私に万が一のことがあったら、あれは処分して…燃やして…… 「死後の盟約」
「死後の盟約」 とは、腐女子 (あるいは おたく) が自らの死後に、家族や近親者に見られたくないものを処分してくれるよう友人らと約束することです。 単に 「盟約」 と呼ぶこともあります。
腐女子の場合、「積荷を燃やして」(風の谷のナウシカの作中セリフに由来) と呼んだり、おたくの場合、「相互確証破壊」(核兵器の運用戦略で、一方が核兵器を使うともう一方も使ってお互いに破滅するので核兵器を使わないで済むという抑止力のこと) といった ミリタリー っぽい用語であらわすこともあります。 それぞれの本来の意味や ニュアンス はかなり違いますが、何となく言葉のイメージから使われることが多いようです。
処分して欲しい見られたくないものは、大量の 18禁 な 同人誌 などがそれに相当しますが、もっとも クリティカル なものといえば、本人の作品や日記、パソコンに保存したデータなどになるでしょう。 とりわけパソコンのデータは 「死後に残したくない・見られたくないデータ満載」 のケースがあり、単なる冗談としての口約束だけでなく、パソコンの ログイン パスワード をあらかじめ知らせていたり、遺書まではいかないものの近親者に 「わたしが死んだら友人の○○にデータ消去をお願いしている」 と具体的な取り決めをして死後に トラブル が生じないよう用意している場合もあります。
本人の作品やネットのアカウントなどの場合は…
日々のあれこれや作品を アップロード していた ツイッター などの SNS や pixiv といったサービスで、自分が使っていた アカウント の処分 (アカウントやデータの削除) をお互いにお願いする場合もあります。
もっとも SNS のアカウントなどは、前述した日記などとともに本人が生きてきた証という部分もあり、家族にとっては大切な記録だという想いもあるでしょう。 故人が創り、そして生前に消してくれるよう頼んでいたとしても、友人としてそれを消すのは忍びなかったり、家族から消さないように頼まれてそれを拒否するのも辛いものがあります。 また厳密に云えばアカウントは故人の財産であり死後の扱いは遺族に決定権があるものでしょう (相続の対象になるかまでは、まだ定まっていないようですが)。
ネットや SNS が普及し、アカウント主が亡くなることも珍しくない時代、死後に自分のデータをどうするかは、健康なうちに考えておいた方が良い重要な テーマ かもしれません。
廃棄・削除ではなく、適切な処分を依頼することも
一方で、コレクターが自慢のコレクションの品々の死後の廃棄・散逸を恐れて、趣味 仲間に適切な処分を依頼する場合もあります。 おたく的なコレクション対象物は 一般人 にはその価値が分からないものが多いですし、遺族が無価値だと思って廃棄したり、廃棄はせず売るとしても、マニアックな逸品の値付けができそうもない日用品中心のリサイクルショップに依頼とか、フルコンプ (全揃い) に高い付加価値がある品をばら売りするなど、無知や知識不足から来る間違いも生じやすいでしょう。 そのため、高齢になるとこうした依頼や約束を信頼できる友人と結ぶ人は多いものです。
おたく的グッズと云えど資料的価値の高いものもありますし、古美術品などど同様、コレクターや遺族個人の財産・所有物であると同時に、広く社会にとっても大切な遺産となる貴重なコレクションもあります。 その世界で有名なコレクターのコレクションがまるまる消えると、その世界全体に大きな負の影響を与えることもあります。 コレクションを趣味としている以上、自分の死後のコレクションの行方に思いを致すのは、ある意味コレクターとして最後の仕事や義務、自分の人生に対するけじめや矜持だと云えるかもしれません。
もっともおたく的なグッズ類は 「なんでも鑑定団」 などのテレビ番組などを通じて、良くも悪くも一般人にも 「高額になるお宝がある」 との認識が広まっていますから、一昔前のように貴重なレトロ玩具や古雑誌が ゴミ として投げ捨てられるような状況は、いくらか緩和しているかも知れません。 ただし大量生産品など価値のないものもありますので、後々事後を依頼した趣味仲間と遺族とが疑心暗鬼からくる金銭的なトラブルや反目を生じたりしないよう、きちんと話し合いはしたいものです。
ちなみに 筆者 もアニメグッズや資料などの在庫がかなり大量にあります。 限定品 とか非売品などそれなりに貴重なものもあったりはしますが、大半が量産された市販品な上にセーラームーンなどメジャーな作品が多いのでさしたる資料的価値はありません。 ただセル画や原画、設定画、台本とか色紙といった一次資料やそれに近いものもかなりあるので、その時の気配が漂う前に、サークル の仲間などには声を掛けようとは思ってますw それっぽい 博物館 でもあって、そこに寄贈できるならそれが一番良いのですけどね。 好きで科博 (国立科学博物館) などはしばしば訪れますが、秀逸な展示品の説明に寄贈者の名前などがあるのを見ると、コレクションが後世に残るだけでなくひとかどのコレクターとして名を遺すこともできていいなあなどと憧れを感じます。