似たような髪型、ファッション、考え方… 「量産型」
「量産型」 とは、大量生産されたかのような画一的でありきたり・似たものがたくさんある状態をあらわす言葉です。 没個性で平々凡々、安っぽい、流行に流されているといった ネガティブ な意味で使われる場合もあります。 対象を選ばず、何かに接頭して 「量産型〇〇」 といった表現をするケースが多く、例えば おたく なら 「量産型おたく」「量産オタ」 といった感じになります。
量産型という言葉それ自体は、工業製品などの生産行程における型式などをあらわす言葉です。 企画・設計やデザイン工程からそれを確定するための模型やモックアップ (実物大の模型)・試作型 (プロトタイプ) の検証・修正などを経て、仕様が決まった後の最終段階・量産体制に入った後の製品の型式となります。 対義語は一般に専用型 (ワンオフタイプ) や特注型 (スペシャルタイプ)、あるいは前述した試作型などとなります。
ネット の世界では元々の工業製品の意味で使う場合も当然ながら多く、とくに軍事 (ミリタリー) の世界では頻繁に使われる言葉となります。 通常は試作型や専用型などが粗削りで強い個性や尖った性能 (それと引き換えの稼働率の低さ、整備の扱いにくさ、高コスト) を持っている一方、量産型は扱いやすく安価で 費用対効果 に優れながらも性能自体は平凡なものにまとまりがちです。
試作段階での様々な検証を経て作られるため、総合的な性能や信頼性はそれ以前の型よりずっと高い場合が多いのですが、カタログ的な スペック のみの数値なら見劣りがしたり、部分部分ではコスト削減や生産性向上のための簡略化や妥協点が見られたりもします。 個性ゆえに ロマン があり人気が出やすい試作型や専用型に比べると、やや 地味 なイメージが持たれがちな印象はあります。
もっとも実戦配備がされたりその数も多くなるため、試作型などに比べると実際の戦績・戦功によっては評価が高まりますし、「道具としての役割を黙々とこなす」 イメージから、むしろ量産型にこそいぶし銀の魅力を感じるミリオタ (ミリタリーおたく) も結構いるようです。 あと増加試作型とか戦時急造型とか量産型の改型とかもちょっとロマンがあるよね…。 型にまで至らない個体ごとの改造バージョンや現地仕様もロマンがあります。 中でも極端なものは、模型の特殊な改造にならって 魔改造 などと呼んだりもします。
「量産型おたく」「量産型アニメ」…人や趣味、コンテンツに当てはめて使う場合も
量産型の本来の意味はともかく、後にはこれが転じて、人や人の考え方、趣味 などに当てはめて使ったり、アニメ や マンガ、ラノベ、ゲーム といった コンテンツ などにも、「個性がない」「代替可能な大量生産品」 さらには 「粗製乱造」 といった負のイメージで使われる場合があります。 一般人 の日常会話で使われるケースなら、むしろこちらの方がポピュラーでしょう。
例えば 「量産型おたく」 といえば、おたくにありがちなファッションやその他大勢と同じ好みを持つ没個性のなんちゃっておたく、見ていて恥ずかしく 痛々しい ニワカおたくといった意味になりますし、「量産型女子」 ならみんなと同じようなメイクやヘアスタイル・ファッションをした何の特徴も個性もない、代りならいくらでもいるような女性だとの意味となります。 とくに就職活動の場などで、新卒者が判で押したように同じ髪型・黒いリクルートスーツで大量に集まっている様子などは、本人たちもやりたくてやってるわけではない、やむを得ないことなのだとしても、画一的で規格化された同調圧力の強さ、薄気味の悪さを感じさせることもあり、批判的な意味で使われていたりします。
なおこうした使い方は他人を批判・罵倒して腐すためだけではなく、自虐表現 として使われるケースもたいへん多いものです。 「しょせん俺は量産型おたくだから」 といった感じです。 一方で、一般的には没個性よりは個性的な方が 「イケてる」「偉い」 ようなイメージがあるため、ある種の マウント取り として、ことさらに量産型であるのをアピールする場合もあります。 例えば 「今日は量産型おたくファッションで決めてきました」 みたいなケースでは、「俺はいつもはもっと個性的だけど、今日は ネタ として量産型おたくのフリをしてみたぜ」 といった意味となります。
こうした 「量産型おたくになって 秋葉原 に行ってきた」「量産型メイクしてみた」「量産型ファッションで ドレスアップ」 といったネタをネットで行っている人も結構いますが、これらに強い 自己顕示欲 やマウンティング、他者に対する揶揄や茶化し、Disり を感じて、不快に思う人は結構いるものです。 とくに悪気もなく、「没個性 ≒ 量産型」 かつ 「流行 ≒ 量産型」 といった意図で使っているのだとしても、あるいは自虐だとしても、やりすぎると揶揄や皮肉と同じような効果になりますから、不用意に使うと思わぬ反発を受けるかもしれません。
魅力の集大成や最大公約数としての 「量産型」
こうして見ると量産型にはあまり ポジティブ な意味がないように思えますが、一方で無難ながらも流行りのラインをきっちり押さえ、その時点で多数から支持されていると思われる要素や装い、定番 の アイテム を身に着ける姿は 「魅力の集大成や最大公約数」 だとも云えます。 むしろ奇抜なだけの自称個性派より、よほど量産型の方が良いという人も少なくありません。 とくに異性に対する好みにおいては、「量産型女子」「量産型男子」 をポジティブにとらえて評価する人は思ったより結構いるものです。
また当の量産型女子・男子の側も、スタイルの骨格部分は量産型としつつも、小さな部分で自分らしさのアレンジを加える場合もあり、このあたりは学校の 制服 における着崩しやこなれ感、抜け感 などと同様、「定まったベースラインがあって、そこからちょっとはみ出しているくらいがちょうど良い」 との好意的な受け取り方をして実践しているケースも多いでしょう。
そもそも 「みんな同じに見える」 というのは、見ている方にこそ問題や分解能 (解像度) の不足があることが結構多いものです。 中高年男性や女性のいう 「近頃の若者はみんな同じような格好をしている」「似たような顔で見分けがつかない」 などは 老害 の兆しだとも云え、見分けられない方にこそ責があるとすべきでしょう。