待ち合わせですれ違い…何で携帯使わないの? 「設定の無効化」
「設定の無効化」 とは、社会的・時代的な外部要因の変化によって マンガ や アニメ といった創作物の 設定 が無効化されてしまうこと、使えなくなってしまうことです。
もっともわかりやすい例としては、ソ連の崩壊・冷戦終結によって東西陣営のスパイ合戦のような物語が成立しなくなったり、歴史研究が進んで時代物の作品の前提がひっくり返ったり、細かいところでは携帯電話の普及によって恋人が待ち合わせですれ違うといった描写がやりにくくなるなどがあります。
作品の設定がどのくらい 「世の中の常識やイメージ」 に頼っているかによっても異なりますが、明らかに時代が異なる時代劇ならともかく、現代とさほど変わらないように見える舞台でちょっとした違いが気になると、場合によっては強い違和感を覚えて 感情移入 や没入がしにくくなったり、作品を創る側が描写しにくくなるといった状況が生じることもあるでしょう。
対概念としては、その時代の状況や流行に左右されない タイムレス あたりでしょうか。
急激に進む設定の無効化の場合と、いつのまにか無効化する場合
冷戦終結や携帯電話の普及といった、ある時期を境にした明確な転換点によってわずか数年ほどで急激に設定が無効化・陳腐化するものの他に、人々の意識や常識といった数十年スパンで少しずつゆるやかに変化する要素によって、いつのまにか設定が無効化されている場合もあります。
例えばそれは性差別やジェンダー意識の高まりと共に、異性の容姿いじりやスカートめくり、女湯を覗くと云ったそれまでは得てして些細で無邪気な軽口やいたずら、作品の中に無意味に挿入されがちなお色気要素・サービスカット の扱いだった描写が避けられるようになったりなどです。 あるいは多様性の観点から ゲイ・レズ・ホモ といった人間の個性を変人扱いして笑うような描写ができなくなったり、国や主君に忠誠を誓う、命がけで守るような主人公の価値観が理解できなくなったり共感しづらくなったりするなどがあります。
これらは現代を舞台とした作品ではとくに大きな影響を与えますが、時代劇や架空世界、SF の物語でも、それを観たり読んだりする受け手側が現代人である限りは多かれ少なかれ影響を受けますし、変化の節目に位置する作品が急激に古臭く感じられたり時代劇化したり、ほんの少し前の作品が現代と切り離された前時代的なもの、場合によっては愚かで醜悪なものに見えてきたりもします。
作品の テーマ や核心が普遍的なもの、例えば命とか平和・愛 などなら、これらの設定は 世界観 とまでは云えず、単なる舞台装置の一部に過ぎないとも云え、あまり影響を受けずに済むかも知れません。 しかしその時代の価値観や社会情勢、道具類に寄り添った作品の場合、それを楽しむ受け取る側にも知識や作品設定に寄り添い努力して追体験を試みる心構えが必要となってしまうでしょう。 一方で後の世に、作品制作時の世の中の空気感や息吹を伝えられる存在ともなるので、必ずしも過去の創作物に不利益だけを及ぼすものではありません。
しかし時代性に立脚したトリックやその謎解きを楽しむような作品の場合は、その魅力の多くが失われてしまうかもしれません。 「リアルタイム で見ないと本当の魅力が伝わらない」 こともあるわけです。 例えば過去の天気を ネット で簡単に調べられる時代に、意外で斬新な方法で得た遠隔地の天気情報を使ったアリバイトリックを提示し、その謎解きを どや顔 でされても、当時の世相を知る資料としては興味深くても、面白みや新鮮な驚き、納得感は大きく削がれてしまうでしょう。
また単に時代的な変化による無効化の他、そのトリックが同じ ジャンル で何度も取り上げられて無効化することもあります。 こうした 「当時は斬新だったが数多くの引用や模倣によって陳腐化し後の時代に凡庸に見えること」 を 先駆者のジレンマ などと呼ぶこともあります。
ある種の創作における縛りプレイとなることも
一方で、未来を描く SF などでは、現代の技術や価値観から大きく変化した時代を描く中で、現代では自明のそれらが使いづらくなるという部分もあります。 リアリティライン とか 架空世界における設定バランス などもそうですが、宇宙船が銀河を飛び回る世界で、人々が電話や無線機や手紙を使ってコミュニケーションを行うのはいかにもテクノロジーの進み方として不自然でしょう。 しかしここでまだ実現していない架空のコミュニケーション手段を提示したところで、それが物語の核心部分と無関係なら、単に設定の整合性を取るだけの無駄なものにもなってしまいます。
誰もが持っている常識や前提知識をあえて使わず、ある種の 縛りプレイ のような形で異なる世界の価値観を受け入れられるように伝えるのはとても難しく、そこから感情移入まで引き出すのは至難の業でしょう。 あまりくどくどと設定を説明せずに、いかに自然な形で読者や視聴者といった受け取り側に設定を受け入れてもらうか。 このあたりのバランスは本当に難しいし、逆に腕の振るい甲斐のある部分だとも云えるかもしれません。