友達の顔をして、その裏では…「フレネミー」
「フレネミー」(Frenemy) とは、英語の Friend (フレンド・友人) と Enemy (エネミー・敵) を組み合わせた言葉で、そのまんまですが 「友人を装う敵」 という意味です。 一見仲の良い友達に見えてはいるものの、その裏では一方あるいは両方が影で悪口を云ったり、相手が何らかの失敗をしたり周囲からの評価が落ちたり恥をかくように仕向けて足を引っ張る、あるいは相手を心理的に揺さぶって落ち込ませたり悩ませるなどが代表的です。
なぜこのようなことをするのかについては様々な理由や原因があるのでしょうが、元々は仲が良かったのに何らかのきっかけで一方が嫉妬や不快感を覚えて途中からそうなる場合と、そもそも仲など良くなかったけれど、一方あるいは両方が共に何らかの打算によって一緒にいる時だけ仲が良いフリをしている場合とでは、フレネミーに至る経緯はかなり異なるでしょう。
とはいえ基本的には同じ学校や職場の間柄で生じるもののため、単に性格が合わないとか態度が気に入らない、嫉妬といった人間関係の拗れにありがちな理由がその大半なのでしょう。 本来なら口論するなど分かりやすく衝突したり、無視 や意地悪、いじめ といった トラブル に発展したり、そこから和解して仲直りしたりもするのでしょうが、表面上は仲の良いフリをしなければならない理由があって、それに従って仲の良いフリをしているだけの話です。
似た言葉に好敵手とか ライバル があります。 お互いに倒すべき敵だと認識しているけれど、そこに奇妙な友情が芽生える、お互いを高め合う関係といった 概念 です。 これらに比べるとフレネミーは表面的に味方のふりをしているだけのただの敵であり、概念もまるで異なる邪悪な存在でしょう。 近い言葉として獅子身中の虫あたりが近く、身近にいたら距離を置くのが身のためです。
一方、「もしかしたら自分はフレネミーではないのか」 と悩む人もいます。 とくに思春期の頃に自分の感情の動きや人間関係に不安を覚えた時に感じる悩みのようです。 仲の良い友達のはずなのに一緒にいるとついイライラしてしまう、友人に何か良いことがあっても一緒に喜べずになぜか嫉妬してしまう、友人が失敗すると心の中でなぜか喜びを感じてしまう、友達Aと話している時に友達Bの話題がでると不快な気分がするなどで、「もしかしたら自分は性悪なのではないか」 と自己嫌悪を覚え、善人ぶっているけれど心の中のどす黒い考えが消せず、そのギャップに苦しむなどが代表的です。
こうした悩みはまじめで人の悪口などしたくないと思っている優しい人ほど陥りがちで、拗らせると自己嫌悪がますます募ってどうにもならなくなりますが、よほどの善人でない限り、何かしらの心の闇は誰もが抱えているものです。 「自分は善人や正義の味方ではないのかも知れない」「外面だけ取り繕う嫌な奴なのかも知れない」 というのを受け止めるのは辛いものですが、年齢を重ねていくと自然と収まってくるものですから、悩み過ぎないことが大切です。
なおフレネミーという言葉が一般でも使われるようになったのは、2009年のアメリカ映画 「フレネミー 史上最悪の無計画男たち」 や2013年7月から日本テレビ系列で放送されたテレビドラマ 「フレネミー 〜どぶねずみの街〜」 あたりからでしょうが、言葉そのものはそれ以前から存在しています。 うち日本のドラマでは、夜の世界を 舞台 にのし上がろうとする男達や組織・警察らの心理的な戦いのドラマとなっており、「友か、敵か」 との キャッチフレーズ の元、EXILE のSHOKICHIさん、NAOTOさんのダブル主演の 作品 でした。
創作物キャラにおけるフレネミーとケンカップル
マンガ や アニメ といった創作物の場合、フレネミーは裏切りや裏切りに対する制裁、さらには赦しと和解など、起伏のあるどんでん返しの 物語 が作りやすい魅力的な 設定 でもあります。 またギャグマンガなどでは、底の浅い腹黒キャラは愛される おバカ な個性としても扱われます。 本心は反発あるいは憎しみあってすらいるけれど、利害や腐れ縁で結びついたドライな人間関係は周囲から見る分には十分スリリングです。
とはいえ本心から憎しみあう間柄は見ていてしんどい部分もあるので、いわゆる ケンカップル のように、相手の実力を高く評価しているからこその反発、お互いに信頼しきっているからこその憎まれ口といった、よりソフトな表現がされがちかも知れません。 これらの関係性は、一部の 腐女子 にとっては大好物のひとつです。







