買っただけで手がつけられない… 「積み」
「積み」(つみ)「積む」(つむ) とは、マンガ や ラノベ といった書籍類や ゲーム、アニメ、音楽CD といったソフト類を、ただ購入するだけで家に放置してしまうことです。 つまり読んだりプレイしたり視聴することなく、部屋に積んでおくだけ、放置プレイ だとの意味になります。
こうした言葉がとくによく使われるのは、実際に手をかけるのに大きな時間や手間がかかるプラモデルやガレージキットといった未完成フィギュアなどで、「買っただけで作らないもの」 をとくに 「積みプラ」 などと呼びます。 同じように書籍類なら 「積み本」 もしくは 「積ん読」(つんどく)、ゲームは 「積みゲー」 などになります。
こうした 「積み コンテンツ」 は 「まだ中身を見ていない」 ことから処分することもできず、結果的に部屋にどんどん溜まって生活エリアを圧迫しますし、「購入しただけ」 なのであまり印象に残らなくて (しかし購入しなければとの意識だけは残っている)、後日間違えて全く同じものをうっかり再購入してしまったりもします。
時間がない、モチベーションや情熱が薄れた…でも買わずにいられない
こうした 「積み」 が起こるのは、時間がたくさんあった学生が就職した後に学生気分のまま購入して手を付けられなくなったとか、職場の 環境 がかわった、結婚 するなどして生活環境が変わって余裕がなくなってしまったなどがあります (4大転換期)。 本人は放置する気などなかったのに、気がついたらずっと手付かずのまま時間が経ってしまった…といったケースですね。
もっともどんなに忙しくても本当に好きなもの、必要があると感じたものにはギリギリ手を出したりもするので、ある作品タイトルシリーズや 趣味 の一部への情熱やモチベーションが大きく下がった、しかし自分でそれを認めたくない時なども (まだそのシリーズや趣味に未練がある)、「とりあえず購入して自分のそれまでの想いやコンテンツへの義理は果たす」 ような独特の感覚もあります。
これなどは、勉強がしたくない受験生などが、買ってきた参考書を部屋に並べるだけで勉強した気になる、安心するといった心理と同じ種類のものでしょう。
評判の悪い最新刊、怖くて見ることができない…でも買わずにいられない
一方、時間のあるなしに関わらず、「見ることができない」 との心理状態から 「積み」 の事態に陥るケースもあります。
例えば自分の好きな作品シリーズの最新版、続編の評判がすこぶる悪く、好きなシリーズだから買わずにはいられないが、怖くて中身を見ることが出来ない…といった、おたく や 腐女子 といった趣味人特有の心理状態から陥る場合もあります。 評判が良くても、自分の大好きな キャラ が死ぬなどの事前情報を得ると、それで手が出なくなることもあります。
これはその作品を 元ネタ・モチーフ とする 二次創作 を行なっている 同人作家 などに、とくによく見られます。 ファン であるからには正規の ナンバリングタイトル を無視することはできないが、しかし中身を見て自分のその作品シリーズへの情熱が薄れたり、嫌いになったりするのが怖い…そのジャンルの 同人 は楽しいし、友達も多いからずっと続けたいのに…といった感覚です。 まあこれは、時間が経つと 「最低のできのそれも含めて好きになる、許せる」 ようにもなったりするのですが。
また長期にわたって続いた作品の完結編だけを積む場合もあります。 それを見たらその作品の物語が、自分の中でも 「終わってしまう」 からで、最終回だけを意図的に見ないようにしているファンも実は結構いたりします。 これはゲームにおける クリアしたくない病 と同じ種類のものでしょう。
趣味を捨てること → 大人の階段のぼること …なのか…
いずれ手がつけられない ジャンル の趣味は整理するなり淘汰するなりが必要なのですが、「ある趣味から手を引く」 というのは、それが子供の頃からの趣味だったり熱中した趣味だったりした場合、心理的にもかなりハードルが高く、踏ん切りがつくまでは代償行為としての 「買うだけ」「積んどくだけ」 というのは、やむを得ないものなのかも知れません。
なお同じ 「つみ」 でも、「詰んだ・詰み」 の場合は、意味は大きく異なり、人生終わった、ゲームオーバー などといった意味になります。