絵が下手だってストーリーが陳腐だって…「愛」 さえあれば!
愛さえあれば何でも許されるのです たぶん (寐津菟かき子) |
「愛がある」「愛を感じる」 とは、同人 の世界で活動するためのモチベーションの源、原動力、あらゆる創作活動のしばしば根幹である 愛 が作品から溢れている、見る者が端々からそれを感じることができるとの意味の言葉です。
この同人における 「愛」 はとても重要で、とりわけ アニメ や マンガ、ゲーム や ラノベ、キャラクター などの 元ネタ のある パロディ や 二次創作 などでは、最重要のものとも考えられています。 したがって通常 「愛がある」 というのは、相手を褒める表現、称賛表現となります。
対義語は 愛がない になり、こちらは多くの場合、対象を罵倒する言葉となります。 間に 愛が足りない というのもありますが、こちらは少々異なった ニュアンス で使われる場合もあります。
「愛」 と 「打算」、趣味の世界では…
例えば多少 絵 が上手くてストーリーが面白いものであっても、作品から愛を感じられない、愛がない場合には、「前提が間違ってる」「出発点が間違ってる」 として、しばしば批判の対象になったりもします。 愛がないということは、愛以外の制作動機 (お金のため、売名や目立ちたいなど) があるのだと強く連想しますし、それを自分が好きな作品やキャラクター、カップリング で行われることに、素朴な嫌悪感を覚える人も多いのでしょう。
逆に云えば、どれほど 鬼畜 な内容の作品であっても、そのキャラなりに対するその人なりの愛があれば、許されるようです。 まぁ、愛があればそれで全て許されるって訳でもないケースもありますが…。
一方、同人作品を制作するのではなく、それを読む側、あるいは単に既存作品を楽しんだり、それらの関連グッズを購入する ファン にとっても 「愛がある」 は極めて重要な 概念 です。
例えば同じ作品やキャラが好きな友人や知人がいた場合、「あいつより俺の方が○○ちゃんを愛している」 なんてライバル心も出てきますし、訳の分からないグッズや関連商品 (いわゆる お布施グッズ) を、よく訓練された おたくとして断固として購入し、「こんなものまで買う俺は、本気で○○ちゃんが好きなんだ」 あるいは、「そういう俺ってある意味笑える」 のような、痛さ をことさらに演じて楽しむ ノリ も醸し出します。
「愛が、愛が満ちてゆくヨ〜」 という言い回しの場合は…
なお、「愛が、愛が満ちてゆくヨ〜」 の場合は、テレビアニメ化もされた人気アクションゲーム 「戦国BASARA」(カプコン/ 2005年7月21日) シリーズに登場する 「愛ミナギル」 を合言葉とするザビー教の開祖、ザビー様 (CV/ 塩屋浩三) のセリフになります。