ショタコンの代名詞として… 「半ズボン」
「半ズボン」 とは、もっぱら小学生程度までの男児が身に着ける衣服のボトムスの一つです。 これといった明確な基準はありませんが、股間部分で二股に分かれるズボン形状で、足を覆う丈部分は膝より短く太ももの一部が 露出 する程度、ホットパンツ よりはやや長めで、おおむね1分丈〜2分丈程度の長さのものが多いでしょう。 その用途から 「子供用ズボン」 とも呼ばれ、腐女子 や おたく の世界では ショタコン の代名詞 (後述します)、ロリ趣味 の一部とされる場合もあります。
他のボトムズと同様、ずり下がりを防ぐために腰の部分が絞られているか、ベルトなどで絞ったり吊ったりする構造となっており、また着脱を容易にするため、あるいは男性の場合の排尿用に、股間の前部分 (前立て・フライ) が開くようになっています。 その部分は俗に 「社会の窓」 とも呼び、開くとき以外はチャック (ジッパー) やボタンなどで閉じて固定することができるようになっています。 一般的にこの部分は比翼仕立て (二重仕立てで閉めた時に布地が重なって見えなくなる) となっていますが、ファッションアクセントとしてあえてボタン部分などを露出させているものもあります。
なお 「ズボン」 は日本語 (洋袴) であり、英語の場合、パンツ (Pants) やトラウザーズ(Trousers)、スラックス (Slacks) となります。 英語が複数形となるのは、靴 (Shoes) や 靴下 (Socks) などと同様です。
丈が短いだけに下に着ける パンツ は ブリーフ がほぼ必須です。 ブリーフはわりと下半身をしっかりサポートしますから、いわゆる ポロリ や ボロン は生じませんが、小学生低学年くらいだと謎のチンコ見せたい病が発生する子供もいて、わざとはみ出させて誰が最初に気づくかみたいなことをやってる子もわりといました。 短い裾の部分からちんちんがはみ出すことは、「横ちん」 や 「はみちん」(はみだすちんこ) と呼びます。 年齢的に、ランドセル などと相性も良いでしょう。
腐女子の世界では 「ショタコン」 の象徴的アイテム
小さな男の子を愛でることを、「鉄人28号」 の 主人公 金田正太郎にちなんで 「ショタコン」 や 「ショタ」(正太郎コンプレックス) と呼びます。 正太郎は正義感に燃える凛々しい少年探偵でジャケットに ネクタイ姿 ながら可愛らしい半ズボンとなっていて、当時の時代感もあり、「ショタ = 半ズボン」 のような象徴的 アイテム ともなっています。
ヨーロッパの 「半ズボン = 上流階級の証」 というイメージ
一般に半ズボンは、スポーツ用や下着としてのパンツをのぞけば、男児用のボトムスと認識されています。 元々動きやすいこともあり、古代ローマの時代から兵士や指揮官なども半ズボンや ミニスカート状 のボトムズを着用する伝統がありました。 活発な男の子には、半ズボンがふさわしいとのイメージは昔からあったといってよいでしょう。
半ズボンと男児・少年のイメージについては、イギリスの上流貴族の伝統が良く知られています。 長ズボンは大人、それも農夫といった労働者階級のものであり、それを子供、それも小さな子供が身に着けるのは 「野暮」「田舎臭い」 という価値観があったからだと云われています。 赤ん坊の頃はガウン、その後はひざ丈の半ズボン、ブリーチになり、とくに初めてブリーチを身に着けることはブリーチング (Breeching) と呼ばれ、日本で云う元服のように子供の成長を祝う儀式ともなっています。 この伝統は現在も受け継がれ、イギリスのロイヤルファミリーの写真を見ても、男の子はおおむね半ズボンを身に着けています。
フランスはイギリスと異なり、さほど子供のイメージはありませんが、上流階級のものという伝統文化はもっとはっきりしています。 イギリス風の半ズボンとはやや形状が異なり、ゆったりとした作りながら、タイツと合わせる形の半ズボン、キュロット (Culotte) が年齢を問わず上流階級の証として定着していました。 これは当時までのヨーロッパ貴族の美意識として、女性は豊かな胸、男性は脚線美に性的アピールがあったからだと云われています。 すなわち女性は胸元が大きく開いたロングドレス、男性はミニスカートやタイツ、半ズボンといった足元のシルエットがはっきりわかるボトムズが当世の流行りだったわけですね。
