商業主義のあざとい結果か、それとも単なるレッテルか… 「腐女子狙い」
「腐女子狙い」(腐狙い)、もしくは 「腐女子向け」(腐向け) とは、腐女子 に向けて作られた作品、あるいは腐女子が好むと一般的に思われている美少年や美青年がさしたる必然性もなくやたらと登場し、明示的・黙示的問わず やおい や BL 的な要素、あるいはそうしたものに発展する素地、成分が意図的に含まれた作品だという意味です。
女性向けコミック雑誌などに掲載されている、明らかに腐女子に向けた作品全般を指すために使うケースもありますが、ネット などの世界ではむしろ、本来は腐女子をターゲットにしていないはずだと思われる雑誌や作品にそうした要素が過剰に含まれているのを、かなり否定的に表す表現となっています。
すなわち、「商売、売り上げのために腐女子に媚を売っている作品だ」、もしくは 「腐女子におもねってヒットしただけだ」 という訳です。
こうした言葉が極めて批判的、侮蔑的に使われている中でもとくに目立つのは、一般的に男性向けだとされるコミック誌 (週刊少年ジャンプなど) の一部の作品や、ロボットものアニメ、特撮作品などに対してでしょう。
論調としては、「本来は男性のための作品なのに、部数拡大や視聴率のために腐女子 (もしくは区別がつかないまま女性ファン全体) に媚びている、おもねっている」「そのために雑誌や作品タイトルの 雰囲気、傾向が変わり、つまらなくなった」 などといったものが多いでしょうか。
こうした物の言い方は腐女子に対してだけではなく、男性の おたく な人たち、なかでも 萌え などに興味を示す 読者 層に対して媚を売っている、商業 主義に偏っておもねっているとの批判的表現にもとても良く似ています。 「おたく狙い」「萌えオタ狙い」 という言い方ですね。
対概念として、腐女子向け厨、腐女子狙い厨といった言葉も
こうした否定的、ネガティブ な意味での 「腐女子狙い」「腐狙い」 には、一定の根拠なり理屈なりが伴っている場合もありますが、単なる言いがかり、自分が気に食わない作品を罵倒するための方便、屁理屈からくる一方的なレッテル貼りになっている場合も少なくありません。
腐女子狙い叩きにしろ萌えオタ狙い叩きにしろ、それを主張する人は、「自分は腐女子や萌えオタよりも 趣味 や感性、思考がまともで、作品の読解力も優れている」 との独善的な前提を持ち、俯瞰的な立場、メタポジション で作品のあるべき内容、本来の姿を正しく理解・認識・評価しているという立場を取ります。 しかしそれが、第三者から見ても客観的に正しいものなのかどうかはわかりません。
腐女子狙い叩きの場合、一部ではミソジニー (女性嫌悪、女性的なものへの反発) を、作品批判の形を取りながらもっともらしく言い繕っているだけとの批判もあります。 また 「ビジネスや商売を最優先にしている」 との主張は、「商業主義に毒されている」 との昔からの表現物全般に対するありがちな批判と全く同じで、作品そのものへの批評や文句ではなく、作者 や制作者に対する人格を攻撃するものでしょう。
こうしたことから、逆に 「腐狙い」「腐向け」 といった表現そのものを否定的に考える人たちは、こうしたレッテルを貼って大騒ぎしたり、それを理由に ネガキャン を繰り返すような人たちに対し、厨房 を接尾して 「腐女子狙い厨」「腐向け連呼厨」 と呼び、強く批判する場合もあります。
本当に腐女子におもねっている作品なのか、単なる言いがかりなのか
腐女子狙い、腐狙いを否定的に云う場合、しばしば 「最近はBLが流行しているから、その流れに安易に乗っている」 との意見になるケースが多いものです。 確かに一般 レベル にまでBLが広く知られるようになったのは、2000年代に入ってしばらくしてからでしょう。 しかしBLや やおい の 概念 や、それと親和性の高い作品はそのずっとずっと以前からありますし、いわゆる腐女子とされる人たちが少年誌の掲載マンガに強い興味を示したのも、その遙か以前からです。
