「おたく」 ではなく腐の心を持つ 「腐男子」
「腐男子」 とは、要するに 腐女子 の男性版です。 「腐兄」(ふけい)、「腐士」(ぶし) などとも呼びます。
やおい や BL を好む女性を、「婦女子」 の 誤変換当て字 で 「腐女子」、それらの作品傾向、様式を 「腐」「腐要素」 などと呼びますが、同じ傾向の作品を好む男性を、そのまま 「女子」 を 「男子」 に変えてネーミングしたわけですね。
「腐兄」 や 「腐士」 が ネタ っぽいいかにもな誤変換なネーミング (実際は、言葉が生まれる中で腐女子の実兄が腐作品を愛読していた…などのいきさつはあるにせよ) なのに比べると、「腐男子」 は言葉としてすっきりと意味が通じる感じです。 多くの場合、「腐女子」 のそれと同様、本人が自称する言葉となります。 また 「男子」 と呼ぶのはちょっとどうか…なんて年齢 (30歳以上) の場合には、「汚っさん」 などと呼ぶ場合もあり、情熱がすごい人は 「腐乱男子」(フラダンス) などとも呼びます。 家族みんな腐の心を持っているなら 腐ァミリー です。
ところで ジャンル によっては女性である腐女子の側が、自らの カテゴリ に女性専用、男子禁制的な意識を強く持っているケースがあります (「女性向け」 などと表現の仕方もあります)。 同人イベント の 会場 で、自分たちのジャンルスペース近辺に男性がうろつくのを見て強い違和感や時には不快感を覚える場合もあるようです。
別にそういった考え方を持つ人ばかりという訳ではないですし、男性の 「やおい」 ファン も昔から一定数がいたものですが、「やおい」 や 「BL」 の世界をこれまでもっぱら作ってきたのは他ならぬ彼女たち女性の側ですし、男性ファンはある程度 「よそ者」「部外者」 としての遠慮や配慮をするのが、結局は余計な摩擦を引き起こさないで済む大人の知恵なのかなとも思います。
「腐男子」 は 「同性愛者」 なのか?
ところで女性と男性とでは、同じ作品に向き合う場合でも、「性差による立場、メンタリティの違い」 が恐らくはあります。 「やおい」「BL」(「乙女系」) は、もっぱら 「女性 読者 向けの男性同士の同性愛表現を含む作品」 となりますが、それを女性が楽しむのと、男性が楽しむのとでは、おのずと視線や受け取る ニュアンス が変わるでしょう。 すなわち、「腐男子」 は同性愛者なのではないか、リアルで ホモ や ゲイ や 薔薇、あるいは ショタ なのではないか、という点です。
このあたりは人それぞれなんでしょうが、実際のところ多くの 「腐男子」 は、「自分が男であり、同性である男性に性的な興味がある」 というよりも、「腐女子などの女性と同じ目線、感性で、男性同性愛物語を純粋に作品として楽しんでいる」 という感じが強くあります (同じ同性愛を モチーフ としたジャンルである 百合 (ガールズラブ) の作品などと掛け持ちしている人も多い)。
逆に正真正銘、本物の男性同性愛者の場合は、極端に理想化され 「女性の目線で描かれた同性愛」 である 「BL」 作品などには 「わかってない」 と、強い違和感や反発を覚えるケースもあります (そうでない人もいますし、男性の ネクタイ や 「スーツ」 などに フェチ 的な魅力を感じ、それを 「腐作品」 から受け取る人もいます)。 部外者は 「男が好きだから男性同性愛作品を読むんだろう」 などと単純に考えがちですが、実際はそこまで簡単なものではなかったりします。
「百合」 と レズ との関係もそうですが、単に登場人物の性別が男か女か、なんてことより、「どれだけ登場人物が魅力的に描かれているのか」「同性愛という、ともすれば困難な 茨の道 に進むカップルの心情を、どう巧みに描き出しているのか」 などに、人物の葛藤劇である創作物の 「作品としての価値」「本質」 を見出している人は、実は結構多い感じがします。
面白いマンガ、深い洞察に立脚したストーリーを同人の世界で求めると…
本当にデキのよい マンガ や SS (ショートストーリー)、力のある 作家 や サークル の作品は、扱う テーマ が同性愛であれ男女の恋愛 (ノマ) であれ師弟愛であれ、純粋に作品として面白く、楽しめるものです。 二次創作 ならば、元ネタ となる作品の キャラクター の 「性格」 をしっかり理解し、その心情の機微を巧みに取り入れ、さらにアレンジして練りこんだ、「読ませるストーリー」「唸らせる展開」 を提示してくれたりします。
いわゆる 「男性向け同人」 が、ギャグはともかくシリアスなものになればなるほど、しばしば男性読者への オナニー のための おかず、即物的なエロに走りがちなこともあり、じっくり読ませる練りこんだ作品を求めて 同人 の世界の最大勢力、「腐」 の世界に同人ファンとして足を踏み込むのは、本当にマンガやSS、同人作品が好きな男性なら、しごく当然のような感じもします (まぁ男性同性愛表現が生理的に受け付けない人は別ですが… (^-^;)。
まぁ逆に、女性でありながら男性的な同人作品が好きな人もいますし (「オタ女」「ヲ女」 などと呼ぶ場合があります)、ここらはシンプルに 「どういう作品が好きなのか」 で、好みの作品を選んでいるだけのような気がしますね。 もっとも 「ショタ」 に関しては、ロリ と同様、ある種の記号的な魅力もありますから、「こんなに可愛いのに女のはずがない」 などと、半分ギャグ的な意味も含めて男性で転んでいる人も結構いるような気がしますけど。
現実の世界と違い、心の一番深いところで自由に羽ばたける場
「魅力的で十二分に可愛ければ、キャラクターのたかが性別などは、ごく些細な取るに足りない問題だ」、ってのは、リアル社会でパートナーを選ぶ時にはさすがに無理でも、物語や創作物に向き合う考え方としては、結構真理なんじゃないかと思います。 また性別をことさらに気にする人にとっても、創作物の作品の傾向では ふたなり とか 性転換、性別受け みたいな性別の混濁があったりしますし、性癖 や好みのようなものは、人間の心の一番深いところで起こる 「自由に羽ばたけるところ」 なんでしょう。
実社会と違い、誰にはばかることなく好きなことに没頭できるのがこの世界。 「好きなものは好きなんだ、理由などない」 ってのが、本当のところなんでしょうね。 まあ 「腐女子」 にせよ 「腐男子」 にせよ、世間一般の 「常識」 でいえば、「特殊な好み」 の持ち主であるのは間違いないのでしょうが、同好の人たちと場所をわきまえて楽しんでいるものを無理やり表舞台に引っ張りだし、単なる興味本位で 「何でホモが好きなの?」「どうして創作の世界にのめりこんでいるの?」 などと一方的に 「自らの性癖、嗜好の説明責任を果たせ」 と部外者から追求されるのは気の毒に思えます。
そもそも好きな人たちと 趣味 として閉じた世界でやっている以上、部外者にそれを理解してもらったり、説明する義務も義理も全くないのですから。