あの一言は余計だった…いつまでも胸につかえる 「土下座リスト」
「土下座リスト」 とは、過去の自分の行いについて後悔し、反省し、迷惑や被害を及ぼした相手に謝罪したい、でもそれができない場合に心に秘める贖罪のリストです。 略して 「ゲザリス」 とも。 「死ぬまでに 土下座 したい人リスト」「生きているうちに謝罪したいリスト」 などとも呼ばれます。
一般に対義語は 「復讐リスト」「処刑リスト」「殺すリスト」 などになり、似た カテゴリ の言葉に 「感謝リスト」「死ぬまでにお礼したいリスト」 などもあります。 いずれも、土下座や処刑、感謝などの行為を実際に行うわけではありませんが、心にそう決めていつか機会があれば実行したい、もしくは実行はできないかもしれないが、その思いは忘れないという自分への誓いや戒めだったりします。 あるいは、そう心に秘めることで自分に対する言い訳とし、罪の意識を少しでも軽くしたいとの切羽詰まった気持ちの発露の場合もあります。
若い頃は 「殺すリスト」 が増えたけれど、次第に 「土下座リスト」 が増えて…
若い頃、子供の頃は、理不尽な仕打ちを受けた相手に対し、「復讐リスト」「殺すリスト」 のようなものを作って押さえられない怒りの代償行為とするケースはかなりあります。 実際に復讐したり殺したりはできないけれど、どうにも我慢ができないならば、せめてリスト化して復讐を先送りしただけだとの心理的な言い訳をして心の平穏を保とうとするわけですね。
受けた仕打ちの レベル や本人の性格によってはその後も恨みをずっと忘れない人も少なくないのでしょうが、多くの人は過去の話と割り切って、いつしかその存在を忘れたり、怒りの強さが弱まってしまうものです (まぁ何かのきっかけで突然怒りがぶり返すこともありますが)。 一方、人間生きていれば様々な出来事に遭遇し、時には他人に対してひどい仕打ちをしたり、自分の実力不足や怠惰が原因で周囲に迷惑をかけたり、自分自身で自分が許せなくなるような裏切りや失敗を重ねてしまうこともあるでしょう。 漠然と 「それなりに自分は善人かも」 と思っていたのに、時として自分でも信じられないほどの クズ 言動をしてしまうことはあるものです。
こうした自責の念や後悔は、胸のつかえとしていつまでも残り、時を経るごとに心の中に広がったりすることもあります。 ほとんどの一般人は人から強烈な恨みを買うような意図的な悪事や警察沙汰・新聞沙汰になるような犯罪行為などはしないものでしょうが、これも小心者の性なのか、どうでもよい小さな後悔が棘のように刺さったままというのは自業自得なのだとしても、中々辛いものがあります。 深夜の車の運転中とか寝付けない夜とか、たまに蘇ってきてどうにもならなくなり、頭の中で若い頃の自分を呼びつけては「お前、あれはねえだろうが」と叱りつけて切断処理を試みてますが、どうも上手くいきません。
「大声で怒鳴るイベント」 じゃなく 「土下座するイベント」 が欲しい…
筆者 の 自分語り で云えば、若いころは学校やら職場やらで理不尽な扱いを受けては小さなプライドを傷つけられて心に秘めた 「死ぬまでに絶対復讐するリスト」 的なものが増殖したりもしてたけど、今は自分の不甲斐なさや不義理の罪悪感から「死ぬまでに絶対土下座するリスト」が成長し続けてる状況です。
幸い小心者なので、誰かを いじめ たとか騙して陥れたとか警察に逮捕されたみたいな過去は持っていないけれど、約束を守れなかったとか期待を裏切ったとか、せっかくの好意を無にした、あの一言は余計だった、どうしてあの時に声かけてあげられなかったのかレベルの罪悪感や後悔はかなりあって、いっぱいあって、ふとした拍子に蘇っては「ああああ」「ごめんなさいごめんなさいごめんなさい」ってなります。 正直ここまで引きずることになるとは思いもしなかった出来事がほんとに色々あります。
