リンゴジュースの移動販売で一攫千金、その使い道は…
「夢がひろがりんぐ」 とは、掲示板 2ちゃんねる の 「ニュー速VIP板」 にて、リンゴジュースのケータリング販売を始めた無職、ニート (と思われる人物) が、スレッド 上で発した 書き込み の中のフレーズです。
意味はそのままですが、「夢が広がる」「有頂天になって期待感にわくわくする」 なんて感じです。 その後 「〜がりんぐ」「〜しまくりんぐ」 といった感じで他の言葉にも使われ、2004年から2005年頃に流行しました。 対義語として、「夢がしぼみんぐ」 などがあります。
語源は2ちゃんねる VIP板の、通称 「りんご男」 の書き込みから
英語における時制の表し方として 「主語 + be動詞 + 動詞の ing 形」(現在進行形) ってのはおなじみです。 日本語の場合、日常使う範囲においては主語を必ずしも必要としませんから、この 「夢がひろがりんぐ」 は、「夢がひろがる + ing」 の日本語俗語的な典型パターンですが、ing 部分までが平仮名表記ってのが、ちょっと可愛い感じです。
ところでこの 「夢がひろがりんぐ」 の語源、元ネタ ですが、実は 2004年9月13日に VIP板に立てられたスレ (スレッド/ トピック)、「俺も遂に就職したwwww」 のスレ主 (スレッドを立てた人) が、仕事を得て喜び勇んで書き込んだ、次の文章に由来します。
91 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします :04/09/13 19:43:48 ID:77DVcNzp
お母さんにマッサージ器を買う
お父さんの墓を綺麗にする
嫁さんもらうwwwwwwww
うはー 夢が広がりんぐ
「夢がひろがりんぐ」 生みの親、「りんご男」 その後の顛末は…
このスレ主は、1 (最初の書き込み) において、
就職ってか起業wwww
トラック一台買ってりんごジュース売るオーナーになったwwwwww
おまえら無職にわ悪いけどバッチリ稼がせてもらうわwwwwwww
じゃあな烏合の衆℃もwwwwwwwゲラ
と、ハイテンションで脱ニートと仕事への抱負を語り、「それはトラックを売りつけるだけの、新手のフランチャイズ商法じゃないのか」「マルチ商法じゃないのか」 との多くの VIP板住人 (VIPPER) の心配を、「嫉妬乙(嫉妬するな)」 と撥ね付け、「(この仕事は) 美人の彼女に紹介された」 と語っていました。
しかしその後半年ほど経過して、「販売不振で本部費払えなくてトラックもパソコンも本部に取られた」「荷積みの時に指を骨折した」「彼女にも振られた」「5ヶ月目に貯金が尽きた」「借金が225万円増えた」 などと窮状を明るく報告し、そして最後に 「母ちゃんごまんwww」 との書き込みを残し、VIP板から消えたのでした。
この手のスレは VIP板 では立っては消え立っては消えするものですが、ニートから脱したことへの歓喜、利用されているかもしれない心配をよそに、新しい仕事に向かう強い意欲、なんとなく可愛らしい 「りんごジュースを売り歩く」 というイメージ、さらに最初のスレの 91番目の書き込みにある 「お母さん にマッサージ器を買う」 などのスレ主の優しい性格、人となりがわかる、親孝行でいかにも庶民的な、ささやかな願い。 これらが相乗して、多くの VIP板住人の声援や共感、勇気、そしてほろ苦い感傷を呼びました。
その後、VIP板の看板、トレードマークとなり、特別な存在に
VIP板の看板 (ページトップに掲示されている、2ちゃんねる トップページ への大きなリンクバナー) は、長らくリンゴと軽トラックになっていましたが (2008年11月に変更になったものの、言葉としての 「りんご事業部」 が存続)、これはこの一連の騒動から作られたものでした。
なおスレ主はこの看板を含め、複数候補から看板を選ぶ時期にその様子を目撃し、「VIP看板候補でりんごの看板があったがなんか悲しくなった」「遂に俺の始めたりんごジュース屋が倒産したwwww」 と、後に評しています。
状況的に泣きたくなり、弱気な愚痴のひとつ、業者への恨み節のひとつもこぼしたくなる状況ですが (実際にそれなりの 修羅場 もあったんでしょう)、それでも最後の最後まで名無しのままで 「wwww」 を連発し、「母ちゃんごまんwww」 と陽気に書き込むスレ主の姿は、一定の アンチ を生み出しつつも、多くの住人が抱いた 「天晴れ、VIPPER かくあるべし」 との格別の印象と共に、ひとつの伝説になったのでした。
いずれ、この困難から復活したみんなに愛された 「りんご男」 と、りんご男やその他の スレ 主に勇気付けられた住民とで、後年この 「看板」 を懐かしく見ることもあるんでしょうね。 「りんご男」 は先輩の紹介で2年間の住み込みのバイトをやって借金を完済し、一人住まいをやめて母親と一緒に住みたいと最後に コメント しました。 報告通りであるなら、2007年春から夏頃には、願いが叶っているはずです。
今どこで、何をやっているのでしょうか。