判で捺したように同じ顔…同じデッサン… 「ハンコ絵」
「判子絵」(ハンコ絵) とは、ハンコでおしたように同じような顔、似たような顔の キャラクター やその イラスト ばかりが出てくる作品、あるいはそれを描いた 絵師 (漫画家) やその傾向などを指す罵倒語のひとつです。 似たようなアングル、似たような顔ばかり描く人は、「ハンコ絵師」 などと呼んだりもします。
「デッサンにバリエーションがない」「構図がワンパターン」 な人の描く 絵 となりますが、見る側からするとキャラを見分けるポイントは髪型や 髪の毛 の 色、服装や メガネ などの小物類のみで、顔は基本的にまったく同じようなデザインばかりなので、それが マンガ などでバストアップのコマで延々と続くと、「これは一体誰なんだ?」 などと、途中で判らなくなったりもします (語尾設定 でセリフに個性を持たせたりして、絵以外の要素で何とか特徴付けようとするケースもあります)。
ちなみに似たような意味で 「版画」(印刷用の版で絵を大量生産することから) とか、キャラの違いが髪型だけ、などという場合には、ヅラチェンジシステム などと呼んだりもします。
理想の一点を追求するなら、「同じ絵」 になるのも当然?
こうした絵を描く人の傾向としては、「いつも同じような絵やキャラばかり描いていたので、他のものが描けなくなった」 なんて感じですが、本人は 「自分にとって常に最高のものだけを描いているから、結果的に同じになってしまう」 などと、わりと本音で思っていたりもします。 その人が 「可愛いキャラ」「好みの造形」 と思うものに忠実になればなるほど、同じ 作者 である以上、ある程度同じ絵になってしまうのは仕方のないところなのかも知れません。 1番、最高は、普通は1つしかないのですから。
「マンガ」 や ゲーム のタイトルを全体でひとつの作品として見る場合、その中には様々な要素がそれぞれに役割を持って存在します。 例えば 主人公 が頑張り屋のスポーツ少女なら、主人公を いじめ る意地悪なキャラ、主人公を見守る先輩キャラ、応援してくれる友達キャラ、ライバルとなる試合相手のキャラなどです。 それぞれのキャラ (作品のパーツ) はその役割に応じて 「意地悪な顔」「優しそうな顔」 を特徴として持ち、そうした特徴を持つキャラが際立つようなポーズや表情を本来はするべきでしょう。
しかし 「マンガ」 や 「ゲーム」、あるいは 「世界観」 が全体でひとつの作品として見られず、あるいは軽視され、キャラ1人1人が作品として見られる、物語から独立した、あるいは乖離した 萌えの要素 とか 「キャラクター商品」 として扱われるようになると、「キャラそれぞれの役割」 は希薄になり、「意地悪キャラ」「優しいキャラ」 なんて特徴は持ちながらも、それぞれを 「作者の力量の範囲」 で 「バラ売りが可能な商品」 として魅力的に描かないといけません。
「妖怪や悪魔の姿は無数にあるけど、神様や 天使 の姿のバリエーションは驚くほど少ない」 ものですが、やはり魅力的な 「理想の姿」 ってのは、どうしても1点に集中し、似てしまうものなのでしょう (醜悪なものの方が、むしろ想像力を掻き立てられ創造性が発揮されるってのは、面白いですね)。
「ハンコ絵」… 想像性を発揮する技術とモチベーション…?