土下座してぇ…長年胸につかえてるこの罪悪感を何とかしてぇ…。 でもいきなり現れて一方的にこちらの自己満足で土下座されても迷惑だろうし、こちらが償いの方法を選ぶべきとも思えないし、いまさら連絡取れない相手もいたりで辛いです。 ていうか謝罪対象には亡くなった家族とか昆虫とかもいますし。 一応存命中の友人知人関係では、同窓会などで直接「あの時は申し訳なかった」みたいに謝ることができた相手もいるけど、それができない相手は辛い。 とくに社会人になってからの知り合いは一度疎遠になると共通の友人知人がいないと連絡先もわからず二度と会うこともありませんし。 思い出すたびに心の中での謝罪と相手の幸せを祈ることくらいしかできない。
あとこのサイトへ情報を寄せて下った方への反応や、サイトへの内容の反映が遅れたり、対応し切れなかったことなどもあり、お詫びしたいと思うことが多々あります。 性格的にずぼらだったりメンタル弱すぎな部分もあり、年単位で対応できなかったりもしますし。 本当に申し訳ないです。
ストレス解消でバカヤローって怒鳴るイベントがたまにありますが、あたしは逆に 「大変申し訳ございませんでしたァアァ! 過日は若気の至りお許しくださいませェエェ! 何なら2〜3発いっちゃってくださいぃ!」 って大声で謝罪しながらジャンピング土下座できるようなイベントが欲しいです。 でもそれでは相手の赦しは得られないし、相手が留飲を下げることもできませんから、結局は自己満足の上塗りですよね。 とほほすぎます。
罪悪感などは誰でも持っているものなのでしょうから、宗教の懺悔とか、ほんといいシステムだと感心します。 「罪悪感で辛い → 懺悔すれば許される」 ですもの。 自分で自分を罰するのは辛く苦しいし、他人から罰せられるのは時として相手への恨みが生じて負の連鎖にもなりかねないけれど、神 から許されたり試練や罰を受けているのだと信じられれば諦めもつくし心理的に救済もされる。 おまけに 「自分以外の悪い奴 → 地獄行く」 で気分もスカっとしますし、そりゃ神様とか心から信じられるなら、あたしだって お布施 や寄進で鬼 課金 して救いと天国の幸せ求めますわそりゃ。
よくわからない宗教や教祖が信じられる人を 「頭が悪い」「アホや」 と批判したり合理的判断ができない弱者扱いする人もいますが、実際はおかしな宗教や教祖を利用して自分の外に責任者や審判者を置き、本来逃れられない自分の罪や責任から逃げることができる極めて利己的で合理的な判断ができる強者だって結構いると思いますよ。 今は心を病むほどの罪悪感の低減には認知行動療法的な方法もありますけど、医師は宗教と違って向こうから来てはくれませんし、受け身で贖罪できるとか最高かよ。
でもまあよくよく考えてみると、こんないまさらどうにもできない過去の出来事であれこれ悩めるのも恵まれてるというか幸せなことなのでしょうね。 仕事が上手くいかずお金がなくて月末の支払いが ヤバイ とか、仕事が嫌すぎて布団から出られないとか、あるいは事故や 病気 で生きるか死ぬかみたいな状況だったら、今のことで精いっぱいで昔のこととか思い出していちいち悩む余地なんかないでしょう。 別に貯金がいっぱいあるわけでもないけれど逆に借金もほとんどないし、自分の身の程を知ったこともあり無理な目標に向かって精いっぱい頑張る → 挫折みたいな苦しみがなくなったのも、何となく余裕ができた理由だと思いますが。
年取ってそこそこ謙虚になり、お金や健康や家族の問題でさほど悩まなくて済んで、これといって頑張りたいこともない暇人の偽善的なたわごとがぼんやりした罪悪感と土下座リストだと考えると、ますます自分のちっぽけさ思い知ってゲンナリするけど、まあそんなものよね、人間ってたぶん… (主語デカ)。
とまれ、罪悪感にせよ何にせよ、それが苦しいと感じられるのは、心の目立つ部分にそれが居座ってその後の自分の言動を戒めてくれているのだとも云えますから、二度と同じ過ちは犯さないようにして人生過ごしたいものです。 今なら、親切にしてもらったら照れないで大げさなくらい感謝しまくるし、自分が悪いとわかった時点で即謝罪しまくれます。 亡くなった家族などには、自分があちらに 逝った 時に謝ろうと思います。 たぶん生きていた時と同じように 「バカだなぁ別にいいよいいよ」 って笑って許してくれるような気がします。