重要ではないもの、遠方のものはあえてざっくり 「省略作画」
「省略作画」 とは、アニメ や マンガ などにおける、画面効果や メッセージ性 を高めるための技法のひとつです。 デフォルメの一種として、単にデフォルメと呼ぶこともあります。 具体的には人や物の描写のための線を大幅に省略する、遠くの小さな人の顔や手の指、服のディテールを細かく描かないかまったく描かない、細かく 色 の塗り分けをしない (無彩色や単色で塗りつぶす) などです。 遠くの群衆などは1人1人を描き分けず単に丸を描いたり点を打って終わりにしたり、遠くのビル群は縦長の四角形をただ並べるだけに留めたりします。
奥行きのある景色を目で見たり写真で撮る場合、手前のものははっきり見えまた写りますが、奥 (遠く/ ロングショット) にあるものは霞んで薄くなったり、ぼやけてしまうでしょう。 これを作画で疑似的に再現するのが省略作画となります。 対義語は 「完全作画」、あるいは緻密な作画、誇張などになりましょうか。
また遠近の視覚効果としてだけではなく、メッセージ性を高めたり視線誘導の工夫として行われることもあります。 例えば画面に 主人公 など 物語 の中心となる重要なキャラと、背景としてのただの通行人 (モブ) がいた場合、それぞれを同じ密度で描いてしまうと、主人公が埋もれてしまったり、物語に何の影響も与えない通行人の存在が不必要に浮き上がり 「何か意味があるのではないか?」 と見る者に誤解を与える可能性があります。
人は何かを目で見る時、画面全体を均等に見て均等に認識してはいません。 無意識に見たいものを目で追い、無意識にそれ以外のものの 解像度 (分解能) を下げて認識します。 何かを必死で見ていると、同じ場所にあって視界に入っていたはずのものが見えていなかった、記憶になかったということはよくあります。 省略作画によってこれを疑似的に行い、制作者が見ている者に 「ここが注目すべき場所ですよ」 と、指し示す役割もあるのですね。
またアニメせよマンガにせよ画面全体に対して描ける線の太さに制限があります。 遠くにいて米粒のように小さな人物の顔を詳細に描くことは無理ですし (単に黒く潰れてしまいます)、遠近が同じ調子で描かれた画面は平板な、メリハリのないものにもなってしまうでしょう。 もちろん意味のないものの作画に労力を使っても無駄だという経済的な理由もあります。
場合によっては 「手抜き」 に見えたり作画崩壊に見えたり
ただしパッと見た時に、顔が大幅に省略されてしまっているキャラがいると、どうしても 「手抜き」 にも見えがちです。 視覚効果や心理的効果を狙った演出なのか、それとも単なる手抜き作画なのかは難しい問題ですが (場合によっては手前にいる重要な人物をあえて手抜きっぽく 雑 に描いてコミカルな印象や意味を持たせるふりをして実は手抜きなんてこともありますし)、描き手としては意図が正しく伝わるように描き分ける必要があるでしょう。 逆に一般的な作画セオリーに則っているように見せかけて意表をついたり期待を裏切ったりみたいな遊び方もできます。
読み手としては単なる省力なのか意味があるのかを無意識に理解できるようなマンガ作法が自然と身につくのが、より良いマンガライフのコツなのでしょう。 それらが全て分かった上で、あえて ネタ やギャグとして 作画崩壊 や キャラ崩壊 と呼ぶこともあります。
ちなみに日本的なマンガ作法や技術に不慣れな外国人などは、アメコミなどに比べてやたらと描き込み密度が高くて情報量の多い日本マンガは画面がごちゃごちゃしていて大変だ、みたいな話もあります。 これも文化の違いなのでしょうが、世界に日本の 「MANGA」 が広がる中で、いずれ よく訓練された 読者 になるような気もします。