わずか3回のみ、「コミケ」 が開催された 「幕張メッセ」
幕張メッセ シンボルのイベントホール |
「幕張メッセ」 とは、千葉県幕張 (千葉市美浜区) にある 「日本コンベンションセンター」 の愛称です。 住所は 〒261-0023 千葉市美浜区中瀬2-1、最寄り駅は JR京葉線 海浜幕張駅で、立体遊歩道を通って徒歩10分ほどの距離です。
日本最大級の展示場施設で、「東京モーターショー」 といった日本を代表するような世界的な大型イベントをはじめ、「東京ゲームショー」 などの おたく や コスプレイヤー 関係にとって重要な イベント もいくつも開催されています。 なお メッセ とは、見本市、あるいはそれが開催される場所、施設のことです。
施設は大きく分けて 「国際展示場」「国際会議場」「幕張イベントホール」 の3つに別れ、全体で幕張メッセという巨大複合施設を構成しています。 また 6,000台分もの巨大な駐車場を持っており、車での来場が可能な施設となっていますが、近隣の道路整備が追いつかないのか、大型イベントの際には激しい交通渋滞が発生するなど課題もあります。
運営 は株式会社幕張メッセで、1989年10月9日より開業しています。 ウェブサイトは こちら です。
コミックマーケット40回目の寸前に、一方的な会場使用拒否の通告
幕張メッセ 展示場入り口 |
開業当時は日本最大の展示用 公共施設 で、それまでの晴海に存在する 東京国際見本市会場 や TRC/ 東京流通センター が手狭になっていた コミックマーケット (コミケ) も、ここで開催されていました。
こけら落としも覚めやらぬ 1989年12月に、冬コミ C37(参加サークル数 11,000、入場者数12万人) の会場として最初に利用され、翌年 1990年、夏の C38(参加サークル数 13,000、入場者数23万人)、冬の C39(参加サークル数 13,000、入場者数25万人) と合計3回が開催されました。
しかし 4度目となる C40 (1991年8月16日〜17日) の開催が決まり期日が迫る中、突然幕張メッセ側から 「警備上の理由」 などで利用の拒否を一方的に通告され、コミックマーケット準備会は夏コミの開催不能の寸前にまで追い詰められました (いわゆる 「コミケ幕張追放事件」)。
発端としては、それ以前のコミケで男性向け同人本の入った荷物の忘れ物があり、これを遺失物として警察署に届けた人がいて、そこから 「修正のほとんどないようなアダルト本が堂々と売られている」 との事実が警察に発覚。 それを受け、警察からの警告が準備会やメッセ側に入れられ一連の騒動に繋がったものでした。
当時は携帯電話などほとんど普及しておらず、ネット も パソコン通信 がやっと少しずつ広まり始めた頃。 情報が錯綜し、当日になってやっと気がつく人、混乱して駅の公衆電話に群がる一般入場者、前後して会場近辺のホテルや各種施設にキャンセルや苦情が殺到するなど、すさまじい混乱となってしまいました。
「C40」 は結局、やむなく古巣の晴海に急遽会場を移しての開催になりましたが (参加サークル数 11,000、入場者数20万人)、土壇場の予定変更と、晴海に収容しきれないほどにまで膨張するコミケ人口の増加、さらに、いわゆる 「バブル景気」 による大規模 商業 イベントの爆発的増加による会場スケジュール確保の困難などが重なり、以降数年間、コミックマーケット準備会はイベント開催が不可能になりかねない大きな危機を連続で迎えることになりました。
なお晴海での 「C40」 開催中も、会場内に明らかにいつものサークル参加者や 一般参加者 とは思えない人たち (眼光鋭いおばさんたちの グループ 複数) が徘徊し、「有害コミックの証拠、あら探し」 を行っていた 「散々なコミケ」 となっていました。
1994年に厳しい同人誌即売会の事実上追放の条例が千葉県で成立
千葉県ではその後、自民党系無所属の 沼田武 千葉県知事の元、1994年春に 青少年健全育成条例 の 有害図書 の追放条例が大幅に強化され、事実上、同人イベントの追放政策を実施。
