マンガもアニメも多くのゲームも、これがないと始まらない 「作画」
「作画」 とは、そのまんまですが画 (絵) を作ること、マンガ や アニメ、あるいは ゲーム といったビジュアルを伴う作品・コンテンツ において、視覚効果を担う作業を指します。
通常は全体の構図を構想し、アタリやラフといった簡単なレイアウト取りを行い、その後下書き、本線引きやペン入れ、その後ベタ塗りをしたり トーン を貼ったり彩色するなどして 一枚の絵 や 画像、もしくは 原稿 として完成させます。 アニメの場合は、線画のみで作画とすることもあります。
マンガにおける作画
キャラクター の描き方などは、マンガなのかアニメなのか、あるいは イラスト や 挿絵、ゲームなのか、フォーマットだけでなく用途によっても変わります。 マンガは静止画のみで動きや 物語 を伝えるため、一枚絵としての作画だけでなく、複数の絵 (コマ) で構成されるページ全体の構図やコマ割りそのものにも範囲が及ぶのが特徴です。 物語を理解しやすく盛り上げるためにはページ全体の流れや視線誘導がとても重要であり、単なる画力だけでなく、読者 が混乱することなく物語に没入できるように誌面をデザインするセンスも必要となります。
またこれらを効果的に実現するため、キャラクターの表情や 目線、動作、コマ中での配置はもちろん、セリフ (写植) を収めるための フキダシ の配置や擬音 (音符) を書き文字として配置するといった表現も行われます。 これら全ての要素を効果的に使ってキャラの感情や場の 雰囲気 を物語にそって豊かに表現し、リズムやテンポを 整える ノウハウや技術力が求められると云えます。 しかもおおむね墨一色、モノクロ でです。
マンガ制作は、プロダクション制といった一部の制作方法を除けば 作者 である漫画家がたった一人で、その多くの部分を担います。 背景や画面処理などにアシスタントを用いることはあっても、メインとなるキャラや全体の構図などは作者の仕事です。 一方、物語部分を原作者として分けている場合、作画のみを担当するケースもあります。 この場合、「原作〇〇・作画□□」 とか 「作〇〇・画□□」 といった区別がされることもあります。
全てを一人で完結するいわゆる漫画家に比べ、作画担当は 「絵を描いているだけ」 と見られがちな部分もあります。 しかし自分で考えた物語やセリフに沿ってある程度自由に作画できる漫画家に比べ、原作者の意図や意向をくみ取って適切な作画をする技術も相当に高度で、どちらが上だ下だはありません。 筆者 は元々 商業 や 同人 でマンガを描いていたこともあり、個人的には 「漫画家の中で絵が上手い奴が作画担当に抜擢される」 くらいの特別な存在に感じています。 これは逆に、原作者の場合も同様です。 作話が上手い奴が抜擢ですね。
アニメにおける作画
一方のアニメでは、原画 (動き始めと動き終わり (止め絵) の作画と、その途中の動画 (動いているコマ部分 (中割り) との作画では、全く異なるアプローチがされることが多いでしょう。 レイアウトや彩色も別工程となるのが一般的です。 そもそもアニメはごく一部を除いて複数のスタッフが手分けして集団で制作するのが基本ですので、原画と動画では担う人も異なることが 普通 です。
通常は実力のある ベテラン の原画スタッフが、動きの起点と終点、およびその途中の重要点を作画し、それぞれの中間を別の動画スタッフが描くというパターンが多いでしょう。 また全体を統括する作画監督 (作監/ おおむね キャラデザ も 担当 する) が品質管理やリードデザイナーとして設置され、とくに重要なシーンやカットを描いたり、他のスタッフの作画をサポートします。
アニメでは動きや演出が重視されるため、背景美術やキャラクターの動きに特化した作画が求められます。 また動きを再現するためフレームごとに膨大な絵が必要で作画スピードが求められますし、重要なシーンや感情表現を強調するために止めても 映える ような作画の 質 も求められます。 加えてアニメの場合、他のスタッフとの絵柄の統一や音声や音楽との調和も考慮する必要があり、組織的な作画への適応、聴覚的な要素も取り入れる柔軟性が必要です。 もちろん作品やキャラ自体への深い理解力が必要なのも申し上げるまでもありません。 これに失敗したりそもそもの画力が低い場合は、しばしば 作画崩壊 やら キャラ崩壊 やらと呼ばれる状態になり、批判を浴びる結果にもなりかねません。
