巨大イベント 「コミケ」 を作り守った 「晴海/ 東京国際見本市会場」
東京国際見本市会場 跡地 |
「東京国際見本市会場」 とは、東京都中央区の晴海地区にかつて存在していた大型の複合見本市会場、コンベンションセンター (公共施設) のことです。
所在地から 「晴海」「晴海会場」 と呼ばれることが多く、コミックマーケット (コミケ) や東京モーターショー、エレクトロニクスやビジネス関連の産業・商業 ショーなど、日本を代表する大規模な イベント が多数開催され、それらのイベントが開催されていた時期を 「晴海時代」 などと呼ぶほどの一体感を おたく や 同人 の関係者に与える、お馴染みで懐かしい 会場、施設となっています。
住所は東京都中央区晴海4-8。 客船ターミナルや臨海公園が整備された晴海ふ頭の中間くらいに位置し、閉館後はカー用品を扱うオートウェーブの晴海店や東京レジャーランドなどとして使われていましたが、その後更地に。 2006年3月8日には、東京都議会でオリンピック開催招致を決議、石原都知事が推進した2016年の夏季オリンピックのメイン会場、オリンピックスタジアムの建設予定地とされましたが、2009年10月3日に落選が決定しています。
交通アクセスとしては浜松町からの海上バスが便利で、閉館後の2000年12月12日からは、最寄り駅として地下鉄の 「勝どき駅」 が開業、1km弱ほどの距離となっています (筆者 は当時はクルマ、閉館後はこの勝どき駅から徒歩で行ってます)。 ちなみに海上自衛隊の護衛艦の体験乗艦の催しがこの晴海ふ頭で定期的に開かれていて、軍オタにとってはまだまだ現役の注目スポットともなっています。
1959年開業から 「晴海」 が、日本を代表する見本市会場の所在地に
この施設は、いわゆる 「高度経済成長」 真っ只中の1956年に東京都などが中心となって設立された社団法人東京国際見本市協会により建設が開始され、1959年に 「東京国際見本市会場」 として完成しました。 晴海ふ頭は埋立地ですが、戦前 から工事は行われていて、戦時中は飛行場などとしても活用され、戦後はアメリカ軍のGHQによって接収されて進駐軍が利用していました。
会場となる敷地内には複数の大型建造物が立ち並び、それぞれが独立していました。 中心となる施設は銀色のドーム状の屋根を持つ円形の 「東館」(通称、ガメラ館/ 最大の建物ですが、円形のため SP の 配置 や 「撤収」 がやりにくかった) で、ほぼ同じ規模の 「西館」 がこれに続きます。 「南館」 と 「新館」 がこれに続く施設で、他に 「A館」「B館」「C館」 の3つの施設 (運営 管理団体が本館部分と違う) がありました。
「東西南新ABC」 と、あちこちから建物を寄せ集めたような会場構成となっていて、施設の規格もバラバラ (新館部分は1971年に増設)、施設同士をつなぐ屋根つきの通路もなく、基本は露天でした。
1981年12月20日、「コミケット19」 開催で同人ファンの聖地に
晴海が使われた時期 | 年代 | コミケット番号 |
第一期晴海 | 1981年〜1986年 | C19〜C30 |
TRC・第二期晴海 | 1986年〜1989年 | C31〜C36 |
第三期晴海 | 1991年〜1995年 | C40〜C49 |
1981年12月20日、それまで使用していた神奈川県の 川崎市民プラザ や 横浜産業貿易ホール の後を引き継ぐ形で 「コミケット19」 が初めて開催され、近接地にある TRC 東京流通センター を利用する時期 (1986年〜1989年) をはさみ、長い 「晴海時代」 が始まります。
コミケでは規模が大きくなるごとに、あるいは運営上の問題などが生じるたびに、これらの施設を工夫して、様々に組み替えて利用していましたが (俗にA館体制 (混雑が予想される 大手サークル をA館に隔離) とか、C館体制 (迷惑な 徹夜組 をC館に収容して隔離、C館隔離措置)、規模の拡大に施設が追いつかず、1989年に千葉県に 幕張メッセ が完成すると、「コミケ」 や コミックシティ (Comic City in 晴海)、東京モーターショーなどもそちらへ移転しました。
幕張コミケ追放事件と、第三期晴海時代、そして有明へ…
その後幕張メッセからコミケが事実上追放される事件が起こると、急遽古巣のこの会場がコミケ開催地として使われ、「晴海」 が再び コミケの 聖地 に (第三期晴海時代/ 1991年〜1995年)。 隣の月島で帰りにもんじゃ焼きを食べるコミケが再開しました。
その後 1996年に 東京ビッグサイト が完成すると 「コミケ」 はそちらへ移動し、「晴海の東京国際見本市会場」 は栄光の歴史と共にその役割を終え、逆ピラミッドのアレに日本の産業とオタク文化の振興の拠点の座を譲って閉鎖となりました。 いやもう本当に、長いことありがとうございました…コミケが今の形で存続しているのは、ここを抜きにしては考えられません。