宇宙人は友達…あっという間に攻撃で消滅… 「瞬殺されるプラカード隊」
「瞬殺されるプラカード隊」(プラカ隊) とは、天変地異や宇宙人の 侵略・怪獣の襲来といったパニック映画などの コンテンツ において、物語の序盤に登場し真っ先に血祭りに挙げられる気の毒な人たちのことです。
よくあるパターンとしては、宇宙人が乗った宇宙船に向かって 「Welcome」「地球へようこそ」 とか 「LOVE & PEACE」 などと書かれた プラカード や横断幕を大勢で掲げたり、あるいは宇宙人を迎撃しようとする地球の軍隊に対して 「宇宙人と話し合おう」「宇宙人は友達」「攻撃反対」 などと軍事行動に反対するメッセージを掲げたり叫んだり、デモ行進をしたりします。
一般的なパニック映画では、その後相手の宇宙人や怪獣などから 無慈悲 な攻撃を食らってまるごと 瞬殺 され、物語の早い段階で十把一絡げに哀れな最期を迎えることになります。
似たものに、恐怖のあまりパニックになったり泣き叫んで愚かな判断を行い自分を含めた仲間や生存者全員を危険に 晒す ヒステリー気味の愚者や、同じくパニックになり冷静な判断力を失って 「もういやだ! こんなところにはいられない! 俺は行く!」 などと無謀な判断をして犠牲となる先に行く・外に行く愚者もいます。
「頭の中がお花畑」 なイメージから失笑を買う 「モブ」 として
通常こうした人たちはセリフらしいセリフもない モブ (単なる群衆やその一部) の扱いで、ヒッピー風の若者や上品で人の良さそうな老夫婦などが多くなっています。 宇宙人やその襲来による人類存亡の危機に対して、老若男女の様々な反応のパターンを網羅することで、作品にリアリティを持たせたり緊張感を高めるために用意された群像の一部であり、作中の正邪・敵味方を鮮明にする役割がありますが、とはいえ労働者として社会を支えていない無責任な存在かのように描かれがちかも知れません。
その姿はおおむね反戦デモに参加する平和主義の人たちや 環境 保護・エコロジーな人たち、理想主義的な人たち、あるいは反体制側にあって頭の中が お花畑 な人のそれと酷似していますが、これを持って、パニック映画や戦闘シーンが売り物の映像作品を作る人たちがどのような意図で彼らをこうした造形で登場させ殺すのかについて、隠された意図に疑念を持つ人もいます。
とはいえ、宇宙人などが侵略ではなく友好を目的として来訪した場合には、逆に 「宇宙人を追い出せ」「抹殺しろ」 といった主張をする過激派集団が登場するパターンだって多いでしょう。 作品に 主人公 として登場する人物がおおむね相手の意図を鋭く看破しているとの対比として、逆の立場の人たちを愚かなピエロ役で登場させているだけなのかなとも思います。
まぁもっとも、安っぽいパニック映画やホラー映画などでは、高校生のプロム (高校卒業前に行われるダンスパーティー) とか男女複数カップルのキャンプや別荘遊びなどがやたらと襲われますし、そこにこの手の作品を手掛ける監督の暗い情念を感じる人は多いでしょう。 高校時代、恐らくはナード (運動嫌い) やギーク (おおむね日本の おたく に相当) として過ごし青春コンプレックスを拗らせた監督が、「スクールカースト上位の リア充 どもをまとめてぶっ殺してやるぜ」 を映画でやってるという訳ですね。
この手の作品を好む人たちもおおむね同じような青春時代を送ってきた人が多いのでしょうし (偏見)、それはそれでアリな考え方かもしれませんが、そう考えるとプラカ隊の愚かしい描かれ方や惨めな最期にも、それを描く監督と見て留飲を下げる観客双方の、それなりの共犯関係はあるのかも知れません。
なお極めて似たようなポジションで作品冒頭に登場する愚かなピエロ役に、動画撮影・ライブ 配信者 のユーチューバーが描かれることもあります。 というか、2010年代中頃からは、スマホやビデオカメラなどで自撮りしつつ訳の分からないテンションではしゃいで瞬殺される配信者が、プラカ隊を駆逐した感もあります。 これも時代の流れでしょうか。
体制側・反体制側・メディア、3者の創作物における立ち位置
社会や人類の危機を描く物語において、瞬殺されるプラカ隊はあくまで無知な一般市民の扱いですが、国や政府、軍、学会といった体制側に対する野党や学会を追放された市井の学者、さらに新聞やテレビといったメディアやジャーナリスト、反体制側の一部としての性格や役割が与えられることもあります。 ごく大雑把に云えば、かつては体制側に 無能 さや邪悪さ、あるいは問題解決を邪魔する役割が与えられがちでしたが、近年はそれが逆転している傾向はあるのかなと感じます。 これは悪の権力や権威に対する市民の善とか勇気、大人に対する子供の本物を見抜く目や純粋さと云った旧来の対立の構図が効力を失ったり変容したということなのでしょう。
とくに2000年代あたりを中心に、プロフェッショナル集団である体制側の対策が、無知蒙昧な市民や野党、あるいは無責任なメディアなどの幼稚な反対運動や妨害によって無為に阻害され、事態の悪化を招くみたいな流れが比較的多くなったような気もします。 さらに時代を下ると、こうした足を引っ張る 「お邪魔虫要素」 の無能な存在自体も邪魔というかストレスに感じられ、そもそもそうした役割の人物が登場しないか、文字通り瞬殺されるプラカード隊として物語序盤でまるごと瞬殺して消すような流れですね。
このあたりは国内外含め社会が保守化あるいは右傾化してるからとか、はぐれ者を受け入れなくなった世相とか、物語にリアリティを求めすぎた結果とか色々な見立てがあります (そりゃ宇宙人や地球・国家規模の危機に対応できるのは現実的に体制側だけですし、異端の学者や子供の機転で救われるみたいな話は説得力がないです)。 あるいは市民団体や野党やメディア、いわゆる左翼といった存在が理想論だけを唱えて口うるさく他者攻撃するだけの負の アイコン として認識されるようになったなど理由は様々なのでしょう。
そのうち世相の変化で役割の再逆転がされ、体制側が邪悪で無能な存在として描かれるようになるのかも知れませんが、そのきっかけが体制側の暴走、とりわけ戦争といった 不幸 なことによってではないことを願います。
2020年、新型コロナウイルスの感染拡大とプラカ隊
こうした存在は 「映画ではよくあるけど現実にはいないだろ」 とも云われていましたが、 2020年から世界的な感染拡大を起こした新型コロナウイルス感染症 (COVID-19) において、主に欧米で 「コロナはただの風邪」「友達」 といった主張をするデモ隊などがあらわれ、「現実にいたのか」 のような驚きが半分は ネタ として話題となることに。
彼らの主張は、感染防止のためのロックダウン (都市封鎖) や マスク の着用、ワクチン接種といった施策全てに反対し、「コロナなど存在しない」 とか 「マスク製造業者や製薬会社の陰謀」、あるいは 「コロナを受け入れろ」「共生しよう」 といったもので、新型コロナ以外の親和性が高そうな様々な 陰謀論 やスピ系 (スピリチュアル系) の テーマ と結びついて騒動を起こすなど、度々ニュースとなっています。
新型コロナもいずれは、過去の新型インフルエンザやその他の感染症のように変異して弱毒化したり、予防・治療法がある程度確立するなりして風邪のような存在となり 「共生」 することになるのでしょうが、実際に多数の感染者や死亡者が出ている真っ最中での根拠のない抗議行動には、批判の声が多く寄せられることとなりました。