これがなくては始まりません。でも…
創作の原動力は 「愛」…かも (同人する子) |
「愛」 とは、同人 (もっぱら ファンアート) にかける全ての原動力、あらゆる創作活動の根幹となるものです。
芸術作品や文芸作品、マンガ や小説や映画や音楽、あらゆるものには創作のための動機やきっかけがありますが、こと同人 (既存マンガや アニメ、ゲーム の 二次創作 などを中心とするマンガや小説 (SS/ ショートストーリー) の創作) では、この 「愛」 が、重要視されるようです。 他の文芸作品のように 「怒り」 とか 「悲しみ」「祈り」 は、あんまり動機には結びつかないイメージです。
これは同人における二次創作が、何よりも同じ作品の ファン 同士のコミュニケーションのためのもの、ファン同士の架け橋や道具だからでしょう。 またその延長として二次創作ではない オリジナル 作品であっても、「好きでやっているのならば、その作品なり 作者 の立場なりを尊重しよう」 との意識が、持たれる場合が多いものです。
同人における愛の形とは…
オリジナル作品でも パロディ 作品でも、とりあえず作者が “作品” や “登場 キャラ” にどれだけ “愛”を持って執筆・創作活動に取り組んでいるのか…は、絵 や物語の巧さやギャグのキレ同様、作者の重要・根本的な姿勢・資質とされているようです。
逆に言えば、どれほど 鬼畜 な内容の作品でも、あるいは絵やストーリーが稚拙であっても、作者にその作品やキャラへの “その人なりの愛” があるのなら、許されるとされているようです (作者本人に許されようと云うつもりのあるなしは、この場合は大した問題ではありません)。
描き方や内容に好きと云った感情の痕跡が見られなかったり、ファンなら知っていて当然の ネタ などに不案内で凡ミスを犯すような作品を 愛が足りない などと呼ぶ場合もあります。 さらにこうした傾向を持ちつつ、売上第一主義、金儲け主義が露骨に感じられる場合には、愛がない などと呼ぶ場合もあります。 逆は 愛がある、愛を感じる です。 こういった独特の感覚は、商業 の世界でも大なり小なり熱心な作者・ファンの間にはつきものではありますが、とりわけ同人の世界では、重要視されている場合が多いようですね。
中には風刺的作品で、あるキャラなり人物なりを厳しく扱き下ろすような作品になる場合だってあるでしょうけど、この場合も、対象となるキャラなり人物なりの “周りの 環境 ”のあるべき姿に対する自分なりの “愛” や “理想” が動機になっているんでしょうから、やはりこれがなければ何も始まりません。 もっともこういう場合は、たんなる身勝手さが動機の中傷に過ぎないものもかなり混じってるんですけどね… (^-^;)。
「愛」 があるからといって、全てが許される訳では…
ところで同人活動における 著作権 の問題がクローズアップされるにつれ、この “愛”を、それに対する一種の “盾”にするような考え方を取るケースが増えてきました。 もちろん一次著作物によるパロディ作品を手がける作家・作品の場合のみではありますが、例えば 「愛のない同人活動なんて、どこかの違法コピー業者と同じになってしまう。 僕たちは違うんだ」 といった云い方が、その代表でしょうか。
愛があるから全て許される訳では全然なく、「僕たちは違うんだ」に独善的なにおいを感じてしまいますが (^-^;)、とは云え多くのパロディ同人作家にとってこれは、素直で切実な心情表現ではないでしょうか (もちろん 筆者 も、そうです)。
ことさらに “愛” を振り回すのは厳に慎まなくてはなりませんが (口先で云わなくても、愛のこもった作品は、見ればちゃんと分かります)、でもやはり、う〜ん、難しい問題ですね。 同様の問題は コスプレ の世界でもよく聞かれます。 “愛” ゆえなのか、単に目立つ為なのか…。
やっぱり難しいです。