これは 1989年の 「M君事件」(埼玉県幼女連続殺害事件) と、それに関連した 1990年頃からのいわゆる 有害コミック の排斥や、子供向けポルノ追放運動 の直撃を受けた格好ですが、その後、幕張メッセをしのぐ規模の 東京ビッグサイト が有明にできると、コミケは幕張メッセを見限り、そちらへ移転することに (晴海は有明にその席を譲り閉鎖に)。
1994年10月に、「コミックシティ」 のドタキャン事件なども
さらにその後、1994年10月2日開催予定だった赤ブーブー社主催の コミックシティ のイベント、「Comic City in 幕張」 も、地元警察含めすったもんだの末、9月末にドタキャン状態となっています (ネット 環境 のないほとんどのサークルや一般参加者は、当日にJR海浜幕張駅や幕張メッセ入り口で知らされた)。
この時は幕張メッセ側だけが悪かったわけではなく、地元警察の対応や、あるいは直前のコミケを見て当然予想されていた事態にもかかわらず準備不足で対応もまずかった 主催者 の側の問題も非常に大きいのですが (おかしな 自主規制 案を出したり引っ込めたり、翌年にはサークルを主催者自ら通報して逮捕騒ぎも起こしてます)、ともあれ 「幕張では同人イベントをまともに開催するのは無理だ」 という印象が、この上なく根付くこととなりました。
毎年 幕張メッセ で開催されている 東京ゲームショーはコスプレ参加も可能 |
東京都の表現規制問題を受け、「東京国際 アニメフェア」(東京ビッグサイト) が分裂 幕張では 「アニメコンテンツエキスポ」 が 開催された (2012年3月31日〜4月1日) |
それからというもの、おたく関係では企業主体の見本市のようなものに使われるケースはあったものの、大きな 同人誌即売会 が開催されることもあまりなく、めっきり同人の世界では疎遠な会場になりました。
また一連の騒動によって、当時同人関係で活動していた年代の人たちからは、非常に厳しい目を向けられることとなりました。
バブルの崩壊により、大規模商業イベントが激減
バブル崩壊後、大規模な産業ショーや見本市の数が激減。 第三セクター化し収益集客にシビアになった 「幕張メッセ」 はじめ、この種の大型見本市会場はどこも閑古鳥が鳴き利用スケジュールを埋めるのに苦労することとなりました。
「オタクバッシング」 も鳴りを潜め、その後ある種の 「懐柔策」 を打ち出した時期もあったようなのですが、同人関係者からは 「いまさらなんだ」 とばかりに、見向きもされなくなったのでした。
2000年代となり、千葉県における同人イベントの開催も徐々に復活し、世代的にはこの 「コミケ追放」 を直接知らない若い年代の人も増え、かつてほど嫌われるイメージはなくなっていますが、その後 「東京ビッグサイト」 の電車での利便性が大きく向上したこともあり、「おたく」 界隈 では一部のイベントを除き、あまり足を向けない場所となっています。
写真で見る 「幕張メッセ」
最寄り駅はJR京葉線 海浜幕張駅 | 幕張メッセまでは立体遊歩道で |
駅から歩いて行くと、幕張 イベントホールが | 幕張メッセ正面 |
内部はこんな感じ | ホールとホールをつなぐ やすらぎのモール |
最初見たときは、とにかくデカイ…そんな印象を持ちました
とにかくデカい 千葉県幕張メッセ |
ちなみに 筆者 は 1989年、「幕張メッセ」 の事実上のデビューである第28回東京モーターショーに取材で訪れたのが、幕張メッセの初体験でした。 開催日は10月26日から11月6日までで、総来場者192万4,200人を記録。 でんでん虫にまたがった少女の ポスター が記憶に残っています。
モーターショーもその前の回まで 「コミケ」 同様、晴海での開催でしたが、晴海時代にくらべずっと増えた自動車メーカーがすっぽり収まり、しかも国内海外のメーカー全てが同じフロアにそのままズラリと並んでいるのが壮観でした。
車で行きましたが、報道関係のみのプレス日だったにもかかわらず駐車場が込み合っていてうっかり端っこに駐めてしまい、「この駐車場、どこまで続くんだよ…」 なんて歩きながら感じたのを思い出します。