1789年7月14日に王族や貴族を打倒したフランス革命が起こりますが、この時に上流階級を敵として革命の推進力となった商人や職人、労働者などの階層をサン・キュロット (Sans-culotte)、すなわち 「半ズボンをはかない人」 とわざわざ呼ぶほど、半ズボンと上流階級との結びつきは強いものでした。 これはイギリスやフランス以外の国でも、多かれ少なかれ見られた傾向のようです。
昭和の頃って、男子は半ズボンだらけだったよね…
日本にズボンが入ってきたのは江戸末期から明治にかけてですが、徴兵された兵士用の長ズボン以外は、英仏同様にもっぱら上流階級が身に着けるものでしたから、子供用のズボンもこうした伝統がそのまま入ってきたのでしょう。 私立学校で男児用の洋装制服として採用されることもあり、高貴なイメージを喚起するものでした。 庶民にまで広くズボン着用が普及したのはずっと遅れて 戦前 から戦後にかけてですが、その頃には 「上流階級の伝統」 といった認識は薄れ、むしろ 「風に負けない活発で元気な子」 という男の子への好ましいイメージが半ズボンに込められるようになっています。
ただしこれには、半ズボンを選ばざるを得ないようなもっと切実な理由もありました。 まず当時の衣服の生地は伸縮性に乏しく、激しく運動する男の子の動きに合わせるのが難しかったことがあります。 またズボンや衣服 (もっというと布地自体) が庶民にとってはまだまだ高級品であり、子供の成長に合わせた丈のものをおいそれと新調できなかったこと、泥だらけになりがちなので生地を多く使う長ズボンを 消耗品 として使うのは難しかったなどがあります。 とりわけ膝部分は伸縮や摩擦で摩耗して穴が開きやすく、その部分が元々ない半ズボンは極めて経済的で合理的なものだったと云えます。 これは肘があるトップスの半袖も同様です。
昭和の頃の小学生の春〜秋ズボンといえば半ズボンが 定番 でしたが (真冬でも半ズボンで通すみたいな剛の者もいましたが)、それには経済的な、身につまされる様々な理由があったのですね。 小学校でも男女問わず 「子供は風の子」 というイメージからか男子は半ズボンといった校則が設けられているケースも多く、それしか選択肢がなかったという部分もあります。 子だくさんの時代でもあり、兄のお古を妹がはくといったこともよくある話でした。
ちなみに寒い時期は太っている人の方が防寒上は有利ですが、半ズボンだと股ずれが生じるため、わりと長ズボンの子供もいました。 前述した理由とどのくらい関係があるのかないのか、「ドラえもん」 でものび太やスネ夫は半ズボンですが、ジャイアンは長ズボンですね w どんな衣服にも歴史や伝統、紆余曲折がありますが、半ズボンも高貴さとか衣服生地の節約とか体温管理とか、いろいろ複雑に作用していて面白いです。
なお現在では、七五三などのフォーマルな場のおめかしした服装を除けば、夏場以外の半ズボンはずいぶんと減った印象です。 伸縮性に優れた安価な子供向けズボンがたくさん出回っていますから、経済的な理由から半ズボンを選ぶ必要性が薄れたこともあるのでしょう。 とはいえ、洗濯の負担などは半ズボンの方がまだまだ有利ですし、見るからに元気っぽく見える半ズボンは今後も消えることなく、一定の支持を受けながら着用され続けるのでしょう。
大人が半ズボンの場合は… 「半ズボン氏」 などとも
もちろん成人男性でも半ズボンをはくことはあります。 もっぱら夏場のラフな普段着や室内着として、ダボッとした短パンやショートパンツ、トランクス、バミューダなどを身に着けた人はよく見かけます。 夏のビーチなどは、ゆったりした短パンにサンダル履きが一般的なスタイルでしょう。 しかしフォーマルな場でスーツやジャケットと合わせたり、身体に密着するタイプの半ズボンをはくケースは、極めて稀だと云って良いでしょう。
なお ネット の世界では、成人男性が不釣り合いな半ズボンをはいていた場合、とくに 「半ズボン氏」 などと呼んで揶揄する場合があります。 いわゆる 「撮り鉄」 に半ズボンで注目を集めた人がいて、一部の 掲示板 などでそれを揶揄する言い回しが流行し、ネットスラング ともなっています。