義憤か、嫌がらせか… 「拡散希望」
「拡散希望」 とは、主に ネット において、自ら発する情報や ネタ をみんなで 「広めてください」「拡散 させてください」 とお願いする趣旨で使われる代表的なフレーズのひとつです。 多くの場合、目立たせるために墨付き括弧 【】 が使われ、【拡散希望】 のような形で使われることが多いでしょう。 また自分が情報発信元ではなく、どこからか流れてきた拡散希望をそのまま再投稿して、リレーのように拡散の手伝いをすることもあります。
似たようなものに 【緊急拡散】(急いでみんなに知ってもらいたい、知らせてください) や 【転載希望】(無断でどんどん転載や 投稿 してください)、それらと合わせて拡散歓迎の意味で 著作権 の放棄や フリー素材 の宣言を行うこともあります。 また自分以外が発した拡散希望の情報内容・趣旨に賛同するとの意味で、賛同や支持、連帯を使うこともあります。
拡散する内容は様々で、不正行為の告発や政治的な テーマ や課題の問題提起もあれば、事故や事件などの情報共有、単なる宣伝、あるいは悪意に基づく個人情報散布による嫌がらせもあります。 また拡散する範囲も 「誰でも良い」 こともあれば、特定の ジャンル や カテゴリ の話題で、関係する人たちへの注意喚起 (例えば予定されていた イベント が急遽中止になったなどの情報発信) の場合もあります。
拡散希望して拡散されないと、それはそれでつらみが…
緊急時の連絡などは結果的にそれが拡散されようがされまいが、緊急時の注意喚起やそのお手伝いが目的なので、仮にたいして拡散されなくても行為に対する意義は何ら損なわれるものではないでしょう。 例えば ツイッター などの SNS で、自分の フォロワー に対して行う注意喚起の場合は、その人たちに 「何か拡散希望するほど重大な話なのだな」 が伝わればそれで十分ではあります。
一方で、政治的な問題などでことさらに強い批判とともに行う拡散希望は、拡散することによって政治的な問題や課題の周知、それによる大勢の人からの圧力で現状変更を促すのが目的なので、まるで拡散しないと目的は達せられないし、行った本人も自分の 拡散力 のなさや発した情報が拡散されるべき価値あるものだと見なされない状況に居たたまれない気分になることもあるでしょう。
一概には云えませんが、拡散希望という言葉や行為自体がかなり強いものですし (普通に ネットを使っているぶんには、拡散希望などを日常的に行うような人は極めて少数でしょう)、それでもなお行う人は、常日頃からやたらと拡散希望を行い (多重投稿 や リツイート なども多い)、怒りっぽくて他者批判や不平不満ばかりを投稿しがちでもあり、ちょっと遠巻きに見られたり、好奇の目で見られがちな存在だったりもします。
拡散希望自体は別に悪いことでも何でもありませんし、SNS などは高い拡散力が特徴の一つでもあります。 災害時に有益な情報が人々の善意によって拡散されて助かる人だって大勢います。 しかし平時にあっては何かと政治的に極端な立場を取る 痛い人 が、見た人の怒りや恐怖を 煽る ような内容で行いがちな行為でもあり、場合によっては冷ややかに見られてしまわれるのは切ないです。 これは逆に、拡散希望というとても強くて効果のあった 「武器」 を、無為な連発によって自ら価値を棄損し無効化している愚行だとも云えます。