・歴史的な古典でもよく聞かれます。 また現代にあってもトキワ荘に集った手塚治虫さんや藤子不二雄さん、石森章太郎さん、赤塚不二夫さん、水野英子さんはじめ日本の現代マンガ草創期を担った作家の古典的作品群、現代の ファンタジー や異世界ものを創設したとも云える 「指輪物語」(1937年) や 「クトゥルフ神話」 に関わる作品群 (1930年代前後)、映像作品なら 「メトロポリス」(1926年)「ラ・ジュテ」(1962年)「サンダーバード」(1965年)「2001年宇宙の旅」(1968年)「スターウォーズ」(1977年)「エイリアン」(1979年)「ブレードランナー」(1982年) などでもよく聞く話です。

 これらは当時としてはいずれも極めて斬新で、今の目で見ても十分に鑑賞に足る素晴らしい作品ばかりですが、制作され発表された当時の人々が感じたのと同じ新鮮な衝撃を作品そのものから受けるためには、積極的な歴史の追体験を志向しないと難しいかもしれません。 名作は時代や世代を超えますが、これらから影響を受けてさらに発展・進化させた作品をいくつも見て目が肥えてしまっている以上、当時の人々と同じ感動を味わうには心理的な工夫や知識による補正が必要でしょう。

 優れた作品やアイデアは数限りなく引用や模倣がされ、それらを受け継いだ作品が集まって新しいジャンルを作り、さらに広がっていきます (模倣作が1つならただのパクリですが、10作品もあれば立派なジャンルになるでしょう)。 創作物で 鉄板定番 とされるありがちでお決まりのアイデアや表現には、当然ながら最初に考えて発表した人がいます。 創作の本質的な部分は創造だけでなく模倣や繰り返しにもあるので、その原点にも何らかの別の原点やお手本があるのでしょうが、「お約束 の展開」「フラグ」 と呼ばれるようなありふれたものの発案者を探ったりジャンルのルーツに思いをはせるのも、創作物の楽しみ方のひとつでしょう。

 またそうした人や作品が判明した場合には、時代を超えて大きな称賛の声を贈りたいものです。 1を2や5や10にするのも大変で立派な業績ですが、無から新しいものをつくる、0を1にする 方が、恐らくその何倍も難しく、かつ価値があるものだろうからです (創作の世界で、本当に何の影響も受けていない正真正銘の0があるかどうかは、また別の話ですが)。

ネットの情報はどちらがパクリか分からない場合も

 なお直接的な創作物だけでなく、言葉や概念の定義や 解釈、あるいは日常の生活アイデアや暮らしの知恵、ライフハック といったものにも、最初にそれを考案したり提唱したり発表した人がいます。 とくに ネット の時代になってからのものはその最初の文章なり情報なりが初出時の状態のまま現存し誰でも簡単に見られる場合も少なくありません。 その文章なりがいつ書かれたものかを知らないままに 「どこかでみた解釈だ」「古いな」 などと判断してネットで発信すると思わぬ ツッコミ が入ることもあるので、初出日や掲載日時などは確認するようにすると間違いが減るかもしれません。

 場合によってはパクリを見た後にパクられ元のオリジナルを見てしまい、パクられ元をパクリだと判断して批判し 炎上 する場合もあります。 コンテンツ乗っ取り自作発言 などパクった上に自分が作者だと詐称するような人もいますから、パクリ判定はよほど慎重にやらないと自分の評価を下げるだけの結果になるでしょう。

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(同人用語の基礎知識/ うっ!/ 2004年9月7日)
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