例えば典型的な少年向けスポーツ漫画である 「キャプテン翼」(キャプ翼/ 1981年〜) が、腐女子の好む代表的かつ記念碑的作品であるのを疑う人はいないでしょうが、原作のキャプ翼が腐女子におもねった作品とは思えません。 そのちょっと前に女性ファンに圧倒的支持を受けた 「アストロ球団」(1972年〜) も 「リングにかけろ」(1977年〜) も同じです。
アニメついても、一般的には男性向けと思われている宇宙戦艦ヤマトや宇宙海賊キャプテンハーロック、機動戦士ガンダム、銀河英雄伝説などのSF作品や、六神合体ゴットマーズ・J9シリーズ、サムライトルーパーなども、筆者 の回りではむしろ女性に圧倒的な人気がありましたし、当時のアニメ雑誌などでも女性と思われるファンの声が非常に多かったものです (もちろん女性アニメファンと腐女子とは同じものではないにしても)。
これはコミケ参加者の男女比にも明確に現れ、過去に遡れば遡るほど女性の比率が高まっていますが、これらの作品の制作者が、ことさらに腐女子やら広義の女性ファン、女性同人作家やらの評価を狙う強い意図があったようにも思えません。
腐狙い、腐向けといった言葉が2000年代 (つい最近) になってとりわけ大きくなったのは、やはりネットの影響が大きいのでしょう。 例えば少年マンガに登場する自分の好きな作品の ヒロイン が罵倒されたり批判されると、それに反論できない場合には、「腐女子が嫉妬している」 とレッテルを貼ると楽ですし、やたら美形男子、イケメンばかりが出てくる展開にウンザリしている作品を貶す場合にも、「腐女子狙いで萎える」 という言い回しにすると、単なる自分の好みの問題に客観的な根拠や事情通のような権威がつく錯覚も覚えます。
これは相手の顔が見えないネットの世界で意見を発表する時には、とても便利なものでしょう。 そしてそこに、少なくとも明白に1970年代から連綿と続く腐女子や女性少年誌ファンたちの活動の歴史に対する 「無知」 が加わると、こうした 「最近は腐女子におもねった作品が…」 といった誤解、勘違いが生じるのではないかと思います。
本当に素晴らしい作品は、腐女子もオタクも男女の差も軽々と超える
実は少女漫画に対しても 「萌えオタ狙いがあざとくて ウザイ」 という言い方が昔からあります。 ただしこれを口にするのは少女漫画の想定読者である女性や女の子ではなく、当の男性オタクの側がもっぱらだったりするのが面白いです。
筆者もこうした表現をシャレとして身内相手にたまに使うことがありますが、少女漫画ファンは少女漫画に対して少女漫画らしい雰囲気を求めて楽しむので、少女漫画らしからぬ表現 (萌えを好む男性向けと思われる不必要なお色気シーンや サービスシーン、例えば パンチラ) などが過度に登場すると、足元を見透かされているような印象も覚え、ウンザリするのはわかります。
これは腐女子の側も同じ場合が少なくないようで、少年漫画に本来不必要な 「腐女子が喜びそうだと知らない人がみたら感じそうな要素」 が詰め込まれた作品にむしろ失望や嫌悪感を覚えるケースは結構あるようです。
そもそも作品側から 「これが 公式 だ」 みたいな形で 公式カップリング を提示されなくても、腐女子は自分たちの感性で自由に カップリング が作れますから、中途半端な要素の詰め込みは邪魔に感じる場合すらあるのが実情でしょう。 つまり腐女子狙いの作品がどうこうというより、「原因と結果が逆転」 しているような印象があります。 もちろんそうした事情が把握できず、腐女子 ニーズ を勘違いして自爆している作品もないわけではないと思いますが。