また、中にはあえて 「ハンコ絵」 を、純粋に技術的な問題として努力して追求するような振る舞いをする人もいます。 過去に最高の仕上がりとなった絵 (まぐれを含む) を自分の基準とし、それに近い絵が描けない場合は、自分の絵をトレス (自己トレス) してまで絵を同じ (画風、水準) にする場合もあります。 あるいはコマの一部を過去のイラストのコピーとし、他のコマの 新規 作画をそれに合わせるような作画法をとっている作家さんもいたりします。
常に 「同じ絵」 が描けるというのは、ある意味 「画風やデッサンが安定している」 ことでもありますから、未熟な 絵描きさん は、「好きな顔」「好きな構図」 をとりあえず極めたいと思うのも画力アップの通過点としてはアリでしょう。 逆に本当にへたくそな絵描きは、昨日と今日とで同じ顔が変わったりもしますし。 まぁ本来は、安定してバラエティ豊かな顔や構図、キャラクターデザイン が作れれば最高なんですけど。
好きな絵師の真似をするだけでデッサンやパースが身についてないと…
なお人物などの絵を描く時に、「デッサンから勉強して基礎を積み上げているかどうか」 ってのは、絵のバリエーションを増やす上で結構決定的な差を持ちます。 自分の好きな漫画家の絵を模写したりトレスして真似ているだけの人は、当然ながらその漫画家以上のバリエーションを持ち得ませんし、さらにそこから気に入ったアングルをパターンとして持って、その都度そのパターンを組み合わせているだけ=同じような絵ばかりになる…の堂々巡りとなってしまいます。
別にマンガやイラストを描く上で正確なデッサンやパースだけが絶対だとは云いませんが、基礎的な訓練はある程度きちんとしておいた方が、後々ずいぶん楽になると思います。 急がば回れってやつです。 「ハンコ絵」 までいかなくても、キャラの右向きと左向きの顔の片方がうまく描けない人 (一般に、右利きの人は向かって左向きの顔が描きやすいものです) などは、「修行が足りない」 と云っても良いでしょう。
もっとも最近は、パソコンで絵を描く人も多いですし、パソコンで描く場合は3Dモデルを 下書き のベースにしたり、左右反転・縮小拡大も自由自在なので、昔に比べたら状況はかなり違ってはいるのですが。
逆に、「こだわり」 のないキャラの顔は個性豊かだったり…
一部の男性作家によっては、異性である女性のキャラのバリエーションは1つか2つしかないけれど、同性である男性キャラ (性的な魅力を感じずモチベーションがあがらない) のバリエーションは無数に近いなんて人もいます (男性キャラと女性キャラとで、同じ作者とは思えないほど画風や絵の安定性に差がある人もいます)。
大好きな女性キャラを描く時は 「理想の一点に集中」 するので同じ顔になるけれど、「こだわりがなく、どうでも良い男性」 は好き勝手に描けるからなんでしょうか。 これは女性作家による男性キャラと女性キャラの描き分けでもしばしば見かける現象ですね。 前述した妖怪や悪魔と神様や天使の話と符合する、面白い現象です。
一方、作家によっては瞳のデザインや顔のパーツのバランスに極めて突出した特徴や個性を持っている場合もありますし、その作家の ファン はそれらに魅力と 萌え を感じ、「萌え要素」 と認識していたりもするので、違った顔つきのキャラが ヒロイン になると 「勝手に違う要素を入れないで欲しい」 なんて思ったり、画風が変わると見限ってしまう場合もあり、作家自身が身動きの取れないケースもあったりします。
「スターシステム」 と 「ハンコ絵」
なお 「ハンコ絵」 とは別に、「全く同じキャラ」 を別の作品に別のキャラとして登場させる独特な作品様式もあります。 これは、キャラクターを 「俳優」、マンガなどの作品を 「映画」、作者は 「監督」 とみなすような形式で、アメリカのハリウッドで人気俳優を集中的に多作品に起用する映画産業の言葉を当てはめ、「スターシステム」 などと呼ばれます。
キャラクターはそれぞれの登場作品で、それぞれの作品にそった 「演技」 を行うような感じです。 有名なのは手塚治虫さんのスターシステムですが、「キャラの使いまわし」「手抜き」 にも見えるので、キャラによほどの魅力と、作者によほどの力量がないと難しいシステムでしょう。
「ハンコ絵」 とは似て非なる別 概念 のシステムですが、結果的に限りなく同じ状態になっている場合もあります。