優れた絵や作画には才能やセンスや向上心も大切ですが、何より技術力を磨く 経験値 がものをいう部分があります。 日本のアニメーターは一日に数十枚もの商業絵を描く仕事であり、恐らくは日本でもっともたくさん絵を描いている人たちでしょう。 それだけにトップアニメーターや原画マンらのもつ画力は、ちょっと異次元みたいな部分があります。 才能と意欲があって場数も踏んでいるのですから、これは当然かも知れません。
ゲームにおける作画
様々な作画において、もっとも特殊なのがゲームでのそれでしょう。 電源 の 不要 なアナログゲームから 要電源 のコンピュータゲームまで範囲が非常に広い上に、コンピュータゲームでは主にハードウェアの性能制限などから、一般で考えられる作画とはまた全く異なるアプローチがされがちです。
とくに1980年代あたりまでは、グラフィック性能やデータ容量といったハードウェアに対する制限が非常にきつく、絵というよりは記号やシンボルに近いようなもの (ドット絵/ Pixel Art) や、コンピュータ処理するのを前提とした 差分 に対する配慮など、伝統的な 絵画 の技法や 画材、方法論がある程度通用するマンガやアニメ (あるいはイラストや ラノベ の挿絵など) と異なり、視覚情報をどう表現するかを一から模索するような状態もありました。 例えば初期のゲームやパソコンで表示する CG は、グラフィックを描くというよりは、グラフィックを表示するプログラムでしたし。
とはいえ、実際にモニタに表示するデータを作成する前のラフや原画、キービジュアルやコンセプトアートを紙に起こすことはありますし、ゲームのパッケージや販促に用いるイラストの作画もありますから、まるっきり無関係ではなく、「制限の極めてきつい特定条件に特化した作画をする」 という云い方が適切かもしれません。 絵の上手さだけでなく、極端な条件下でも用いる画像の作画力や対応力が重要なのですね。
1990年代前後になるとゲーム機やパソコンの スペック 向上や普及により、アニメやマンガ、イラストの技法や方法論なども取り入れた作画方法が広がります。 この当時は、漫画家兼アニメーター兼ゲームグラフィッカーみたいな (おまけに商業と同人を行き来するような) マルチな 絵描き・絵師 が数多く登場し、とりわけ おたく 的な作画を中心に様々なブレイクスルーを起こします。 その後 3D を扱うようになると、また 環境 は激変。 今度はフィギュア制作などにも近いモデリングといった技法やそれを考慮した作画が必要になります。
方眼紙スキャン で座標からプログラムを書いてイラストを起こしたり、ドット絵や 16色CG を描いたり タブレット でフルカラーの CG (多色CG) を描いたり、さらには 3D のモデリングまでしたりと、わずかな期間にこれほど変化したものも少ないのではないでしょうか。 その全てに精通するのは難しいと思いますが、とはいえモデリングで知られる人が普通に魅力的な絵を描く一方、昔は方眼紙で絵を表示させてましたみたいなことも少なくないのが結構怖いです w
ただしゲームがマンガやアニメと一部が明確に地続きである上に、それぞれが並び立つ巨大なメディアとなったことにより、作画ができる人の活動範囲を飛躍的に広げるきっかけとなった意義は強調してもし足りないほどでしょう。 とくに1980年代から1990年代にかけてはゲームが大ブームとなり、作れば売れるみたいな時代もあって、「絵で食っていく」 という裾野を、相当広げた部分はあります。
美少女ゲームやカードゲームの人気により、ゲームにおける絵の 需要 は増え続け、これらはその後 ネット の時代となり、今度は Vtuber といった新しい文化にもつながっていきます。 日本のアニメやマンガ、ゲームの人気とともに、世界的にも日本風作画のニーズは高まり続けると云って良いでしょう。
メディアやアートスタイルや テーマ に応じて作画のアプローチは異なるものの、いずれも視覚的な表現力によって物語や観る者の想像力を引き立てる、作者の想いを形にするという目的は同じです。 世の中に絵を描く仕事はたくさんありますが、少なくとも現代日本の絵描きの分野では、おたく・腐女子 的なマンガやアニメ、ゲームその他の絵描きは最前線かつ最高峰に位置する職業や 趣味 のひとつであり、才能ある人材が数多くその道を目指し才能を開花させ活躍しているのは ファン としても頼もしくまた幸せなものです。