腐女子が少年漫画を読み、おたくが少女漫画を読む世界
こうした言葉が複雑な意味を持つようになっているのは、そもそもマンガなどに対する 「少年向け」「少女向け」 という概念そのものが、良くも悪くも古臭いものになっているという前提があるのでしょう。 どう考えても女性読者を想定していないだろうと思われる作品が男性よりもむしろ女性に強く支持されるケースは昔からありますし、その逆に男性が女性向けとされる作品を熱心に支持する場合もありますし、それは時代を経るごとに強まりまた増えている印象があります。
さらに腐女子という存在が大きくなり、本来は別の概念で表されるべき女性ファンや女性のオタク、マンガやアニメのファン、同人ファンが、言葉として腐女子にひとまとめにされ、その誤用のまま広く呼ばれるようになっている現実が複雑さを加速しているのでしょう (腐女子狙いや乙女系狙いを、単なる女性狙いの意味で使っている人もとても多い)。
本来は異性向けだったり、子供やお年寄りなど自分とは全く違う年齢層向けの作品からも、常識や感性の違いを乗り越え、ときめく部分を引き出して楽しめるのが腐女子や おたく の能力というか、妄想力でしょう。 もちろん他にも作品の 「味わい方」 はたくさんありますが、些細な要素だけに注目して特定作品にレッテルを貼り、食わず嫌いで自ら作品を スポイル するのはもったいないような気がしますが、どうでしょうか。
では本当に 「腐女子狙い」 の一般作品は存在しないのか?
萌えの要素を分類したものを俗に 萌え要素 と呼びますが、この萌え要素と実際の萌えとは、たまご が先か鶏が先かの関係です。 まず作品や キャラ に対する萌えという感情があって、萌え要素はあくまでそれを分類したものですが、その後はその分類が作品を創って売るためのマーケティングに利用されたり、流行として取り入れるなど、作品の前に要素の組み立てが行われる場合もあります。
こうしたフローの変化を 「時代に迎合している」「媚びている」 と批判するのは簡単ですが、売れなければ雑誌も成り立たず作家も仕事ができなくなるので、ある程度はやむを得ない部分もあります。 アニメやゲームのように多くの人間と多額の予算が動く作品の場合、出資者を納得させる企画書にマーケティング要素を入れないのは無理な話でしょう。 また過去の流行を振り返るのならともかく、現在進行形の作品の場合、作者などもその流行や時代の空気の中にいて、客観的に見ることができない場合だってあります。 こうした動きは、やおいやBLにおいても、もちろん存在するでしょう。
読者や視聴者は、制作者側の台所事情や心情などを考えて作品を評価してあげる必要など全くありませんから、こうした要素が気に食わなければ無視すればよく、嫌なら見なければいい のですし、ただファンに迎合しただけの薄っぺらい作品は、一時はニワカが群がって話題となったとしても、いずれ淘汰されるに決まっているのですから、あまり熱くなって批判しても仕方がないような気がします。
ある作品に対して好意的であれ批判的であれ、無視できない、どうしても気になると思う場合、レッテルを貼ったり関係者の人格を攻撃して罵倒するよりは、作品中で自分が夢中になれる部分をほじくり出して、その部分を繰り返し楽しんだ方が豊かな時間を過ごせるような気はします。 あるいはネットで批判することでそれが制作者に伝わり、作品傾向の変化を期待しているのかも知れませんが、だったら直接ファンレターの形で意見すれば良いでしょう。
もっとも、オワコン や ステマ のレッテル貼りのように、腐女子狙いというフレーズを使って他人や他人の好きなものを罵倒するのが目的なのだとしたら、それはそれで仕方がありませんが。
なお逆に、腐女子が毛嫌いしそうなキャラや物語の展開を指して、防腐剤と呼ぶ場合もあります。